無知は往々にして…
先日掲載した『進化思考批判集』のまえがきに引用した、ダーウィンの一節、「ignorance more frequently begets confidence than does knowledge」は実際にはもう少し長い文の一部です。正確には以下の通り。
ダーウィンの著作『The descent of man and selection in relation to sex』は何度も邦訳されています。
最初は神津専三郎によって明治14年に『人祖論』として訳されています。該当部分は以下の通り。
え? 何だこれ??
いや、前後の文の訳はわかる。
It has often and confidently been asserted, that man's origin can never be known:
but ignorance more frequently begets confidence than does knowledge:
it is those who know little, and not those who know much, who so positively assert that this or that problem will never be solved by science.
こういうことでしょう。
そうすると、肝心の太字部分は中間部分ということになるのですが、
but ignorance more frequently begets confidence than does knowledge:
うーん?
どこをどう訳したらこうなるのだろう…??
検索してみたところ、どうやら『論語』の一節に「其知可及也 其愚不可及也」というのがあるようです。
だが、寗武子という人物の能ある鷹は爪を隠す的なエピソードらしいので、ちょっと話が違うというか、誤訳なのでは…という気がします。
次は昭和8年に『人間の由来』として訳されています。
お、これはなかなか良いんじゃないですかね。
ちなみに「屢々」は「しばしば」と読みます。「よりしばしば」は現代ではあまり使わない言い回しだと思うので、そこがやや難か。
続いて昭和13年の『ダーウィン全集6』を見てみましょう。
うーん、oftenを「多い」と訳すのはどうでしょう。頻度が高くても総数が少なければ、総数が多くて頻度が低いものより少なくなることはあり得るわけで。語順を倒置して「知識」を先に持ってきていますが、あまり功を奏していないような。
最後に、『進化思考』に山本七平賞を与えてしまった審査員の一人である「進化学の権威」こと長谷川眞理子氏による訳を見てみましょう。
うーん、こう訳してしまうと誤訳な気がします。
この訳だと、知識も自信を生み出すが、それ以上に無知が多くの自信を生む、という、どちらも自信を生み出すけれども量が違う、と解釈できてしまいます。そうではないのでは。
知識を得ることはむしろ「不知の自覚」に繋がり、謙虚になって迂闊なことは言わなくなる一方、ほとんど何も知らない者ほど「Mount Stupid」に上って大言しまう、ダーウィンの文で言えば「科学では解決できないとかほざくのは無知な奴だけ」、ということなので。
なお、長谷川による訳は1999年に『人間の進化と性淘汰』(文一総合出版)として出版されていたことに後から気付きました。この『人間の由来』は同じ内容の出版社違いの新装版かもしれません(国会図書館で調べていた時には気付かなかったので未確認です)。
【24/1/30追記 少なくとも該当部分の訳は同一でした。p15】
というわけで、既存の訳本にピンとくる訳がなかったので自分で訳したのが、
です。どうでしょう。ベストな訳かどうかはわかりませんが、少なくとも長谷川眞理子訳よりはベターなのではと自負しているのですが。
「文献は一次資料にちゃんとあたれ」というのと同様に、「洋書は翻訳者を信用して訳本で済まさずに原書にちゃんとあたれ」ということになると非常に面倒くさいのですが、まあ少なくとも大学院生以上はそのつもりでいないとダメでしょうね。