悪しからず。
noteの色んな記事を読んでたら、丁度受験生らしき人々の記事を見つけた。自分がいつも入試や教育を調べていたからその線で、noteがピックアップしてくれたんだと思う。勉強がなかなか上手くいかない中、それでも必死に取り組んでいる内容の記事だったと思う。本稿はそれらに対する一部アンサーといった記事だと申し上げる。
受験勉強を通して結果を出して志望校に行く。それは尊いことで胸を張れることなのは自明だ。けれども、四月から始めて、成績が順風満帆に伸びて、年明けの模試はA判定の万全な態勢で試験本番に臨む、というケースを筆者は筆者自身の受験生時代を含めても周りにいたのを見たことない。受験は神経戦、と言いたいところだが、実際は軍事訓練に等しい。同じ内容を色んな聞き方をされても、正確に応答するシミュレーションだ。だから、一度の模試の結果で一喜一憂する必要はない。しかし、私を含め数多くの受験生が一点でも多く、を神経戦として捉えがちだ。
軍事訓練は楽ではない、というか体調を崩すくらい破壊的な作業である。一日の大半を勉強に捧げ、見返りが保証されていない競争に身をさらす。受験はフリーランスの仕事に近いかもしれない。
ここで、私の受験に対するマイアンサーを申し上げたい。
「受験はギャンブルだ。」
賭ければ賭ける程、当たるものも大きいが、外れれば失うことも沢山ある。筆者自身、受験のせいで失った点は枚挙に暇がない。
だから、時間と金をまとまって賭けるのは誇らしいし、尊いことかもしれないが、受験勉強を通して、自分の限界を体得することも実は意味がある。
それは第一志望校を下げろとか、諦めろという話ではない。勉強の質の問題だ。人には出来る学習のクオリティーにはそれぞれ限界がある。密のある学習の質を維持した日々を送るにも、人間自体にキャパシティにも一定の限度がある。だから、自分の学習の質を一旦ペンを止めて、客観的に考えてみて、これ以上やったら、続かないなとかもっと出来る出来ない、得手不得手を具体的に抽出して挑んでみようとか、学習の過剰な空気を抜かなきゃ、軍事訓練の続行は不可能と考えねばならない。たまには一日通して、休むといったこともしないといけない。最も、これから直近で受験に臨む人には関係のない話だが。息を抜く作業は社会人になってから特にマストなスキルといっても過言ではない。力みっぱなしで机に向き合う人はストレスで倒れてしまう。
昔は出来たのにとか色々過去の武勇伝から、現在の自分を卑下してしまうのは、若人によくある心理作用だ。でもそれは過去の自分の努力がたまたま結果に結びついたという事に過ぎない。サッカー元日本代表の本田圭佑がチェスカ・モスクワでは凄かったのにと振り返るのはスポーツニュースくらいで、一般視聴者は今現在はどうなんだ??に全部の関心を向けてるという事象までは報道されない。黄金期、とは努力は否定しないが、それほど入力スキームが複雑ではなかったと考えた方がよい。それよか、この複雑な大学受験という化け物に挑んでいる皆さんには、スラムダンクの三井寿に対する安西監督の
「もう君はとっくにあの頃を超えている。」
という言葉を免罪符にしていただきたい。