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英語と日本語の互換性の話

すごく珍しく、授業をしていて思ったことを書きます。

先日、I found the book easy. という有名な文を授業で扱いました。
文型の解説の授業です。

生徒は正しく、SVOCを指摘できましたが、訳になると
「私は簡単な本をみつけた」
という文になりました。

まあよくある誤訳なんですけど、なぜこういう「誤訳」「間違った解答」が生れてしまうのか、と言う点を日英対照的に日本語の観点から考えてみます。

最もありうるだろう可能性としては
①「語」と「語」の意味がわかる②それによって、あとは語と語が相関して成り立つ意味を生み出せば文になる、といった思い込みが発生する
このことによって間違いが生じると思うんです。

これどういうことかというと、初学者の視界に映っているものが何かって話で、彼らにはこう見えているんです。

I found the book easy.
私 見つけた 本 簡単

日本語のほうになにが不足しているかわかりますね?
助詞です。

日本語には「格助詞」っていうどちゃくそ便利なものがあって、格助詞というのをくっつけることによって、文が自由に解釈できるようになります。

日本語っぽくなるパターンを考えてみましょう(格助詞以外もついてますが、助詞全般が対象ですね。日本人で助詞を分類して使っているネイティブはいない。)
・私も 見つけた 本を 簡単に
・私が 見つけた 本の 簡単を
・私が 見つけた 本も 簡単だ

いろんなパターンがあるんですよね。
日本語は「ハイコンテクスト」と呼ばれたりするんですが、学習者はこの中で一番「それっぽい」やつを選んでいるんですね。
10数年繰り返している日常の会話から、あり得る最適解は「私は見つけた本を簡単な」(私は簡単な本を見つけた)となるわけです。(日本語AIにも解答させたら同じ答えが出そうじゃないですか?知らんけど)

つまり、教えるときに何を考えないといけないかというと、
屈折語は助詞を切り離さない、という点なんです。

これ、まあ今書いていて思っていて、ああ~って自分でこれからやっていくか~って思っているところの話なんですけど、

「訳語は自由」って言って放り投げるの、やっぱりダメだわ…

いつだって言ってますよね、「意味が通じればいい」「相手に伝わる日本語にすればおk」って。だって日本語って自由だから…

「神戸のどこなん?」って聞くのと「神戸はどこなん?」って聞くの、同じ意味ですから…。こっちじゃなきゃダメ!って言うことはできないんです。

でも!


屈折語やと話ちゃうねん!!!!っていうのを見落としてたらアカン!!!!!!!

「英語は語順によって格が決まった状態」っていうのは、日本語の場合は「イコール選ぶべき助詞が収束する」ってことなんですよ。

ということで。
言いたいことは、初学者には「助詞をセットで」覚えさせる。「助詞を切り離さない」「助詞を選択させない」「助詞の選択の自由を与えない」ということになります。

ここで田地野先生で有名な意味順という指導法が出てくるわけですね。
わたしも気に入ってる文法解説なんですが、これ、小~中1くらいの子ども向けには結構ハマりやすい。ただ、高校生以上になってくると(大人は除く)ちょっと入りにくいんですよね。(なぜだろうね)

とは言いながらも、意味順的なノリで「助詞をセットにして」
SはVするOを
SはC(V)だ
SはVするOにOを

みたいなやり方?(まだ考えてるところ)を使っていく必要があるな~と。。

以前にもあったんですよね。
なんとSに対して、"Sに"、ってつける学習者が。
驚愕して言葉を失ってしまいました。
やはりそういう学習者にとっては「Sは」で固定させることが大事なんだなと…。

黄リー教のような本で徹底的に積み上げられればベストで、あれができれば間違えようがないのは事実なんだけど、
スポ推で英語だけ必要で大学入っちゃえばあとは何でもいい(いいのか本当に………)みたいなパターンの学習者に、こまかいブロックの積み重ねさせるのはこっちの体力気力がもたんですからね…。

と言う話。おわり。


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