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セルビアの遠い響き

  

 ユーゴ紛争からコソボ内戦へ、内紛状態の長く続いたセルビア情勢を伝えるニュース映像をまったく記憶しない世代が、いまや三十代に突入しているのだから光陰ロケットのごときこの浮世。そういえば1995年1月17日朝に神戸長田区を映すNHKのヘリ中継を観て、十代のぼくがまず想起したのは戦火で黒焦げにされたビルの高層部から炎立つ、ベオグラード市街の光景だった。

 映画『バーバリアンズ セルビアの若きまなざし』は、そうした長き内戦により物質的にも精神的にも疲弊したセルビア社会の、荒んだ旧工業地域に住む若者たちを描いた作品だ。いまハイティーンを生きる彼らは外の世界をネットやテレビでしか知らないし、もちろんユーゴ紛争も記憶にない。ただ彼らの身の内より噴出するエネルギーを荒廃した諸システムは御しきれず、持て余された力はやり場のない怒りとなり、政治行動にかこつけた暴動へと転化する、暴発する、昇華する。

 主人公の少年もまた、コソボ独立反対デモに乗じて暴徒化した群衆のさなかに身を置くのだが、政治理念に比較的ガチにほだされそこに救いを求めていた彼は、親友がスポーツ店で目をギラつかせ強奪品を漁る姿を目にして心が醒めてしまう。



 本作の監督イヴァン・イキッチは現在33歳で、コソボ紛争中に多感な時期を通り過ごした自分たちのような「“忘れられた世代”の憤りを描きたい」と脚本作成の動機を語る。彼がハイティーンを生きた頃のセルビアは、世界中から悪者扱いを受けていた。その一方的なイメージ付けが、アメリカの広告代理店と西側政府の仕組んだ世界戦略であったことが周知されるのは、宣伝の成果が充分に挙がったあとのことだった。イヴァン・イキッチのかこった《憤り》の原因の一端にはしたがって、「セルビアこそ悪者」というイメージを疑いもなく流し続けた日本のマスメディアと、このイメージを甘受した日本人にも責が“ある”。少なくとも、“ある”という前提でものを考えることが不当だとは思わない。

 学生時代、学生会議の集まりでセルビアの学生と一晩をともに過ごしたことがある。合宿施設の二段ベッドに寝そべりながら、彼の持っていたウォークマンを聴かせてもらった。バルカン半島のポップスには東洋の調べがふんだんに混ざっていることを、ぼくはそのとき初めて知った。それは十代の終わりに旅したインドとヨーロッパの響きが、ぼくのなかで共鳴を始めた瞬間だった。

 セルビア人学生は繁華街での別れ際にこう言い残し、雑踏へと消えていった。

 “Do not believe CNN.” 

 すでに旧ユーゴスラヴィアでの戦争は集結したかのような認識が、日本では共有されていた。しかしきっと本国では次の内紛の機運がすでに高まっていたのだろう。それから数ヶ月ののち、帰国した彼が故郷で徴兵されたことを耳にした。その後彼が何を見たのか、ぼくは知らない。



 考えてみればあのセルビア人学生と、本作の監督イヴァン・イキッチはほぼ同世代といっていい。こう書けばおかしな人間だなと思われる可能性は承知のうえで書くけれど、だからぼくにはこの作品を受けとめる倫理的な義務があったし、この機会に観ることができて良かった。本作では、役者ではなく実際の不良グループをメインキャストに採用したという。販促のチラシ等にある宣伝文句が伝えるように、作品中で主人公は「還る場所は、ここだけ」という転回を見せるのだけれど、現実世界ではメインキャストの二人はこれを機会に映画業界へ転身したらしい。それは映画の質を基準とする本質主義をとるならあまりにも非本来的で、些末な事象の一つに過ぎないのかもしれない。けれどもそういうことが、いまはけっこう大事に思えるのはなぜだろう。そういうこと、つまりは作品周縁で作品の発生に付随して起こるリアルイベントの《渦》のようなもの。映画もまた呼吸をしていて、この世界と作品世界のみに留まらないあり方でつながっているということ。

 とはいえ今この文章を書きつけている自分もまたこの極東の島国の片隅で、あるいはその《渦》の最も外縁で、撒き散らされる飛沫の尖端に派生する一滴ではあるのだけれど。


 

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