9月25日(火)〜30日(日) 吉田寮など
9月25日(火)
雨。RimWolrdをひたすらやる。
寝る部屋を相部屋にすると心情が下がるけど(下がりすぎると発狂する)、部屋を豪華にすると心情が上がるので、豪華な相部屋を作れば結構それでみんなの満足度を保てるな。巨大な部屋にたくさんのベッドとたくさんの芸術作品を置きまくる感じで。相部屋でも問題なくカップルはセックスするし、それで他の人も嫌がらない。
寒波で畑が全部枯れて詰みかけたけど、温室を作ってなんとか食物の自給体制を整えた。
こないだ収録したハロウィン記事が公開されるている。
参加者に顔出しNGの人が多く、用意されたコスプレのうち仮面は顔出しNGの人が付けたので、コスプレの選択肢があまりなくて、とてもかわいいカボチャの着ぐるみを着ることになってしまった。
タンは美味しかった。調理法によって食感がこんなに変わるものなのかと思った。
9月27日(木)
ジョナサンで原稿をやったあと、前に住んでたシェアハウスの荷物の片付けに行く。ここに本を結構置きっぱなしにしてるのを何とかしないといけない。
帰って家でリムワールドをひたすらやる。原稿もやらないといけないのだけど……。寒くてやる気がしない。電気毛布にくるまる。
『月に吠えらんねえ』9巻、『現代詩手帖』の月に吠えらんねえ特集、『現代短歌』歌人の俳句特集、岩倉文也『傾いた空の下で』など、詩歌俳句の本を集中して読む。なんかそういう気分だったので。俳句と短歌の違いについて考えたりする。
「季語は<私>を離れる装置」という話があって気になったりした。そうかー、なるほど。俳句面白いのだけど、短歌の依頼も来たから作らないといけない。俳句脳と短歌脳は違うので、違う日にやったほうがいい。
俳句とか短歌ばかり読んでると頭が俳句脳、短歌脳になってくるのだけど、そうするとネットで文章を読んだときにすぐに五七五になっていることに気づいたり、ふとつぶやく言葉が自然と五七五になっていたりする。
短歌は久しぶりに作るのだけど、作れるかなあ。ユリイカの2016年8月号の短歌特集の号を読む。この特集は歌人以外のいろんな人に短歌を作ってもらっているのだけど、そういうのを見ると、やっぱり慣れてないな、これよりはうまいのが作れるだろう、と考えてしまう。だけど、そんなことを考えてしまう自分が嫌になる部分もある。歌人にしかわからない短歌の良さというのがあんまり好きじゃないからだ。短歌を普段読む人にも評価されて、あまり読んだことない人にも評価される、そんなのが作れたらいいのだけど。
僕が昔短歌を作らなくなった理由は、自分が穂村弘や枡野浩一くらいに才能があって、短歌界以外の人にも届く短歌を作れたら作り続けてもいいけど、たまにちょっといいのが作れるくらいでそこまでの才能はないし、それだったら多くの人に読まれる散文を書こう、(そのほうが張り合いもあるしお金にもなるかもしれない)、と思ったからだった。
詩歌の話は自分は面白いのだけど、ネットに書くと驚くほど反響が少なかったりするので難しい。そこをうまくいろんな人に興味を持たせたいところだけど。インテリのお遊びみたいに見られちゃうかなあ。
9月28日(金)
最近やる気がなくて、一日一食だけボリューム多めの外食をして、あとはなんか適当にパンとかお菓子とかをだらだら食べてることが多い。自炊する気力が全くない。体重は1、2キロ増えた気がする。動いてないせいか。
RimWorld、難易度ノーマルで二回目のクリア。ちょっと飽きてきたしもういいかな。
ヨッピーが吉田寮の記事を書いていてびっくりする。こんなんやってたんだ。
こういう直接的にカネにならなそうな自分がやりたい記事を、ちゃんとスポンサー見つけてきて企画にするの、えらいな、自分にはできないな、と思う。さすがヨッピーだ。
こういうのを自分のやる気だけで記事化しても、予算出ないからあまり労力もお金もかけられないからしょぼい内容に終わっちゃったりするしなあ。
僕もスポンサーつけて自分の好きなこと書いて数十万もらうような記事を書いてみたい気もするけど、営業とかプレゼンとか調整とかやりたくないから無理だな。お金にならなくても自分のペースで書いてるのが性に合ってると思う。
文中に出てきているラーメン屋は「みみお」といってとても美味しいので吉田寮近辺行った際にはどうぞ。吉田寮も見学受付中らしい。
9月29日(土)
雨。台風が近づいてるらしい。そのせいか体が重くて動かない。本当はもっと早く出ようと思ったのだけど、だるさと戦っていたのでなかなか出れず、16時ごろ家を出て京都に向かう。
京都駅から吉田寮へ。吉田寮は大学側から退去しろと言われていて、その期限が明日の30日までなのだ。大学側は老朽化を問題にしているけれど、耐震補強するという選択肢もあるし、築100年の旧棟だけでなく築5年の新棟からも退去させようとしてるのも変だし、結局学生が自由にやってる空間が面倒くさいから潰したいだけなのだろうと思う。
昔から学生自治といって、大学の中のことは全部大学側が決めるのじゃなくて学生とともに決めていこうという精神があったのだけど、そういうのが通用しなくなっているのだよな。面白い文化や面白い人間が育まれているから残ってほしいのだけど、「面白い文化や面白い人間が育まれているから」という理由だけでは今の御時世厳しいとも思うので、難しいところだ。
民間でこういう精神を引き継げる場所を作れたらよいのだけど、どうだろうなあ。カネにはならないし、その場にインストールする精神を形成するのも難しい。
寮の食堂では毎週土曜に誰でも見れるライブをやっていて、今回は2バンドあってどちらも知り合いが出ていた。どちらの演奏もよかった。
ライブを見たあと酒を飲みながらだらだらとする。吉田寮があるから卒業してからもこうやって来れる場所があって、ここに来たら知り合いがたくさんいるという感じになっているのだけど、なくなったらすごく寂しくなってしまうな。
9月30日(日)
午前中に起きて東山に向かう。大学時代の知人が死んだので、彼を偲ぶ会が彼の実家であるのだ。とても大きい家。15年前くらいに何回か来たことがある。
彼は6回自殺未遂して7回目で本当に死んでしまったらしい。僕は10年くらい会ってなかったので3回目くらいまでしか知らなかったのだけど。
生きてるうちは面倒臭いやつだなと思っていたのだけど、死んでしまうとわりといいところもあったような気がしてくる。薄情だなと思う。
チャーミーという大きな台風が来るというので、昼過ぎの京都は電車も止まり、店もあらかた閉まっていた。こんなにシャッターが降りている四条通りは初めて見た。
大学側が定めた吉田寮の退去期限が今日までなのだけど、吉田寮側は退去に納得していないので普段通りにまだみんな住んでいる。今日は吉田寮の食堂で吉田寮しばい部の公演がある予定だったのだけど、台風で中止になり、でもせっかくだから通し稽古を公開するということで見に行った。
退去期限の日のせいか人が多い。みんななんかそわそわしている気がする。食堂の隅で台本を見ながら芝居の稽古をしているのを眺めつつ、だらだらとソファでビールを飲んだりする。そのへんにあった料理や酒を適当に飲み食いしてザルに小銭を放り込む。とても騒がしいのだけど、隣のテーブルでは何故か中学生が数学の勉強をしていて、それを京大生が何人もで囲んで教えたりしている。いい環境なのか悪い環境なのかよくわからない。芝居の通し稽古は3時間くらい続いていて、長すぎて見たり見なかったりしていたので筋はよくわからなかった。なんかタイムスリップしていたことだけわかった。
芝居が終わるとDJが音楽を流し出す。退去期限が今日までということで、日付が変わる瞬間が近づくとカウントダウンが始まる。音楽が止まってトラメガを持った寮生が話し出す。
「ないと思いますが、ひょっとしたら日付が変わると同時に電気が止められる可能性があります! その瞬間を見守りましょう!」
10、9、8、7、6、5、4、3、2、1、ゼロ。
電気は消えなかった。とりあえずいきなりインフラが止められるということはなさそうだ。
爆音でDJが再開する。音楽はレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンから、パワー・トゥー・ザ・ピープル、インターナショナルなどそれっぽいものが流れる。僕がいた20年前と流れる音楽が変わっていないなと思う。最近の音楽ってみんな知ってて声を合わせて歌うようなのがないのかもな。
この場所がもうなくなるかもしれない、というのがあるせいか、みんなやたらとテンションが高くなってる気がする。僕も多少恥ずかしくなりつつも、声を合わせて歌ったり踊ったりした。なんかこういう集団の熱狂はあるよなあ。戦争や祭りのような。みんながすごく盛り上がっていて自分なんてものは小さくなって、この勢いの中ならなんだってできる気持ちになるような。
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