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生き物としての敗北感


昔から海に潜れば岩陰に怯え
足下や背後に怯え
遠くに泳ぐ魚を見ては体がこわばる
どうしようもない奴だった

けど海を漂っている自分を想像すると生き心地を感じるので、想像を抱えたまま現実の海に歩みを向ける。

そして現実の海では怯えることしか出来ず、自分の生き物的弱さに負けて陸に上がる。

怯える、とか
緊張する、とか
五感を敏感にする、とか
生が当たり前でないところ、とか

そういうことに
自分が生き物であったことを思い出す。
日々の生活で自分は生き物だけど生き物じゃないみたいな、人間中心主義みたいな社会で暮らしてるとそんな感覚に陥ったまま生きてしまいそうであっぶねえ、と思う。


私も生き物であることを思い出す。


自分が泳いでいる数メートル先で50㌢の魚が捕獲されてて、ヒェ、ってなったり。

ピラルクやナポレオンフィッシュの鱗を見て、ヒェ、ってなったり。
(あれって生きてる間に剥がれたりするのかな)

魚のエラがパカパカして中身が見えちゃったとき、ヒェ、ってなったり。
(エラを見てると興奮する)

このヒェ、な感じ
私にとって大事な感覚。


人間以外の多くの生き物の生を浴びながら生きていく。この世の全てから、正しく自分という存在を捉えるために。


生き物の生は美しい。
抗えない、美しいのだ。
敗北感が美しさを教えてくれる。



まじエラ未知。指入れてみたい。


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