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福岡平野に残る製鉄の跡 - かじぃのポータル再訪紀7 善一田古墳群

善一田古墳公園

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梅雨、というか、雨季といってもいいかもしれないこの時期、水害に心を痛める日々が続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
もちろん、豪雨被害は水害だけでなく土砂災害も心配です。
それでは、みなさま御唱和ください。

くれぐれもご安全に!!!

水害や土砂災害に悩まされるのは、もう地震と同じようなもので、日本に住んでいればつきまとう問題です。
その辺は今も昔も変わらなかったようで、古代日本も治水・土木というのはかなり重要視されていたようです。
さて、この治水・土木技術というのはどこからやってきたのか?という話になると、朝鮮半島からやってきた渡来人が古代日本に伝えたと言われています。

古来より雨だけではなく、川の奔流は水神・龍に例えられて祀られてきました。
この龍神を祀るという信仰は「水を抑える」という治水の技術と両輪だったと思うんですよね。
そういう意味において最大の龍神退治である「素戔嗚尊の八岐大蛇退治伝説」も大和朝廷に逆らう部族を討伐した説だけでなく、氾濫する河川を抑え込んだという治水説もあるわけです。
個人的には寺田寅彦が「神話と地球物理学」で唱えた「製鉄部族征伐の物語」である説を推してたりしていますが。

改めて、素戔嗚尊の八岐大蛇退治の概要を。

むかしむかし、あるところに素戔嗚尊がいました。
素戔嗚尊が高天原を追放されて「ちぇー」とか言いながら川岸を歩いていると上流から箸がどんぶらこどんぶらこと流れてきました。
箸を拾い上げ、川上に向かった素戔嗚尊はそこで八岐大蛇に生贄として娘を差し出さなければならない状況に陥っている夫婦に出会います。
生贄に差し出さなければならない美しい娘の名は櫛名田姫。

櫛名田姫に一目惚れしてしまった素戔嗚尊は夫婦に提案します。
「この美人をもらったるわ。どうせ生贄になるんやったら、オレが貰っても問題ないやろ。そん代わり八岐大蛇とやらをぬっころしてやんぜ」
マジかよサイテーだな素戔嗚。
最初は「この脳筋野郎、大丈夫か?」と怪しんでいた夫婦ですが、素戔嗚尊が天照大神の弟だと聞くや否や手のひらクルー。
交渉は成立し、素戔嗚尊は八岐大蛇退治に乗り出します。

八つの首を酔わせるために八つの酒樽を夫婦に用意させ、八岐大蛇をベロンベロンに酔わせた素戔嗚尊は、櫛名田姫を呪力の籠もった櫛に変えてその髪に刺し、十束剣(天羽々斬)で八つ裂きにします。
酒に酔わせて騙し討ちとか、マジかよサイテーだな素戔嗚。
八岐大蛇のしっぽを切ろうとしたら、この十束剣の刃が欠けてしまいました。
なんやねん?って思ってしっぽの中をまさぐってたら出てきたのが天叢雲剣。

素戔嗚尊は草薙剣と櫛名田姫を伴って、意気揚々と凱旋。
その後、素戔嗚尊と櫛名田姫は須賀の地に宮を建てて末永く幸せに暮らしましたとさ。
とっぴんぱらりのぷぅ。

この物語の意味するところは「世間に対して反抗的な厨二病脳筋野郎でも、血筋さえ証明できれば美人を嫁にできる」というところです。
え?違った?そんな話じゃないっけ?

「異部族討伐説」は「婚姻」と「退治」の部分に拠っています。
「氾濫河川治水説」は「龍=水」に拠っていますね。
「製鉄説」は部族討伐と合わさっていて、八つの首は「流れ出した鉄(溶岩)」、「天叢雲剣が出てきた」という点と「討伐」と「婚姻」という部分に拠っています。
つまり、素戔嗚尊は製鉄技術を持った部族を征し、十束剣よりも遥かに強い天叢雲剣を精製する製鉄技術を手にしたという解釈もできるわけですね。

さて、前置きが長くなってしまいましたが、太宰府の上から流れてきた水が御笠川として貫通する福岡平野の古墳群、善一田古墳群。
この古墳群で特徴的なのが「製鉄」の跡が見られる点です。
朝鮮半島から真っ先に最新の製鉄の技術を受け継いだであろう福岡平野の豪族の古墳から、製鉄の道具が見つかったという点が非常に興味深いわけです。

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大野城市の市指定史跡、善一田古墳群。
場所は大野城市の東部の新興住宅地、乙金という場所の山際にあります。
2019年に整備が完了し、善一田古墳公園として整備されています。
乙金っていう地名も興味深いですね。
つい最近まで「なんで乙金って地名なんだろう?」って思っていましたが、この善一田古墳群の話を聞いてようやく納得できました。
冶金が盛んだった所だったからでしょうね。
それにしても、その頃の名残でそまま地名が残ってるのも凄いな。

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引き気味で公園の全体像を撮影。
ぽこぽこと盛り上がっているのが全部古墳です。

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最近の案内板は立て看板じゃなくて、こんな風に低い位置に斜めに掲げてあって子供にも読みやすくシャレオツな感じです。

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大野ジョーくんが公園の巡り方と周辺の遺跡を紹介してたりもします。
ジョーくん、相変わらず石垣リーゼントがCOOLだね。

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この善一田古墳群の最古で最大の古墳、18号墳被葬者のイメージだそうです。
馬に乗ってるのは、鉄製の馬具も副葬品として出土してるからでしょうね。

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古墳だけでなく、出土品に関するTipsなんかも遊歩道沿いに点在していて、なかなか凝ってます。
新羅製土器っていう、表面をスタンプで文様付けする土器も副葬品として出土しているらしく、朝鮮半島の渡来人の影響を受けている事がわかっています。

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こんな感じで墳墓の名称と、特徴を石版で案内されています。

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ウォークイン古墳。
土がむき出しになっているように見えますが、あれは土っぽく見えるコンクリートです。
14号墳は羨道も玄室も天井が取り払われていて、完全にウォークインできます。

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13号墳。
一番最後に作られた古墳。
水城跡や大野城が作られた頃ですから、朝鮮半島とヤマト王権との国勢がきな臭くなってた時代ですね。

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13号墳は玄室の天井も残っています。
柵があって中には入れないようになっていますが。

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玄室の中は、先日の豪雨のせいで水浸しです(苦笑

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17号墳からは鉄刀が出土しているようです。

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17号墳は閉塞石を残して天井を取っ払った形で展示されています。

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完全ウォークイン、玄室再現、閉塞石再現と様々な形で展示されていることが分かります。
凝ってるな!大野城市教育委員会!!

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古墳だけでなく、土坑墓群もあります。
古墳が作られなくなっていった頃の墓ですね。
それでも副葬品があるってことは、まだ完全に仏教の影響が及んでいないことを表しているんじゃないでしょうか。

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こんな感じで発掘調査の後にコンクリートで蓋をされています。

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19号墳は天井石が大きいのが特徴。

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柵には古墳造成を支えた土木技術や、古墳の前で行われた祭祀(お祭り)の紹介がされています。
沖縄のお盆はお墓の前で宴会をするそうですが、それに似た風習があったということでしょうか。

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どーんとでかい天井石。
実際には柵に阻まれて中に入ることはできません。

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公園を突っ切る小川もU字溝として埋めるのではなくこのように整備されていて、色々考えてるなぁと思います。

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笹舟レースとかやったら面白いとは思うんですけど、水量が少ないか……。
小学生にとってはたまらん遊び場でしょうね。

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最古にして最大の古墳、18号墳に登っていきます。
斜面の右側には土坑墓も見切れてたりしています。

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雨の影響でしょうね……。
土のうで固められています。

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18号墳から公園全体を見た景色。
裏は山なんですけど、表はほんと住宅街。

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18号墳の案内板。
地域のランドマークってでっかく書かれていますね。
6世紀後半に作られた「善一田古墳群で最初の古墳」と書いてあります。
ということは、この18号墳の後に周囲の古墳が作られたという話になります。
ランドマークになった古墳の周りに新しい古墳を築く。
そうやって古墳群が形成されていったというのは、18号墳の主がいかに偉大だったのかを象徴しているように思います。
東西26m、南北22mってでかいな!
ここで製鉄の道具である鉄鉗(かなはし)が出土しています。

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18号墳は羨道に入っていけます。

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玄室は柵に阻まれますが、他の古墳とは違い、作りも凝ってるように見えます。

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景観案内板まであります。
遺跡を示している写真の左上に博多湾が見えますね。
これでおおまかな位置関係が分かるんじゃないかなと思います。

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現在の景観。
住宅街っ!って感じでしょう?
その山際にあるんです。この公園。
すぐとなりに乙金公園があります。

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雨の合間を縫った撮影。
紫陽花が咲いてました。

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「名もなき英雄の道」ですよ!
ネーミングセンスが秀逸!
馬具、弓矢の鏃(やじり)、弓の金具、ゆぎ、胡簶が出土しています。
武人としても偉大だったのではないでしょうか。

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そして、鉄鉗(かねはし)。
錬鉄を打つ際に鉄を押さえるための道具ですね。

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18号墳墓の裏側からの景色。
雨の合間を縫った撮影だったため、どんより雲が残念です。

善一田古墳群の18号墳。
その主は「名もなき英雄」としてこの墳墓に眠っています。
しかし、その性格は以下のような形で想像できます。
・福岡平野でも最大級の古墳を築いた有力者
・朝鮮半島との交流、そして渡来人との関係があった
・武人
・鍛冶集団との関連性
当然、太宰府の前身だった那津官家との関係もあったのではないかと思います。

この善一田古墳群の近くには乙金窯跡や雉子ヶ尾窯跡群もあり、須恵器を中心とした窯跡があります。
この須恵器の「窯」という「高温焼成技術」は、そのまま鉄器の製造技術にも組み込まれていった可能性はじゅうぶんにあると思っています。
この善一田古墳群のすぐとなりにある宇美町の「炭焼」という地名は、こういった高温焼成窯の炭を生産していたのではないか?とかいう話を、sinXsanとのチャットでやってたりしてました。

ここから先は与太話。

神産みの神話において、迦具土命という「火の神」は物凄く重要な位置を占めています。
迦具土は伊弉冉のほと(陰部)を焼いて生まれ落ちるわけですが、この迦具土を斬った伊弉諾が使った剣が十束剣です。
「火の神」が「火の産物」である剣によって斬られるという、なかなかに興味深い物語が潜んでいます。
そして、黄泉比良坂で追いすがる黄泉醜女を振り払うために、後ろ手で振ったのもこの十束剣です。
また、十束剣によって退治された八岐大蛇から天叢雲剣が出てきています。
(迦具土を斬った十束剣(天之尾羽張)と八岐大蛇を斬った十束剣(天羽々斬)は別物だと解釈するんだそうですが)

櫛は古では「呪力」発動の鍵であったと考えられていて、前述の素戔嗚尊が櫛名田姫を櫛にしたのもこの「呪」を活かすためだったという話もあります。
黄泉醜女を黄泉比良坂で振り払うために櫛を投げて筍に変えたというのもなかなかに象徴的な話です。

古墳ってのも「黄泉の国=玄室」「黄泉比良坂=羨道」という説があることを聞いたことがありますね。
あと「黄泉の国=子宮」で「黄泉比良坂=膣」の見立てだという与太話も聞いたことがありますよね。
でもアレですよね?「窯」も古墳に似てません?
ってことは「窯=黄泉」って図式も成り立つわけで。
ん?ちょっと待てよ。
子宮から迦具土が出てきたせいで陰部に大やけどをおった伊弉冉が死んだ?
窯から火が漏れ出て来たせいでえらいこっちゃになった?
製鉄の話か?これ?www
(あくまでも与太話です)

そして、前述の八岐大蛇退治譚のきっかけである「川の上流から箸」。
これ、しばらく謎だったんですけど、鉄鉗(かねはし)という単語を見て「アレ?」となったんですよね。
もしかして、箸と鉄鉗とかけてたってことない?
鉄鉗(製鉄の道具=製鉄技術の片鱗)を見かけて高度な製鉄技術の存在を知り、高度製鉄技術保持部族に圧迫されていた人達を助けて、酒と十束剣と櫛(呪術)を以て高度製鉄技術保持部族を討伐したっていう話なら辻褄が合うんじゃね?
酒?酒はなんだろ?単なる騙し討ちかな?
なんだやっぱり素戔嗚尊サイテーだな。
(しつこいけど、与太話です)


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