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バンド時代→ラップへ転向

バンド時代 Rapに出会う

20歳からバンド「ACID HEAD SOME RISE」でボーカルを務め、1MC(マイク持ちがラッパー)のバンド(リンプ・ビズキットやレイジ・アゲンスト・ザ・マシーン)に魅せられ、当時歌っていた立場からラップへ転向。ラップ、ギター×2、ベース、ドラム、DJの6人編成に最終的になり、全国ツアーなど活動的に行い、30歳まで全身全霊バンドに身を捧げておりました。

当時の自分は、今より25キロ痩せていて、鋭かった。何もかも尖っていた。それはそれで、良くもあって、とにかくストイックに詩を書いては消し、書いては消し、もがき、言霊を絞り出すように生きていた。

バンド活動して、自分のラップを模索していた頃、渋谷のタワレコで流れていたKick the can crewの「イツナロウバ」が耳に流れるように入ってきた。あの感覚は今でも覚えている。心に沁み込んでいくような音だった。

「これだ!こんなポップでかっこいいラップがしたい」と聞きほれたのがラップにズッポリはまるターニングポイント。19歳の時に予備校浪人していた時に友人がHIP HOPのミックステープを作ってくれて「キングギドラ」「シャカゾンビ」「SOUL SCREAM」「Twiggy」「Lamp Eye」「YOU THE ROCK☆」などを聞き込んでいたのもあり、気付かぬうちにラップへの道しるべがあったように思う。特に「BUDDHA BRAND」の「人間発電所」と「ブッダの休日」に心奪われてた。人間発電所の、文句ないフローとイルスキル(やばいラップ技術)オリジナリティにやられた。

「ブッダの休日」は、ただのメローなポップラップとは違う危険さと癒しがあって、その生臭さとヒップホップのストリートに茂る臭気に咽び聞き惚れていた。

そして、バンドグループ2MC「麻波25」に衝撃を受けた!

て、、、、書いていったらこんなに、きりがなく、もっともっとあるぞと止まらなくなり、今日の記事はここで終わらせることにしよう。

正直、これほど、自分の足元に、身体と脳と心臓と血にラップが通っているとは、、もっとチョロッと自己紹介して、ラップセンセが始めるラップギフトプロジェクトについて書き進める予定だったが失敗。最後に自分のバンドのライブ過去映像を紹介して、今日はおしまい。ほなまた。


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