日記#6 陸前交通を振り返る(前編)
陸前交通は私が一番長く作っている架空鉄道だ。今年で7年が経過した。
今日は陸前交通のコンセプトが変わっていく過程を振り返ってみよう。
陸前交通は好きなものを自分の手で再生産し所有することで満足を得たいという、幼い欲求から始まった。当時の私は名鉄に傾倒していて、中でも特に旧性能車と呼ばれる古い電車に強い関心を寄せていた。私は昔から何かに傾倒していることが多かったが、傾倒の先には必ず再生産があった。好きなものを再生産することで手元に引き寄せるのだ。それは私にとって最大の愛情表現であった。名鉄の旧性能車に傾倒した私は、やはり再生産を求めて方法を模索した。そして陸前交通が生まれたのだ。
当初の陸前交通は名鉄のように多様な旧性能車が活躍する鉄道を作りたいというコンセプトで始まったから、この条件が満たされている舞台なら正直どこでもよかった。つまり空間性と時間性(文脈性)から孤立した創作として始まったのだ。これは今から振り返るととても鉄道ファン的世界観と言える。
とはいえ戦前の電車を主題としていたから、創作を進めるにつれ近代への関心が不可抗力的に生じてくる。私がまず興味を持ったのは百貨店、田園都市であった。「カッコいい電車の背景には百貨店と田園都市がある」こんな風に解釈し、好きな電車への憧憬を増幅させる装置としてそれらを位置づけた。当然このロジックは陸前交通にも適用され、戦前の仙台に阪急、東急のような百貨店、田園都市を作るという設定を掲げた。
この思考を今から振り返ると、時間性を獲得したが空間性が欠如していた時代の産物であると理解できる。戦前の大都市で展開された近代消費社会について理解し、それを鉄道車両への愛着に合流させることには成功しているが、中央と地方、西日本と東日本といった空間軸への思考が全くない。それどころか当時の私は戦前の仙台にターミナルビルや田園都市が生まれなかった事実を「東北、仙台の人々は近代を知らなかった」などと解釈し、「陸前交通によって東北を近代化する」といった啓蒙思想じみたことを考える始末であった。
仙台は「電鉄」が生まれるほど人口が足りない。人口が足りないのはなぜか、それは雇用が足りないからだ。雇用の源泉とは何か、それは工業だ。仙台を工業化しなければならない。このような思考が働き架空仙台なる概念が誕生した。これは仙台が産業化するシナリオを反実仮想することで、当時の私が考えていた大阪的な「電鉄」像に見合った鉄道を乗せる土台を築こうという試みであった。架空仙台を端的に評すれば意識の奥深くに根を張った東京中心主義と覚えたての知識を振り回す近代かぶれが合わさって生まれた暴力的かつ批評性のない試みである。
奇しくもこの時期、地理界隈では爆○○というものが流行っていた。これは特定の都市の人口を爆発させることで地下鉄を蔦のごとく「生やし」楽しむ遊びだが、架空仙台も爆化と同質なものと言える。(彼らは人口に発破をかけることを爆化と呼んだ)
ここまでの過程で陸前交通には架空仙台という上位概念が生まれ、仙台に近代を啓蒙し「爆化」させる創作へと変貌した。
(中編へ続く)