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社会人は何を目標に生きているのだろうか。

将来への不安について書くことが増えた。
今日は「どうして僕たちは将来に希望を見出せないのか」を、迷える大学生として考えてみた。


中学生の僕には、明確な目標があった。
医療系の仕事に就きたいと思い、そのために進学校を目指した。人に教わるのが嫌いだった僕も塾に通い、一人暮らしのために母から料理を教わった。そして無事、志望校に合格した。

高校生の僕にも、明確な目標があった。
ハンドボール部に所属し、「全道大会で1位になり、全国大会に出場する」というチームの目標に向かって週6日練習した。結果は惜しくも2点差で逆転負けだったけれど、誇らしい試合だった。

浪人生の僕にも、明確な目標があった。
大学受験に一度は失敗したけれど、「あの大学に入る」と決めて勉強を続けた。そしてセンター試験で、その大学の2位で合格することができた。


そして今。大学4年生の僕は、初めて「迷い」に直面した。
薬剤師になるつもりで薬学を学んできたけれど、実習で患者さんと接し、業務を経験する中で「自分には向いていない」と痛感した。その瞬間、何を目標にして生きていけばいいのかわからなくなった。


学生時代は、節目ごとに明確な目標があった。
「〇〇に合格する」「部活で優勝する」「好きな人と付き合う」――すべてゴールがはっきりしていた。

でも大学生になり、社会に足を踏み入れた途端、「次のゴール」が見えなくなった。
大手企業への就職や安定した職に就くことも立派な目標だろう。けれど、その先に何があるのだろう?


「将来の夢は?」と聞かれたとき、日本人は「職業」を答え、海外の人は「どんな生活を送りたいか」を答えるという。
僕はまさに「ザ・日本人」だった。

目標が明確だった頃は、それに向かって努力すればよかった。でも、職業という「夢」を叶えた後、昇格や貯金、幸福――どれも悪くないけれど、燃えるような情熱を感じるわけではない。


まるで長い夢から覚めた朝のように。
「…あれ、俺は何をしていたんだっけ?」と、ぼんやりしてしまう。
ずっと「夢」という明確な目標に依存して生きてきた僕は、それを失った瞬間、次に何をすべきかがわからなくなった。

この不安が一瞬で消えてくれればいいのに――そう思う。


でも、僕には「書くこと」がある。
今この文章を読んでくれている、同じように迷っている誰かに届けたい。

だから僕の次の目標は、
「大きな夢がないときに、何を目標にして生きていけばいいのか。その理由を見つけること」

その答えを、僕自身が見つけ、そして伝えたい。
今はまだ答えが見えないけれど、この文章が最初の一歩になると信じている。

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