乳の雨ふる
さうしてこの人気のない野原の中で、
わたしたちは蛇のやうなあそびをしやう、
ああ私は私できりきりとお前を可愛がつてやり、
おまへの美しい皮膚の上に、
青い草の汁をぬりつけてやる。
(萩原朔太郎 「愛憐」)
闇を厭い、光を求める。生存本能がそう欲する。闇を恐怖する。真の孤独は光からこそ生じるのに。視野へ見とめたわずかな昏がりを闇と錯覚し、ただひたすらにそれを恐れる。その闇は影であり、影のつくる輪郭だけがあなたなのに。だからあなたは恐れている。そうでしょう? 現にいま、闇を欲望さえするあなた自身を。その通り。ほんとうのところ、あなたは光を恐れている。神は云われた。「光あれ」
すると光があった。
インドシナ半島の中央やや南、カンボジア最大の湖トンレサップの北岸十数km地点に広がる密林湿地帯に建つアンコール・ワットは、三重の石造回廊が本殿を囲んでいる。その最外郭にあたる第一回廊の一辺は東西200メートル、南北180メートルに及び、四辺各々がヒンドゥー神話やクメール王朝の歴史物語を描く石彫レリーフで飾られる。壮大な石の語りに耳傾けるため一日半を第一回廊のみに費やしたのも、今では贅沢な過去の時間だ。この東面南側内壁を、乳海撹拌の物語が占めている。神々と阿修羅がマンダラ山に巻いた竜蛇を引き合い大海を撹拌し、そこから太陽や月や聖樹や酒の女神が生まれいで、最後にアムリタの壺をもった医神が現れる。はて。
乳とはなにか。
ベンガル虎は、ベンガルにはもうあまりいない。ということを知ったのは今朝のことだ。ベンガル地方ではガンジス河口部の湿地帯のみ、多くは亜大陸高原部やミャンマー国境域山岳部に棲まうその調査分布図をみれば明らかに、人間の影響だとわかる。ちなみにホワイトタイガーはアルビノではないのだという。遺伝子疾患によるメラニン色素欠落ではなく、氷期・間氷期に有利な保護色をもつ種としてメンデルの法則をくぐり抜け存続してきたらしい。ということも今朝知った。トラたちがヤシの木をぐるぐる回るうちバターになった話、あれホワイトタイガーの世界ではきっとクリームかチーズになるのだろう。ところでトラのぐるぐる絵だけを強烈に覚えているけれどあれ、元々なんの話だったっけ。おまえはなんの話をしているのだ。
あれ。
『ちびくろサンボ』だったらしい。そして終盤でトラ同士が喧嘩を始める『ちびくろサンボ』は初め、インドへ赴任したスコットランド人軍医の妻がわが子のために描いたものという。ちょっと驚く。ちびで黒いサンボはだから赴任地タミルの子どもがモデルであり、アフリカ系の黒人の子ではなかったことになる。なんだインド人か、なら復刊しても良いのでは。しかし世はブラック・ライヴズ・マターである。もはや黒人たることは問題の核心ではなく、いつまでもブラック企業がどうのこうの言ってられない。ホワイト企業を誇っている場合でもない。名誉白人じゃないんだから、バターをつくれという話になるちびくろサンボ2020。富士そばがカレーを売るのもそのためと誰かが言えば、それは明白なイエロー蔑視と誰かが言う。けれど実際、カレーうどんは外国人にけっこうウケたり。
光。
おとといからつづく小雨が、今朝はやや落ち着いている。南西諸島の東沖合を北上してきた台風14号は、本州をわずかにかすめ今後数日をかけ伊豆諸島に沿って南下するという。大海が撹拌されている。雨が降ると、あしたでも良い用事はどんどんあしたへ回されていく。東京でふだん履くメレルの靴が、水にすぐ染みるせいだ。これがバンコクであれば裸足にゴムサンダルだし、そもドサッと降ってすぐにやむから気にする意味がない。かの地へ残してきた数百冊の本たちへ、いまこの瞬間にも滲みいる大気中の水分子や黴菌糸の触手の尖端へ映り込む光の色を想像する。
きょうも世界をH₂Oが席巻する。