Prover
最近思ったこと。
大人が子どもの世界に飲まれてしまってはいけない。
子どもの世界は守るべきものだけれども、子ども自身が愛することのできないものならば、守る必要は無い。
愛して尽くすことために嘘を重ねるのなら、そこにある理由はきっと生きるために必要なものだけれども、その生き方の先がどうなるかは大人が教えてあげなくてはいけないし、その先が生き辛いのだとすれば、大人も変わるべきであることを知る必要がある。
大人の世界は、子どもの世界ほど変わることができない。
世界を変えることができるのは愛なのだけれども、愛は無尽蔵なものではないから、命を懸けなくてはいけない。
私は毎月100時間程度、残業することで命を削っているけれども、それが正しいとは思わないが、それはたしかに愛を表現するための時間であり、それがなければ成り立たない自分がいる。
いっそ死んだら楽になると思う。そんなことはよく思う。でも楽になるだけで、それ以上のものは何もない。それはとても悔しいことだ。
誰かにとっての、私の中にある必要な部分は、私が考えて、感じて、作り上げたものだ。ものづくりに大切な創造力を大切にすることは生きる意欲になる。そして、それを支えてくれるものもまた、誰かの創作物なのだ。
どんな仕事であったとしても、伝えたい想いがなければいけない。それが自覚できるものになったとき、それはとても伝えやすい形になって出会えたり、自分で作り出すことができるものになる。
死に別れた命がいくつかある。そういう出会いに、悲しんだ自分に恥じぬように生きるのだ。
祖母はもう数年で100歳になる。私はまだ、心配される孫である。私は何をしても中途半端で、何かを成すことはないかもしれない。もっと普通に生きたなら安心させることは出来たと思うけれども、私はきっと単純には生きれない拗らせ系なのだ。
それでも生きている。ということを示すために、私にできることを探して。
やりたいことは、たくさんある。今は要領よくできないことが多いけれども、時間を見つければ、まだまだ出来ることがたくさんある。
自己肯定感とは、出来ること、やりたいことを増やすことで満たされる。
子どもの世界と対峙するために必要なものは、大人の世界だけではない。夢のある話が必要だ。私はそういう夢のある約束をするために、この仕事をするんだと思う。
『この『Prover / Tell me』には、今の私と過去の私を詰め込みました。自分 の存在を証明するのは自分、そんな意味を込めてつけた「Prover」のメッ セージがみなさんの心に響きますように。FGOに、感謝と愛を込めて書か せていただきました。』
自分の存在を証明するために、必要になる存在に成り得ることは、子どもにとっての安心を生み出すことができる。
そういう先生が増えますように。