はすま電車論#1 貫通扉とデザイン
Mr.Densha氏のこのツイートを見て、私の関心とも重なるところがあり色々想起したため書き留める。
私はライフワークとして架空電車を考えており、日本の電車のデザインの変遷や傾向について注目してきた。特に貫通扉はこれから述べるように日本の電車を特徴づけるパーツだと考えていたから、Mr.Densha氏も似たところに着眼していることが嬉しくなり、こうして文を書くに至った。
貫通扉はマイノリティ
貫通扉とデザインについての私の見解を述べよう。
まず貫通扉というのは現代のデザインにおいてマイノリティだ。現在、世界の中で乗務員室に貫通扉を設置する様式を採用している国はざっくり言って日本、イギリス、アメリカである。そのほかの国では非貫通型が主流であって、貫通扉を前提にスタイル決めるわが国はイレギュラーなのだ。ここはまず押さえておきたいポイントである。
次に重要なのは貫通扉は段階的にマイノリティになったという点である。
例としてパリメトロ(RATP)の事例を見てみよう。戦間期の主力型である"Sprague-Thomson”(1908)には貫通扉があるものの、戦後型第一号であるMA51(1951)では非貫通となり、以降は現在に至るまで非貫通が踏襲されている。もう一つ、隣国の台湾鉄路を見てみよう。台湾鉄路は気動車の起源を日本、電車の起源をイギリスに持ち、どちらも貫通扉を有していたが、EMU700(2007)において非貫通となった。
このようなことが戦後から現代にかけて世界各地で起こった結果、貫通型車両というのは消滅していき日本、イギリス、アメリカだけに様式が残存したのである。
大型ガラスと立体化
ところで、件のツイートでは「1980年代以降、貫通扉を目立たせないデザインが主流になってきた」と考察されているが、これ非常に重要なポイントである。なぜ貫通扉を目立たせてはいけなかったのだろうか、それは既に非貫通前提となっていた西欧の美意識を日本に持ち込むにあたり、貫通扉が美的な意味での障害になったからではないか。
この点は重要なので詳しく掘り込んでいく。私は、当時の西欧における美意識が「ガラス面積の拡大」と「前面形状の立体化」を志向していたと捉えている。例としていくつかの車両を紹介しよう。
まずはRATP MS61を見てほしい。MS61はパリのRER開業に際し1966年に登場した車両であるが、膜のような大型曲面ガラスがせり出すような立体的なデザインは、まさしくガラスの大型化と形状の立体化がよく表れている。
次にSFSM ETR001を紹介する。
これはナポリをターミナルとするCircumvesuviana鉄道の車両で1971年に登場した。この車両は現代にも使われる様々な手法が試みられたデザイン史上重要な車両であるが、本題に沿ったところではやはり大型ガラスと鋭角な流線型といった特徴が見られる。
最後にDuewag U3を紹介する。
これはドイツのDuewag社が1980年に開発したパッケージで、フランクフルトのU-bahnに初めて導入された。窓が天井の間近まで拡大され、Mr.Densha氏のツイートにもあるヨコのラインの特徴が現れた電車であるが、ツイートで例示されたどの車両よりも前に登場している。
西欧的美意識と貫通扉
このように、80年代の日本の電車は非貫通型の先駆的デザインを採り入れていく過程で、貫通扉残存という要件をクリアしながら西欧的美意識をローカライズする営みがあったのではないだろうか。
そこには、車体の横長な断面を使ってヨコのラインを強調したい意識を、貫通扉という縦長の機能が遮るという構図が見出だせる。
言い換えると、ヨコ(美)とタテ(機能)の緊張関係が現れていると言えるのではないだろうか。
貫通扉とデザインという命題は、車両デザインにおける美と機能の緊張関係を浮き彫りにするという意味で興味深く、また貫通扉の残存にフォーカスすることで日本の電車のアイデンティティに対して理解が深まると感じる。
私はこの二つの観点から、貫通扉に注目しているのである。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?