映像授業とライブ授業の違い(数学)
現在、所属している予備校はライブ授業を実施できず、映像をオンライン配信して自宅学習を奨励している
この対応自体になんら不満はなく、今できることとして最善手だと思う
しかし受験生からしてみると、映像授業を一方的に提供され自分で学習を進めよ、というのはなかなか大変なことだ
「予備校の教室に赴いて授業を受ける」という空間的な強制力が働かないことは、ただでさえモチベーションが低下しがちな近況と照らしてみても自力で学習を進める大きな障害になりうる
それに、内容的にライブ授業と映像授業とでそう大きな違いはないように思うかもしれないが、実は多くの相違点があることも自宅学習を難しくする要因となりうるのだ
この記事では映像授業とライブ授業とで一体どのような差異があり、そのことが自習状況にどう影響を及ぼしうるのか、ということを解説してみようと思う
1:板書ミスに対する対応
映像とライブの違いで真っ先に話題に上がるのが、板書ミスだ
お恥ずかしながら自分は板書ミスをちょいちょいする講師であり、それは書き写し間違いや、計算ミスによるものがほぼ全てだ
この板書ミスは多くの場合、ライブ授業においては「あるもの」を使って間違いに気がつくことができる
それが、「生徒のリアクション」なのである
授業を受けている生徒の中には、解説を聞きながら式変形も同時進行で実行してくれている生徒がいる
このような生徒がいる場合、板書ミスをした箇所があると雰囲気がガラリと変わる
生徒の表情や仕草に迷いや悩みが生じるし、クラスによっては教室の空気感そのものが悪くなる
普段目の前に生徒がいれば、このような生徒のリアクションを借りて自分の板書に不備がないか気にかけることができるのだ
さて、映像授業でこのような対応はできるだろうか?
いうまでもなく、もちろん「できない」
このことから、自分の映像はもちろん、どの講師の映像授業を見ても、ライブ授業よりも板書ミスの可能性は高くなっていると思ったほうがよい
2:雑談を入れるタイミング
講師によっては、雑談が絶妙で授業が楽しいという講師も多くいる
自分はそんなに雑談をするタイプではないが、雑談を全くしないわけでもない
状況に応じて他愛のない話をすることもある
この雑談だが、ライブ授業では「生徒の集中力が低下している」と思われるタイミングに入れることが多い(自分の場合)
目の前の生徒の様子から、現在の状況を察してタイミングを図っているのだ
このように雑談をいつ入れるかを生徒のリアクションから決めている講師の場合、映像授業内の雑談は素っ頓狂なタイミングに差し込まれることがある
だから、映像にどっぷりと集中しているのに雑談で遮られるなんてことも起こりうるのだ
逆に、集中力が切れ始めたタイミングで、映像は重い計算を始めるということもある
重い計算に着いていくには1つずつ確実に計算を処理しなくてはならないが、これは大変な集中力を要する作業だ
このように、映像授業は受講している生徒の「今の状況」を置いてけぼりにせざるをえないため、受けている側からするとライブ授業のときよりも「授業に集中しにくい」状態になってしまうのだ
3:前提とする知識・途中の計算過程の詳しさ
通常のライブ授業でも映像授業でも、教える側1人に対して受ける側は多数いる
そしていうまでもないことだが、その1人1人に学力の差がある
さて、校舎の教室でライブ授業をする場合、そこそこ近い学力レベルの生徒が集められることが多い
そのような場合、例えば上位クラスでは定義や公式の確認をせずに当然のように利用して授業を進めることもあるし、下位クラスでは使う定義や公式の確認を挟みつつ、どのように利用されているかから説明することもある
この説明の詳しさのバランスも、目の前の生徒たちの状況に応じて変えているのが普段のライブ授業である
これが映像授業となるとそうはいかない
上位クラス在籍の子が、下位クラス向けの授業を見て「そんなこと知ってるよ」と思うことがあるだろう
下位クラス在籍の子が、上位クラス向けの授業を見て「そんなの覚えてない、忘れた、知らない」と思うこともあるに違いない
授業をする講師からしてみると「今、授業を受けている生徒の層」が想定しにくいため、説明が冗長になってしまったり、あるいは端折りすぎになってしまったりということがある
これは映像を見る側にはどうしようもないことであり、授業をする側にとってもどこまで詳しく説明するかは悩ましい問題なのだ
こと数学においては、知識面と同じくらい「計算の途中過程」をどこまで詳しく解説するかが問題になる
本音を言えば「自分で手を動かしてもらえばこうなりますよ」と言って結論を示してお終いにしたいくらいなのだが、映像を見る人が皆自力で手を動かせるとは到底思えないため、毎回計算をどうするか悩みながら授業をしているわけである
4:映像授業の受け方 〜受け身にならない〜
ここまで紹介してきたように、「今授業を受けている生徒」の姿が全く見えない映像授業は、教える側と受ける側のギャップが生じやすい授業形式にならざるをえない
このことを承知いただいた上で、ではどういうことを意識して映像授業を受ければいいのか、という対策を講じてこの記事の締めとしよう
大前提のスタンスとして「受け身にならない」ようにしよう
今見ている映像をそのままインプットとして利用するのではなく、「本当にそうなのか」という批判的(≠批難的)な視点を必ず持つことが大切だ
数学ならばこれは簡単で、自分の手を動かせばよい
計算が必要ならば、映像を「一時停止」してでも自力で計算してみよう
公式や定理が説明されたのであれば、それらの証明は可能か考えてみよう
内容が簡単だというのなら、その説明を自分は何も見ないでできるか考えよう
授業が難しく感じたら、公式や定理名を調べてみるところから始めて、少しずつ理解を深めよう
こういった自発的な取り組みを映像と平行し、説明された内容と差が生じたり、自力ではどうしようもないことが発生したりしたら、それらは質問によって解消していく
自分の所属する予備校も、オンラインの質問対応をリアルタイムで行なっているが、こういったシステムを活用して「自分の」学習を進めるのだ
映像を受けようとライブ授業を受けようと、学習の主体は生徒である
映像をただ眺め、そのままインプットするだけの受け身な姿勢ではなく、自分の状況に応じて自分の学力を高めるための使い方をしていけるよう注意して欲しいと思う