Day 9 とよくにのみちのくち
4月8日(月)
浜の宮海岸 網敷天満宮、宇佐神宮参拝
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いさんだの浜
宿泊: タンガテーブル
わたしたちは平安時代ごろまで『とよくにのみちのくち』と呼ばれていた場所を漕いでいる、その後『豊前の国』とよばれていた時代もある場所だけども、今で言う大分と福岡の県境を漕いでいたのだ、姫島から漕いだ時からそう感じていたのだけど、この情緒ある呼び名『とよくにのみちのくち』がこの場所にはぴったりだと思うのだ、
瀬戸内海沿岸のコンビナート群はあまりにも哀しく残念だから、なるべく海と山に意識を集中しながら国東半島(この国の東と書いて ”くにさき” と呼ぶのも歴史を感じさせるのだけど)から続く大分県から福岡県へと続く原生林の山並みや沿岸に少しだけのこる黒松の群生をみていると、この名称がしっくりとくるのだ、
そして、わたしたちが昨夜上陸した築上町の浜の宮、かつては砂浜だったであろう場所に建つ網敷天満宮のたたずまいや、今回この『とよくにのみちのくち』に訪れた一番の理由といってもいいであろう、宇佐神宮とその周辺の地形や地理をみれば、この呼び名がしっくりとくる、
宇佐神宮は全国に4万4千社(神社は全国に約9万社あると言われている、ちなみにコンビニは5万6千店舗だから、凄い数だとおもう)あると言われている八幡宮(八幡さん、八幡神社ともよぶ)の総本山で、渡来系の神様なんだけど、伊勢神宮に次ぐ第2の宗廟(そうびょう)と言われ、皇族の縁の地、わたしにとって身近なところで鎌倉の鶴岡八幡宮にも代表されるように鎌倉時代からは武運の神、武家の守護神として崇められたりもしているけども、もともとは海の神様、航海の神様といってもいい、
宇佐神宮に関しては、検索すればなんでもわかるだろうからガイドブックみたいに説明はしないけども、参拝方法は出雲大社と同じで『二礼、四拍手、一礼』がまだ残っているというのが印象的だった、
4月8日、わたしたちは早朝に宇佐神宮に参拝に行った、
しーんと静まり返った朝の神聖な空気感を期待して訪れたわたしたちを待ち受けていたのは
大きな木々と巨石に囲まれた広大な神域をけたたましい爆音のブロウワーの大合唱の音だった、
アミューズメントパークや公園を清掃するような感じで数名の作業員がブローワーで掃除しているのがすごく残念だった
そしてかれらの横には注意書きの看板がたってあり、『神域ですので大きな音や声をたてないように』と書いてあったのだ、
神社に雇われた町の作業員なのかもしれないけども、伝統的な竹ほうきで時間をかけてやればすむことなのに、効率化、タイパの波は日本人の心を穢し、神社という神域さえも観光地化されてしまうのが残念でたまらない、
でも絶対神のヤハウエの神と違い日本の八百万の神々はなんでも受け入れてくれるのだろうか、
それにしてその騒音がうるさくて、その中参拝するのはほんとに大変だった
アンクルとわたしたちは大木を囲むようにして手をつなぎ祈りを捧げたのだった、
根っこででこぼこした足場のわるい参道の横に厳かにたつ大木に手をあてて話しかけているわたしの手をとり、皆を突然呼び寄せて祈りを捧げ始めたのだ
オリを唱えるわけでもなく、
静かにただ皆で手をつなぎ祈りを捧げつづけた、
清掃作業員のブローワーの音がどんどんわたしたちに近づいてくるのも気にしないでわたしたちはお祈り続けたのだった
どのくらいたったのか、知らないうちに、鳥のさえずる声と風の声と森全体の葉っぱの話しあう声だけが静かに耳にかたりかけているのに気づき我にかえった、
もういつのまにか集合時間を過ぎていた、
今日も神戸のカヌークラブの人3名が一緒に漕いでくれるのだ、
わたしたちはPilialohaがひとり待つ浜の宮海岸に急いだ、
駐車場横にたたずむ菅原道真ゆかりの網敷天満宮に手を合わせ、わたしはいつもより少し厳かに八百万の神々を身近に感じながら舟出した、
目指すは 門司(もじ)の" いさんだの浜" この砂浜は関門海峡手前のゆいつの砂浜で人工の浜なのか自然の浜なのかわからないほどに工場や掘削作業の船やトラックが行き交うコンクリートに囲まれた場所に静かに息をひそめてたたずむ砂浜だった、その浜に行く途中も昨日に引き続きセメントで固められた海岸線を漕ぎ進むのだった、海を撫でながら、
大分空港の無駄に迫力ある橋の下をくぐり、後ろの里山をかくすほどの大きくそびえ立つ新門司港の堤防をこえてわたしたちは漕ぎ進むのだった、その息をもしないマナを吸い取られたような海岸線とは対象的に海と空は哀しくなるほどに静けさが漂っていた、人の営みを感じさせないほどに静寂がそこにはあった、言葉にできないほどに哀しみを感じながら海にかたりかける、
ごめんなさい
ありがとう
だいすき
わたしから発せられる言葉と 思いは
海に 母なる地球に
どんな影響をあたえるのだろうか
そんなことを意識して
言葉をえらんで
母なる地球にとって
海にとって
未来のこどもたちにとって
よい言葉だけを選んで発しながら
祈りをささげる
海をなでる
アロハをこめる
いさんだの浜には、だれも待っていなかった、
Pilialohaの哀しい気持ちをあらわすように雨が降り出していた、
干潮の時間だったのだろう、潮が引き 上陸した波打ち際から満潮線まではかなりの距離があり、牡蠣の殻も散乱していて6人だけでその砂浜を運んで移動するのに苦労したけども、この『とよくにのみちのくち』と万葉集にも詠われるほどに美しいイザナミノミコトが生んだ大地、海や砂浜や途中で出会った元気がないスナメリちゃんのことを思い浮かべると弱音なんか言えるはずはない、
ごめんなさい
と心で唱えながら一心でわたしたちはPilialohaと一つになり、漂着した木々やゴミをかき分けて浜の上に満潮になっても安全と思われる場所にPilialohaを置いて一日を終えたのだった、