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日記#1 高速電車

昨日はTLで高速電車という言葉を見た瞬間色々な思考が走ってしまった。書き出さないと苦しいままので書き出しておく。

高速電車という語彙を私は好んで使っていた時期があった。それは私が勝手に師と仰いでいる日野春木が提示する高速電車の概念に強い共感があったためだ。ちなみに私には彼以外に4人の師がいる。
しかし、思考が深まり冴えてくるに従ってこの言葉の語義や語法が極めてあいまいなことを意識せざるを得なくなった。語義や語法が定まらない言葉を文体で脚色してそれらしく演出するのは、人を欺いているような気がして嫌なので、最近は極力使わないようにしている。しかし日野春木が提示した概念には変わらず共感しているので、これを説明できる代わりの言葉を割り当てる必要がある。

数年前の私が念頭に置いていた高速電車は、大阪電気軌道から連なる高速志向の新設電気鉄道のことである。元来電車というのは都市内の路上を走るトラムから始まっており(さらに遡れば都市内馬車である)、電車という乗り物が開発された1880年代から30年程度はトラムのパラダイムだけが存在する世界だった。トラムのパラダイムにおいて敷かれた電車というのはグネグネ曲がっていて遅い。かつて電車は遅いのが当たり前だったのである。
(これは持論であるが電車が速いというイメージが全世界を覆ったのは新幹線の衝撃によるものと考えている。新幹線こそが高速電車の最終形であるからこの話ともかかわりが深い)
ところが1900年代以降、アメリカと日本で真っ直ぐ速い電車が誕生した。これはそれまで汽車の職分であったインターリージョン(間地域的)な輸送に電車が参入したもので、日本では阪神電気軌道(1905年)、大阪電気軌道(1914年)を嚆矢とする。
極めて簡単に要約すると「真っ直ぐで速くて長い電気鉄道」のことを「高速電車」と呼んでいる一派が存在し、私もその一員だということだ。
一派の人々に対して補足すると、電車について語るときはトラムのスケールを基準とすべきだと考えているため、ここでいう「長い」はトラムのスケールに対して長いという意味である。

かつて私はこれを指して高速電車と呼んでいた。しかし冷静に考えると「高速」という言葉の広がりに対して定義づけが甘すぎる。高速とは時速何kmなのか(しかもここで訴えたいのは最高速度ではなく平均速度である)?線形も重要な要素であるし、どこまでが都市でどこからが都市外なのかも明確にしなければならない。更に地域圏を結ぶとはどういうことか、説明しなければならない。

このように、疑問は尽きない。

トラム、郊外電車、電鉄、インターアーバン、市電、電車、高速電車、私たちは様々な言葉で同じようなことを形容していてその境界について真剣に考えている人は居ない。私たちは、これらの言葉を単にかっこいいから使っているに過ぎないのではないか。私にはそういう自覚がある。高速電車に限らず、私たちは言葉が拙すぎる。これでは何も訴えることはできない。
(訴えたいことはないが何かを言っていたい人はそのままでいいかもしれないが、それは私とは交わらないだろう)

世界の鉄道はもっとはっきりしている。私鉄はとっくに解体され事業者は地域あたり一つか二つになっているし、メトロは独立したネットを持ち相互直通運転で南栗橋のような場所にはいかない。私たちが電鉄と形容するような戦前由来の電気鉄道は新線に上書きされるか廃止されていて、歴史的にも区切りがはっきりしている。
それに比べて日本の鉄道史は極めて曖昧であるから、私たちの認知が曖昧になるのもやむを得ない。とはいえもうそろそろやめにしてはどうだろうか。そろそろ日本の鉄道趣味を世界の鉄道と接続させ、閉鎖的で独りよがりのユートピアに他者を入り込ませるべきではないか。


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