土木学会×note 投稿コンテスト 「暮らしたい未来のまち」応募作品 風と水と土と太陽と 人間とあらゆる生き物と 自然とバランスをとりながら暮らせるまち そんなまちに暮らしたい
総合タイトル
風と水と土と太陽と 人間とあらゆる生き物と
自然とバランスをとりながら暮らせるまち
そんなまちに暮らしたい
構 成
(-1)作品に関するおことわり
(0)はじめに
(1)いつものようにゆっくり目が覚める
(2)いつもの朝の様に新聞を開く
(3)それじゃ、夢を楽しもう
(4)家族はテレビの代わりに「スぺフォ」を持っている
(5)新聞を見る リアルすぎる映像だ
(6)飛行自動車は全て位置エネルギーで飛ぶ
(7)今の時代に高い建物は無いのだ
(8)青々とした海が広がっている
(9)日本の土地が狭くなって、過密になっているのではないかって?
これが全然狭くないのだ
(10)位置エネルギー活用の自動車につき少々
(11)全くまちの構造が異なるのだ
(12)230年前と質は違うが似たようなバブル景気がある
(13)自然は人間に回復力を見せつけた
(14)自然はお友達になって来た
(15)遊びが巧妙に仕込まれている
(16)今は空間移動社会だ
(17)未來のまちの発電事情
(18)今日は出かける日だった
(19)蛇足文+暮らしたいまちのコンセプト
―――――― 最後まで読んでもらえるだろうか――――――
(-1)作品に関するおことわり
この作品には、単語や文言に技術的、科学的用語らしきものが頻繁に出てまいりますが、それらについては科学的事実や科学的根拠は一切ありません。読者が考えても、あり得ない、理屈に合わないところばかりと思います。これは、あくまでも創作のため、作者の口から出まかせ、足りない頭に浮かんだものを、片っ端から並べ連ねたもので、その点くれぐれもご承知いただき、一笑に付していただくよう、お願い申し上げます。
(0)はじめに
大きな樹々を左右に眺めながら、公園の坂を登って行く。 急に目の前が明るくなった。
同時に突然大きな建造物が目に飛び込んできた。
「ワーッ」と、びっくり目を瞠った切り、次の言葉が出ない。
ズーンと云う音が聞こえるように、屹立しているのだ。
今まで味わったことの無い感動が身を包んだ。
そして、何という素晴らしいバランスなんだ。
何という大らかさと懐の深さなんだ。
私が、初めて見た時の、奈良は東大寺二月堂の印象風景です。
古(いにしえ)の暮らしがどの様なものだったかは知らない。
二月堂の上には若草山があり、下に下れば途中に大仏殿がある。
どんどん下ると奈良市街地域に、その向こうに斑鳩の里がひらける。
この光景が日常に存在したのは間違いない。
これを、昔は二月堂から一望のもとに見ることが出来たのだ。
たった標高百メーターにも満たない場所から。
政治的、精神的象徴ではあったと思うが、観光地ではなかったのではなかろうか。
長い年月を経て、歴史の形が見えるものとしての価値と、精神的価値が主にクローズアップされる。
この二月堂の前後左右に寺社関係の施設が点在している。
そのような地域で、「まち」というには無理がありそうだ。
それでも、寺社関係を現代の街の建築物や用途に置き換えてみると、高地斜面に沿った、「まち」に見えてくるのではないだろうか。
そんなことで、私は、二月堂を下って奈良公園を抜け、開けるまち並みが好きだ。
「未来のまち」を考えるうえで、非常に大切なものを示唆していると思う。
それはバランスだ。
あらゆる自然の取り入れ方だ、無理のない建て方だ。
この時の印象から、私はバランスエンジニアリングと云う考えを提唱したいと考えてきた。
近代建築物が300年以上持ちこたえているだろうか
バランス感覚は「隙間の間(ま)や時間と空間の間(ま)」が作る バランス間隔に繋がる?
二月堂は創建から消失する1667年まで、千年近くまで建っていたのだ。
こんな傾斜地で。
今の二月堂は1669年に再建されたものだ。
それでも352年が経っている。
近代建築物が300年以上持ちこたえているだろうか。
世界の古代建造物は、バランスを保って相当に長い年月を生きている。
薬師寺にしても、680年の建立から今年1341年目を生き抜いている。
古代建築の木造や石造の建築物及び構築物ほど、バランスに依存するものは無いと思う。
そして微妙と云うか巧妙に仕掛けた「間(ま)」という{遊び}。
それをを介したバランスが素晴らしい。
詳しく説明できないが、具体的には、部品どうしの「隙間の間(ま)や時間と空間の間(ま)」だ。
Noteを始めた
今年の8月から、たまたま知った「Note」を始めた
つい先日のこと、コンテスト「#暮らしたい未来のまち」の開催と募集を知った。
応募してみるかなと思い、上記の文章を書いたところで、あとは書きたいときに書いて、
10月3日中までに間に合えばよいか、と考えて床についた。
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風と水と土と太陽と 人間とあらゆる生き物と
自然とバランスをとりながら暮らせるまち
そんなまちに暮らしたい
(1)いつものようにゆっくり目が覚める
仕事の事
自分と妻だけの会社だ。
息子はいるが別の仕事をしている、社員はいない。
社員の目が無いということはとても自由だ。
そんなことで、ゆっくり起きて、好きなときに仕事を始める。
自宅がオフィスで、自分で開発した製品を扱う。
製品開発までは原則自前で、製造から販売まで、エンジニアリング業の様に他力依存だ。
自社では直接には製造しない。
ただ場合によっては、部材の生産を委託して、組み立てや商品化をすることはある。
作業場はレンタル工場で、自社では所有しない。
他社にない製品なので、扱い方が比較的自由だ。
ただユーザーの利益と環境の利益のための品質設計にはこだわる。
大きく発展は無いが、死ぬことを考えないで、死ぬまで働く。
あとはなる様にしかならない。
(2)いつもの朝の様に新聞を開く
200年後の新聞だ、これは夢なんだ。
2221年9月21日の新聞だ。
あれ?ミスプリントか?大変なことだな、と思ってカレンダーを見る。
2221年になっている。
周りを見る。
どうもいつもの我が家と違うようだ。
あれ? タイムスリップしちゃったか? やばいな、焦る。
あっ!そうか、これは夢なんだ、と早めに結論付けた。
私は時々タイムスリップをするから。
夢の中だけど、それがとてもリアルで現実そのものなのだ、辻褄も合っているのだ。。
だから結構本気で焦ってしまう。
(3)それじゃ、夢を楽しもう
気持ちや知識は夢の時代に同期しているようで、違和感がない
新聞は何時もの現実社会と同じ大きさと構成で、紙と活字と写真だ。 広告もある。
しかし、目が覚めている世の中とは相当に異なるのだ。
新聞は昔(現世)と同じ紙にみえるが、端末が内蔵され、特殊な電子回路を巡らした、紙のような質感のディスプレイなのだ。
22面まであるディスプレイを、レンタル契約をする。
夕刊はオプション契約だ、同じディスプレイを使う。
夕刊はニュース面が少なくなった分、広告が多くなる。
毎朝毎夕定刻には記事が送信されている。
前日分または過去の新聞は端末で切り替えると、見ることが出来る。
ニュース写真や広告は端末操作で動画にもなる。
記事は音声にもなり、写真は説明音声も付けられる。
ディスプレイとしての紙だが、丈夫で小さく折って読むこともできる。
扱い方は全く二百年前の紙の新聞と変わらない。
昔の様に畳んで小さくして置いておく。
古新聞を積み重ねるような光景は無い。
クシャクシャに折っても大丈夫、局面になっても字は読める、写真も見れる。
クチャクチャにしても数秒で元通りピシっとした紙面に戻る。
テレビは日本国内専用のチャンネルは無い。
全世界共通のテレビ番組で、好みの言語に翻訳されて視聴することが出来る。
我が一族は250年前からテレビを置かない、見ない習慣になっている。
テレビは今も昔も見た目印象が先入観となってしまいがちなので、今でも詳しい説明がある活字と好む。
(4)家族はテレビの代わりに「スぺフォ」を持つ
ただ大昔のスマートフォンのようなものがあり、それでどこでも情報を入手できる。
また各種の遠隔操作も出来るようになっている。
A4、またはA3の大きさで、昔のコピー用紙の厚さと質感だ。
A4、A3全面のまま見れるし、二つ折り、三つ折り、四つ折りと好みのサイズに折って見れる。
どんな大きさになっても、比例して縮小され、A4、A3サイズと同じものが楽しめる。
それだけは百年以上前から殆どの人が携帯している。
いまでは、地球と月と火星の三星間で通信が出来るし、近々金星にも行けるようになり、同じように通信でき、地球上にいるように、音声や画像が送れるらしい。
金星は、衛星観測と実際に行ってみたとでは大違いで、何とか長期間滞在が可能になるようだ。
昔のようなカメラ機能は、裏面がカメラの画像、動画の再生面になっている。
電子レンズ採用で、昔のようなレンズは無い。
研究仕様では細菌からウイルスの様なナノ単位の粒子を観察することが出来る。
マップもお好みの地域を二次元、三次元の3Dマップとして使える。
惑星間で通信できるので、スターズ・ペーパー・フォン、略して「スぺフォ」と呼んでいる。
通信用には小さく折り畳んで使っても、大きく画像を見ながらでもやり取りができる。
好きな位置の何処から小さく折り畳んでも、使えるようになっている。
幾ら折り畳んだり開いたりしても皺にはならない、何時もピンとしている。
(5)新聞を見る リアルすぎる映像だ
未来の人間は本能的動作が苦手
最初の一面全部を使った写真に驚いた。
火を噴きながら自動車が空から降ってくる。
飛行自動車の衝突事故だ。
人の足が窓から出ていて、動いている。
数秒後には、この人の命は亡くなっているのだ。
何とリアル過ぎるニュース映像だ。
胸が悪くなる、目に焼き付いてしまう。
電池で動く飛行自動車なのに、燃えるのか?
電池同士がぶつかって発火したのだろうか。
住宅に落ちたというニュースは無かった。
ルールでは、大きな幹線道路の真っすぐ上空を飛ぶことになっており、三次元ナビゲーター(3Dナビ)で誘導されているはずだ。
操縦は当然に自動操縦だ。
人間の科学と技術の進歩は、どんなものでも無人化と速さと自動化の極限を目指していた。
そんなことで、今の時代の人間は、咄嗟の判断や咄嗟の本能的判断と本能的行動が苦手だ。
何にでもセンサーが介在するので、危険察知に関しては鈍感になっている。
未来は意識の時代と思っていたら、第六感はどんどん退化していたらしいと思う。
(6)飛行自動車は全て位置エネルギーで飛ぶ
来年になると飛行自動車は全て位置エネルギーを動力変換させて飛び動くことになる。
電気の使用は、ナビゲーターとライトと照明関係だけになる。
その電気は、人間の微細電流から、ソーラプレート、ソーラペイント、飛行で生じる気流や空圧などあらゆる電気変換できる現象までを利用して小さな発電をする。
よって、これからは衝突しても燃えることは無い。
墜落する危険もかなり低減することになっている。
(7)今の時代(夢の中)に高い建物は無いのだ
一般のフライトカーは、飛行高度300メートルまでの飛行しかできない。
大型または、公共性の高いものは300以上600メートルまでの飛行高度となる。
それ以上は空専用の飛行機でしか、飛ぶことが出来ないし、種類によって巡航高度が決められている。
あれ?そんなに低いんじゃ山や高層ビル、スカイツリーの様な超高層タワーに衝突するのじゃないかっと思ってしまった。
そうか、今の時代(夢の中)に高い建物は無いのだと理解した。
何故かと言うと、必要ないからだった!
まずは、あまりもの地殻変動で、高層ビルには懲りたのだ。
それに今の多くの建物は、昔から台地と云われている地域や、丘の上や山の中腹に建っているからで、見晴らしはどこでもすごく良いのだ。
それも地表面から最高100メートルまでの高さ位置で建てること、と制限されているのだ。
(8)青々とした海が広がっている
部屋から外を眺めた。
向こうに見える山と山の間に、青々とした海が広がっている。
「スぺフォ」で撮影し、拡大して眺めてみた。
東京の中心地はベネチアの様な水上都市になっているのが何故かすぐに理解できた。
新聞には今日の潮位という蘭があり、大切な情報だ。
潮の満ち干の差がとても大きいのだ。
今日の○○時には東京の山の手と云われた地域や△△台、✖✖丘と云われるような武蔵野台地以外、ほとんどが水没する。
人は殆どと言って良いぐらい住んでいないのだ。
住んでいる人は、よほど海が好きで、山側に住む人からは、水棲人と呼ばれている。
それでも山側に住む人々も観光として海側に行く。
陸空水兼用車の、50メートルまでは潜水できる水中バスで、水中東京観光をするのだ。
夜間は海中の建物がライトアップされ、魚群の乱舞も見れて、素晴らしく美しいのだと、息子の嫁さんが云っていた。
古代に海底に沈んだ都市を見るような感覚で、往時を偲ぶのだそうだ。
昔の銀座や日本橋は完全に海中で、皇居は海に浮く水上楼閣になっている。
天皇陛下家族と職員は100年前に京都に移っている。
(9)日本の土地が狭くなって、 過密になっているのではないかって? これが全然、狭くないのだ
ここで、この夢の中で、自然と理解できたことをお伝えしよう。
東京が海中都市になった原因は気候変動だけじゃない。
この2百年の間に4回の大変動と云うか、超激甚天変地変が起こったのだ。
日本の霊峰と言われてきた富士山だが、山腹の周辺が、何頭もの恐竜にでも引きちぎられたようにあっちこっちえぐり取られている。
富士山が大爆発したんだ。
この前後に南海トラフ巨大地震や首都圏を総なめした関東大地震が襲った。
東京は気候変動による、海面上昇で、平均10メートル、地殻変動による広域陥没で平均15メートル、合計25メートルの海抜を失った。
当然長期間の予測も準備もしていたので、オランダに学び、それよりも大規模な海岸堤防の準備もしていたけれど、想定よりも現実が勝った。
その他の地方でも、この4回の災害の影響で、これでもかこれでもかと、210年前の東日本大震災級の天災が襲ったのだということらしい。
これで沢山の人が亡くなったということではない、準備はかなり功を奏したのだ。
原発もこの時分には既に廃止されていたので、影響はなかった。
中心的原因は、二百年前から心配されていた、少子化による人口減だ。
それに丁度その頃には、新型コロナウイルスという新型の風邪を重くしたような、呼吸器を攻撃する疫病が全世界を覆った。
数年間は年中蔓延した状態になったため、新生児の誕生が極めて少なくなった。
自然と云うものは、無慈悲なものだ。
これまでも何度となく、変幻自在に新種のウイルス感染症が感染爆発を起こした。
人間がそれまでに、環境を自分の都合のみで破壊してきて、いいように他の生命体の命を奪ってきたことによる、自然のリバランス行為だと、私は夢の中で理解した。
そんなことで、この二百年の間に、日本の人口は、移民を入れても7千万人となったのだ。
農耕地を失ったが、この人口なら、何とかやって行けるらしい。
人口減につき、大きな戦争があったのかな?と考えたが、なんせ世界的な感染症と天変地変の連続で、戦争どころではなくなったらしく、どの地域の戦争も、ある時にピタッと止んだらしい。
どんな軋轢が生じようと、国どうし民族どうし、協力せずには生きられないことが、やっと解かったらしい。
ショックだったが、これは夢だと思ったら、救われた。
(10)位置エネルギー活用の自動車につき少々
話をフライトカーに戻そう。
何しろ幹線道路は殆ど水没してしまっているので、昔同様に自動車が走れる道路が少ない。
必然的に空を飛ぶ自動車が主流になったし、水陸空複合自動車も趣味、実用含め人気だ。
地域の幾つかの定点に、直径8メートルほどの離陸ポイントを設けてある。
大型用には直径15~20メートルぐらいの離陸ポイントを設けてある。
そこにフライトカーを位置させ、起動キーを入れ、OKパネルを認識すると、超電導装置でポーンと5メートルほど飛び跳ねたと思う間もなく、スルスルっとフライトカーが上空300メートルまでエレベーターのように上がってゆく。
そこまで上がったら300メートルの位置エネルギーを特殊半導体で増幅させて、動力エネルギー変換させて駆動する仕組みになっている。。
地表から高度300メートルを維持して、大昔の巡航ミサイルの様に、地形に沿って飛行する。もちろんミサイルの様なスピードは無い。
決められた飛行高度によって離陸ポイントが決められており、安全なだけ離れているので、一般車と大型車、公共車がぶつかり合うことは無い。
最近までは、飛び立つときの方法は同じだが、電池の電気を使っていた。
後でも触れるが、飛び立てる位置は決まっているので、個人住宅では車庫を持たない。
車で自宅から出て自宅に帰るという生活は、この社会では既にないのだ。
ただし、都庁や警視庁、消防署、病院などの公共施設だけ自前の発着ポイントを持っている。
余談だが、空路専用の飛行機については、大昔のような滑走路は必要無い。
フライトカーと同様な仕組みの、大規模の発着ポイントがあり、同じように1000メートルまで垂直上昇して、水平飛行から必要高度で飛行して行く。
(11)全くまちの構造が異なるのだ
それでは、現在の大まかな街の構造についてお話ししよう。
まずは例として、私たちが住んでいる東京都についてお伝えしよう。
大まかだが東京都を構成する中心となる建物だが、昔のように国会がある、東京都庁がある。
それを他省庁が取り巻くようにあり、その地域を扇の要として、ビジネス地区、工業地区、商業地区や住宅地区、学校など教育施設、公園、図書館など各種公共施設地区、が展開して行く。
郵便局のようなものは、百五十年前に廃止されたようだ。
約70年前、私が4歳の時、東京都は、奥多摩町に近い、日ノ出町に移転し、都庁舎を建てた。
これは、夢の中で、昔に母から聞いた記憶として残っている、ことになっているようだ。
都庁舎の形は、奈良二月堂をもっと大きくした建築物を想像してほしい。
建物全体を二月堂の様に寄棟造り、最も特徴とするところは、二月堂のように正面に大きな舞台を備えている、懸造り、別名;舞台造りとか崖造りという。
二月堂のような舞台づくりの回廊の正面中央に、大きな舞台が、かなり大きく外側に突き出しており、多目的空間を形成していて、展望が素晴らしく、観光スポットにもなっている。
平地から高度100メートルの山側の斜面に高床様式のデザインで立っていて、床下が空洞だ。
日ノ出町の背後には約1266メートルの大岳山をはじめ2017メートルの雲取山を最高度として1700メートル級の山々が据わる。
その地形から、山風谷風を取り込んで、高床内にある大きな扇風機のような機械で、風のエネルギーを取り込んでいる。
山の斜面に立つ建物は、住宅であれ、学校であれ、企業や施設であれ、皆同じ基本構造を取る。
建築材料には、昔のような鉄筋コンクリートではなく、木を中心として、木材とコンクリートをコンパウンドした、混練材のウッドコンクリートで包むように建築部材を作る。
これが、圧力にも地震の縦横の揺れにも、火災にも海風による塩害にも強いのだ。
小さな住宅から、大きなビルや施設までこの材料を使う。
外から見ると大体が、同じような形をしているが、中の間取りだけが違うことになる。
また昔の高層建築の様に地中深く太い杭を打ち込むことは無い。
そこから斜面に沿って、平地部に向かう。
都庁を扇の要として、扇状に各施設とが点在している。
大きな建物を一ヶ所に集めることをしない。
これは昔の感染症の教訓で、一ヶ所に人間が多く集まらない様、建物の密集によって、屋内、屋外の換気効率が悪くならない様にしているらしい。
それからその下に向かい住宅区域が扇を広げたように点在していく。
企業や大店舗公共施設は最も下の平地に配置される。
平地から見て四方に山か丘がある地域では、一つの中心施設やそのグループを扇の要として、四方向から扇状に平地に向かって点在して行くことになる。
国会だけは昔からの場所、千代田区永田町一丁目にある。
前方を水上楼閣の江戸城と後ろは山の手と、海水が細長く糸状に入り組んだ谷に囲まれている。
かなりの絶景らしい。
(12)230年前と質は違うが似たようなバブル景気がある
度重なる世界中の超激甚災害と感染症のパンデミック。
そんな地球に嫌気をさした人たち、特にお金持ちたちは、地球脱出に投資した。
そして、地球に見切りをつけて、月や火星に移住した。
今では、移住しなくても、地球から観光で月旅行、火星旅行は日常の事で、向こうからも里帰りの地球旅行を楽しんでいる。そんなことでスペース旅行業者は忙しいようだ。
当然に仕事としての出張もあるし、本社を月や火星に持つ創業者も増えてきたし、工場や支社を月や火星や地球上に置く企業も増えてきた。
また地球から月や火星に別荘を所有する人たちも多いが、やはり潤いの点ではまだまだ地球に分があり、宇宙から地球に別荘を求める人たちも多い。
そんなことで、スペース不動産関連企業とスペース建築関連企業、及び物件下見で、上記関連会社と提携している旅行業者も含め、バブル並みに景気がいいらしい。
しかしそのバブル景気も危なくなってきている、という話だ。
原因は何かと云うと、ウイルス感染症、或いは細菌などのバクテリア感染症なのだ。
最近ではスペースウイルス感染とか、スペースバクテリア感染と言っている。
一括してスペースバイオインフェクションと言い、これに関した特定不明の体調不良をスペースバイオシンドロームと言っている。
月や火星で生活したり、スペース旅行で、地球、月、火星と相互に行ったり来たりで、移動人口が大きくなった分、多種多様なウイルスや細菌が星の間を行ったり来たりしている。
何が問題かと云うと、例えばあるウイルスが火星に運ばれると、何らかの変異をする。
変異したそのウイルスが地球に入る。
そのウイルスが地球に根付く。
根付いたウイルスが、地球内で変異し、それが今度は月に運ばれ、そこでまた変異をする。
変異したウイルスは火星に戻る、そこで根付いて再度変異する。
三っの星を複雑に往復して変異を繰り返し、複合的なモンスターウイルスに変異して行く。
その様なことが危惧されているし、実際に今までなかったような性質のウイルスとそれによる感染症がいくつも発見された。
そろそろ地球規模どころか宇宙規模で問題視され、月や火星の移住制限、月や火星からの地球里帰り及び星間の観光制限や移動制限が取りざたされている。
急なパンデミックが起きると、月や火星に入った切り、帰ってこれない事態が起り得る。
星間で、ウイルスや細菌を持ち込まず、持ち込ませず、出さず、出させず、と言っても人が移動する限り、どのような科学的対策を打ってもゼッタイと云える効果が見られないのだ。
移動制限か、パンデミックがどこかの星で宣言された瞬間、バブルは弾けることになる。
どうも人間の欲望を満たす事は、相応の代償を払わずには済まないらしい。
(13)自然は人間に回復力を見せつけた
前述した、度重なる世界中の超激甚災害と感染症のパンデミックで、戦争が止んだり、経済活動や新規地域の開発活動が停滞したこともあり、自然が回復力を見せつけた。
太陽が輝く澄み切った青空と、夜空に大きく流れるように描かれた明瞭な天の川、無数の宝石をちりばめたような星空を東京のどこでも、堪能できるようになったのだ。
余談だが、大昔に宇宙に漂っていた人工衛星などによる、宇宙ゴミは回収処分され、打ち上げるロケットや衛星も制限された。
打ち上げが頻繁になった時期、地球の高層域の温度や気流に異常性が観測された。
いまでは一般のスペースシップは、超電導砲の応用で、ロケット燃料を用いず発射される。
また打ち上げ速度であるが、対流圏では比較的ゆっくり、オゾン層を突き抜けるまでに少し速度を上げ、突き抜けると速度を猛烈に増すようになっている。
100年前から見ても神業と言うしかない。
尤も、大きなスペースシップは、宇宙空間に大きな静止工場を浮かせて、そこで拵え、そこから発射するようになっている。
川は勿論の事、近海も綺麗になり、今では沈んだビル群が近海魚の住処になっていて、奇妙な言い方だが、天然の養殖場と化している。余談だが元東京中心地の地下街はマニアにとって、海底洞窟のような冒険スポットになっている。
樹々や花々も本来の色を取り戻し、人間たちをこんなに鮮やかな色だったのかと驚かし、人間生活に潤いと安らぎと免疫力活性要素をもたらしている。
殆どの家が、庭を持たなくても家の周りが自然公園のようになっている。
今の子供は生まれた時から、自然に囲まれた生活があり、小動物と木々と草花の触れ合いの中で育ち、大人になっても昔のような飽食は無いが、本来の豊かな生活がある。
山や丘には、貴重な平地を段々畑や棚田のような方式で農業があり、平地や全くの山中には、太陽光を集光,伝送した工場農園がある。
多くの農耕地や牧草地を失ってきたが、無理な開発をせず、過剰に生き物の命を戴くことが無いように心掛けるようになっている。
(14)自然はお友達になって来た
道路は大昔のようなアスファルトではない。
自然の土とその成分を主として化学合成したコーキング剤を、地表に含侵させた安全なプライマーの上に厚く塗って舗装する。
このコーキング剤やプライマーを通して、水が自然と地中に浸み込むようになっている。
またこれら素材を通して、地中の水分が蒸発して行くようにもなっている。
おまけに適度な土の地面と同程度の弾性があるので、足腰に良く、高齢者も良く歩ける。
道路表面が泥の感覚であっても、泥んこにはならないが、適度に浅い水たまりが出来るように設計されている。
所々にだが、子供が遊んだり、大きな子や大人が、大股で水を跨いだり、避けたり、飛び越えたりして歩く様な場所も施されている。
まち中の道路は、殆どが歩行者専用で、歩道と云うものが無い。
また道の周囲には土の表面が出ているところを多くし、雑草や虫類が生息しやすくして、余計な舗装をしない様に制限されている。
都会においては、1950年代から1960年代までの子供しか遊んだことが無いような、アメンボやミズスマシもいつの間にか復活している。
小さな自然から大きな自然まで、バランスよく動いている。
奥の山から、時々二ホンカモシカが遊びに来ることがある。
野鳥は勿論のこと、雉やリス、狸にキツネまでもが、遊びに下りて来ることがある。
この様な動物たちは、人の目に触れても逃げない。
熊とか猪や大鷹などは、山中奥に食べものが豊富で、里に下りて来ることは無い。
渡り鳥は必ず季節に合わせてやってくる。
人間も謙虚さが幾分か戻ってきたせいか、周囲の小動物や木々草花との関わり方が違って来て、直接接触はしないが、憑かず離れずの関係にあるようだ。
お互いが、穏やかな癒される関係にあるようで、自然としての生命体も人間近くに戻ってきたように感じている。
狩猟は禁止されている。
人間も地球のあらゆる生き物と、共存してこそ、人間の生存がある、ということに気が付いてきた。そして、人間を含めた生き物と生存領域とのバランスを重視する中国の5千年の知恵を世界的に研究するようになっているそうだ。
(15)遊びが巧妙に仕込まれている
誰もが自然と健康を維持して行く行動が出来る
ボケを意識しないで防止して、誰もが自然と長寿を楽しめるまち
先ほど述べた様な建築物、構築物が家屋や店舗、施設として、「まち」の構成物として配置がされる。
その配置の中で、時間、空間の間というか、遊びが巧妙に仕込まれている。
地理的立地は様々だが、地域の中、地域同士のつながりの中、その延長線上で、その三次元の中で人は移動を繰り返し、コミュニティーを構成しコミュニケーションを繰り返す。
人の移動については、街は便利過ぎず、適当な不便も兼ね備えている。
これは住宅や家庭用機器にも言えて、安全重視の適度な不便を内包する仕組みになっている。
これは適度な不便さで健康的緊張感を維持することで運動不足による疾病を防止する。
この時代の住まいと「まち」は、朝起きてから床につくまで、自然と必要な運動をする構造になっている。
普通の健康人であれば、気が付かないうちに一日当たり平均約4kmは歩くことだろう。
それだけでなくて、住まいと仕事場、移動で生じる動作で、大昔の体操を例にとると、ラジオ体操第一と第二を最低各一回は演技するだけの、上下肢屈伸をすることになる。
高齢者に対しては、大昔の様なバリアフリーは採用しない。
かえって運動能力と注意力を低下させボケに繋がることが、とっくの昔に分かってきていた。
現在は「ジャスト・バリアー&ストレス・プラスシステム」を採用している。
しかしながら、若年者から高齢者までの、何らかの障害による身体機能の状況によっては、通常の構造が必要に応じて、自動的にバリアフリーに調整される構造がどの住居にも施されている。
補足すると、今の時代に車椅子は無い。
手動式か意志認識の自動式式の屋内外兼用の6本足歩行椅子を国が無償貸与している。
健常人と同じ速度で同じ行動をとれる、急階段、螺旋階段、急坂の上がり降りはへっちゃら、で、山登りまでする人もいる。
(16)今は空間移動社会だ
今は大昔のような車社会と云うより、空間移動社会だ。
殆どの自動車は飛行機能を搭載している。
昔の様なドローン式ではない。
しばらく前までは、ジェッローンとか、ロケッローンが主だったが、最近では、超電導の応用で、前述したように、瞬時に地上を真上に撥ね飛んで、道路上空を、一般車で最大高度300メートルを飛行できる。
フライトカー以外にも、低高度を飛行するフライトバイクやフライトスクーター、フライトボードなど、大昔のアニメと云うものに出てきた様な乗り物もあるにはあったのだが、鳥類など空に生きる動物の脅威になることや、大気を無理やり無数に攪拌するので、気候異常原因にもなりうるということが判明して、制限されてしまった。
これも前述したように、このフライトカーの車庫は個人住宅には併設していない。
各住所からやく500m歩くところに、屋根付きの大きな共同車庫がある。
屋根はソーラー、壁もソーラーないしソーラーペイントが施されている。
ここを往復するだけで、最低1kmは歩くことになる。
また共同車庫からの帰り道は、大体が緩めの上り路になっており、相応の屈伸量とになる。
消費カロリー下りの倍近くになり、血行は良くなり基礎体温も高めに維持する補助になる。
(17)未來のまちの発電事情
この「まち」の消費する電気だが、施設でも個人宅でも発電機能を備えている。
古くはソーラーやソーラペイントは常識だが、山を近くに控えている「まち」は、山風谷風を活用した風力発電、川の水力発電が、所によっては海風が利用でき、ここまでを原子力ではなくて、原始力発電と、此のころの人は呼んでいる。
百年前からは、常に小さな地震が起きていることを利用した振動発電、木々の振るえを捉えて電気に変える植物発電があったが、もうすぐ太陽のプラズマを利用して電気に変える太陽風発電、宇宙線そのものを電気エネルギーに増幅変換させるスペース発電が動き出すことになっている。
人間から発する微細電流から体内医療機器や体外医療装置、人体運動支援装置の動力を得るのはかなり前からある。
百年前に核を利用した発電は廃止になっている。
科学や技術の進歩ほどに、人間の記憶力、注意力が進歩しないことが判って、うっかりミスが大事故につながる施設や技術は採用しなくなった。
昔人気だった、AIや、それを搭載した殆ど人間と見紛うほどのロボットにしても、頭が良すぎると云う弊害が分かってきた。
計算頭脳、判断頭脳よりも、より人間らしい、他方面の気配り頭脳と、計算しないうっかり頭脳や、一見無能に見える頭脳や、思いやり頭脳、癒し頭脳に重きが置かれるようになったのだ。
AIやロボットもその大元になる一台は、結局人間が作るので、科学の進歩とともに、人間の限界も明確にされてきたと云うことだ。
工事開始の時点で時代遅れになっていた、夢のリニア幹線も工事の途中で中止になった。
昔の様な発電と送電を担う企業は既にない。
昔の電機会社は、エレクトロニクス関連企業に脱皮、もしくはそのような企業に吸収されている。
(18)今日は出かける日だった
今日はフライトカーで出かける日だった。家を出る。
小さな家だが、舞台づくりの家をでる。
今迄の補足だが、この舞台づくりが、特に救急車が必要な時、役に立つ。
突き出した舞台の上から、飛行救急車が昔のヘリコプターの様に、ホバリングさせながら、医師や看護師をあまり高くないところから舞台に降ろしたり、患者を吊り上げたりできる。
公共車庫のあるところまでは、どの家の住人も歩く。
家の車庫からそのまま出発の情景は無いので、人に良く会い、顔見知りで、どの人も挨拶を交わすことが習慣で忘れない。昔の様に、顔は見たことあるけど、近所らしいけど、何の関係もないから、隣の人でも挨拶しない、何てことはまずない。
近くの商店が並ぶ地域も、公共車庫周辺も離陸ポイントまでの途以外、車は走らない。
子供も年よりも安心して、歩き、立ち話も出来る。
まず、歩道と云う概念が無くなってしまっている。
自転車がスピードでかすめて行くこともない、いたってのんびりしているのだ。
車庫についた。
車内に入る。安全ベルトなど安全点検OKの認識をする。
離陸ポイントまでの移動指令を認識する。
スルスルとフライトカーの個別格納ドアが床に沈み、スーっと誘導線の上を音もなく進む。
外に出ると、その誘導線の20メートルほど先に離陸ポイントがある。
離陸ポイントまで音もなく運ばれ、起動キイを入れて、OKパネルを認識する。
ポーンと5メートルほど撥ね飛んだかと思う間もなく、スルスルっと300メートルまで登り水平飛行に入った。
行く先はフライトナビにインプットしてあるので、3Dマップの道路上を軽快に飛行して行く。
いつ見ても上空からの景色は素晴らしい、あら?いつも見ていた気分になっている、夢だということを忘れていた。
今乗っているフライトカーは、電池式のものだ。
嫌だな、今朝の新聞を思い出してしまった。
後方から、乱暴に見える飛行体が見る見る大きくなって、近づいてくる。
お尻をつつく様に、急き立てる。
うわッまずい!
{自動煽り運転回避装置}と{自動危機(火災含む)回避装置}パネルの故障マークが忙しく点滅している。
手動に切り替えようとしたが、どうするんだっけ、暫く自分で操縦したことが無い、ヤバ!
何だ、こいつはスピードオーバーの、煽り運転じゃないか。
相手は追い抜きざまに、こちらの右横っ腹胴体を切り裂く様に、左の短翼を接触させた。
うわッ、これはまずい、ショックで跳ね飛ばされ、おまけに煙が出てきた。
相手は一目散に逃げて行く、その早いこと。
窓を開けようとしてもどうにも開かない。
車はスローもションの映像の様に落ちて行く気分だ。
何でも人が落下して行くときは、数秒の間に人生が走馬灯の様に見えると云うじゃないか。
ただ、今のフライトカーは墜落するときの姿勢はいろいろだが、落下速度は地上5メートルまでは、緩やかに落ちる。
そこから自然落下と同じにドシンと、地面に叩きつけられる。
運が良ければ打ち身か、骨折で済むし、死なないかもしれない。
但し火災が伴えば、消化機能が働けば助かるかも知れないが、故障している。
死ぬ確率が高い、参ったな。
いやいやこんなこと説明している場合でなかった。
窓を足で蹴破った、ここで、思い出した。
ゲッ!!朝刊の写真は自分の事か!
あれは予告新聞だったのか!!
200年後は予言を記事にするのか!!
熱い、熱い、苦しい、もうおしまいだ。
アッそうだ、これは夢だ、夢を見ているのだ。
もうすぐ覚めるのだ。
汗びっしょりで、目が覚めた。
やっぱり夢だった、それにしてもリアルだな。
周りを見る。
あれ、現代じゃない。
あのまま、さっきの家だ。
ヒャーッ、やっぱりタイムスリップしている。
新聞の日付はっと、うわー2221年の9月22日だ。
200年後の日本で夢を見ていたのか。
焦る、焦る、戻れなくなってしまった。
どうしょう、どうやったら戻れるだろうか。
何だか周囲の光景が揺れている。
光のスモークを振りかけた様な明るさになって、周りのリアルな情景がボヤケテきた。
「お父さん!」
イラついたような、妻の声がした。
「何時まで寝ているんですか、もう起きてくださいよ」
これが幸せというものか、平凡すぎるけど。
私は時々タイムスリップするのです、夢の中ですが。
それが、とてもリアルなので、今現実にいる映像そのものです。
事実として、私の魂はタイムスリップしているのかもしれません。
(19)蛇足文
日本でも世界においても歴史的に見て、文明は水辺で発展してきたと思う。
水辺には、海辺と川辺がある。
海に臨む水辺には臨海都市が発展してきた。
大河川の水辺には贈り物である肥沃な平野部がある。(洪水は頻繁に起こる、水との戦い)
農工商の発展と共に政治の中心地ともなる。
海上交通がある。(交易都市となる、地中海では都市国家として栄える)
潤沢な工業用水発展した臨海工業都市がある。(工場排水を捨て放題に発展)
周辺にはいくらでも住宅、ビルが建てられた。(日本は地震対応を迫られている)
近代では国内外における空の交通網の発達で飛行場が欠かせない。(土地の接収と危険と騒音に悩む住民がいる)
政・官・財・プラス学、の中心地となった。(人口の一極集中が起こる)
臨海都市の発展には、豊かさを享受する要素が数多ある反面、忍耐やある種の代償を伴う。
二月堂の舞台から大仏殿の屋根を越えて、奈良市のまちを、斑鳩周辺を、俯瞰してみよう。
見ようによって、奈良公園周辺に至るあたりからは里山の「まち」と云えないだろうか。
未来の暮らしと,暮らしたいまちの
私のコンセプト
① おおらか。懐が深い。誰をも受け入れる。
② 自然と調和。周囲の環境に溶け込んでいる。
③ 自然と健康になれる。
④ 適度に便利。適度に不便。
⑤ 脳に良い刺激がある。
⑥ 付かず離れずの人間関係が保てる。
⑦ 節度あるコミュニケーションがとれる。
⑧ まち内には大店舗が無い。
⑨ ほどほどの大きさ、小~中規模までのお店でショッピングエリアを構成している。
⑩ 過度の競争をしなくても商売が成り立つ社会環境。
⑪ 店や会社、人間生活が地域に根付きやすい社会環境。
⑫ 生活のための協力体制が自然に身について行く構造のまち。
建築物や構築物について
① 住居や施設のデザイン設計や大きさが違っても、同じような構造設計がなされている。
同じ様な構造は救助の時に役立つ。
② どの家や施設も回廊型の「舞台づくり」で、中央に突き出した本舞台を持つ構造をと
る。「舞台づくり」は救助が必要な時役立つ。空から救助隊が舞台に降りられるのだ。
火事の場合は住人が舞台に避難できる。
③ どの家や施設も高床式で、後方に斜面を配している。
④ 高床は風邪が吹き抜ける構造となっており、山風、谷風、海風を活用する。
⑤ どの家も施設も、自宅周辺の自然を利用した発電と蓄電で、電気を賄う。
⑥ 各家から余剰の電気を集めて共同施設に蓄電する。
―ここまでお読み頂きまことに有難うございました。お疲れ様でしたー
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