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ミケランジェロを思い出すとき
薬の効果が薄れてくると背中が反り返るように強くこわばるパーキンソン病のジストニアの症状がでます。身体が自分の意思とは無関係に大きく反っていくような感覚で、痛みと不自由さに襲われます。症状がひどいときには、呼吸まで苦しくなります。
そんなとき、私はなぜかルネサンスの巨匠ミケランジェロが、システィーナ礼拝堂の天井画を描くために苦悩しながら、ほぼ仰向けに近い姿勢で作業を続けたというエピソードを思い出します。
天才も悩み、苦しむ
ミケランジェロはもともと天才的な彫刻家として名を馳せていました。ところが、ローマ教皇からシスティーナ礼拝堂の天井画制作を命じられ、4年もの歳月をかけて制作することになります。彼は経験の浅いフレスコ技法や、天井を見上げながらの過酷な作業環境、さらに完成を急かす教皇やライバルへの対抗意識など、多くの精神的ストレスを抱えていました。
有名な話ですが、天井へ向かって顔料を塗る姿勢を長く続けねばならなかったミケランジェロは、首や背中に慢性的な痛みを抱え、視力まで低下し、何度も「もう限界だ」と嘆く手紙を友人に送っています。それでも、最終的には圧巻の天井画を完成させました。
私がミケランジェロを思い出す理由
もちろん彼の苦しみは、私が抱える病気や障がいとは性質が違います。しかし「不自然で痛みを伴う姿勢を強いられ、それでもなお“自分のやるべきこと”に取り組み続けた」という姿は、ジストニアの発作がやってきたときの私の気持ちに通じるものがあります。どうにもならない身体の苦しさと、不安や焦りを感じつつも日々生活していく姿勢は、ミケランジェロの毅然とした“望まざる状態であるとも自分のやるべきことに取り組む姿勢”を思い出させてくれます。
ミケランジェロのように何か壮大な作品を完成させるわけではありません。でも、彼が挫けずに芸術家としての誇りを失わずにいた姿を想像すると、自分の小さな人生でも、前を向く勇気が少し湧いて来ます。
苦しみの先に何があるのか
痛みやしびれ、動作のしづらさに襲われるとき、時には前向きになることに困難を感じます。けれども「ミケランジェロも、あの過酷な姿勢で天井を仰ぎ見て、あれだけの傑作を生みだした」と思い返すと、自分の病気のやり場のなさや痛みに、ほんの少しユーモアを感じられる気がするのです。
人間の身体は弱く、簡単に悲鳴をあげてしまいます。それでも、生きている限り自分なりの作品を紡ぎ出していく。私の場合、それは家族との時間かもしれませんし、他愛のない趣味や仕事の成果かもしれません。そうした“小さな佳作”を作り続ける意欲を、ジストニアの発作の最中でも、どこかで保ちたいと願っています。
症状は、私自身を押しつぶそうとする大きな荷物のように感じられる時もあります。それでも、その荷物はやがて自分の人生の物語の重要な背景になるかもしれません。
そう考えたり考えなかったり、何となく折り合いをつけながら過ごしています。