E ola na ohana ka wa’a moana 『大海原に棲むカヌー家族』no.5 最終話
八丈島から伊豆半島までの海を漕ぎ進むうちに、ハッキリと見えてきたものがある、それを伝えなきゃいけないと思いこの『大海原に棲むカヌー家族』というものを書き始めた。
今の子供たちや若者たち、そして、この混沌とした世の中に生を受けるであろう子供たちに向けて、人生という荒波の中を漕ぎ進み疲れ果てて行く先を見失った時に、キラキラと太陽の輝きが海面に現れて進むべき道を導いてくれるような、そんな『希望の光』になればいいなあ、と思いながら書き始めたのだ。
今回のボヤージング3日間のストーリは、参加したクルーでもあるオハナの客観的な航海日誌や、忠兵衛丸に乗船して3日間を一緒に過ごした彼が編集した映像を見れば誰にでも分かりやすく伝わるだろう。
さて、続きだ、、
僕らのヴァア、kupuna は北北西に針路をむけて進んでいる、進行方向の右がわ遠くに御蔵島を望みながら。八丈島と御蔵島の間にある黒瀬という浅瀬がある海域を避けるというだけでなく、東へ東へと流れる黒潮に流されないように北北西に舵をとりながら漕ぎ進むのだった。今夜の到着場所を新島ではなく40キロほど距離が短くなった目的地、三宅島の西海岸にある避難港でもある、阿古漁港を目指している。阿古は砂浜ではないし、今は高いコンクリートとテトラポットでできた、海のマナをなるべく寄せつけようとしない、人間の意識が創り出した巨大な人工物に覆われた哀しすぎる港ではあるけども、その昔は黒い砂浜にhonua亀さんたちが産卵にやってくる、海とそこに生きる生き物たちと調和した浜砂だった。
正面方向からの北北西の風はいくらか弱まってきたけども、三宅島に近づくにつれて潮の流れが強まってきた。だけれども、目的地がはっきり目視できるようになったという精神的な安堵感もあるのか、クルー皆は元気に力強く漕ぎすすんでいる。
突然の初日の目的地変更、来島となった三宅島での宿の手配は、圏外で電話がうまく伝わらない中でも、陸のサポーター達が連絡を取り合い、週末だったにもかかわらずコロナでキャンセルが出たということで、数年まえに南伊豆から三宅島まで往復した時にお世話になった宿、ゲストハウス島屋が、この突然の来客、それも大人数の僕らを受け入れてくれることになった。縁というか、導きというのか、大きな流れというのか、偉大な魂の共鳴に、心から感謝です。
三宅島へのボヤージングの模様⇓
そういう偶然や奇跡の流れに気付き、それを認め、信じ、覚悟を決めて大海原を漕ぐ、それがボイジャーとしての一つの条件だと僕は思う。
見えないものの存在を信じる力、
見えないけども、この先に島があると信じる力、
何度もいうようだけど、、、、
黒潮流れる荒れたこの海域を2日間仲間が力を一つにして漕いで海を渡るということ、それも1人ではなく十数人のクルーたちが、それぞれの仕事や家庭の都合で生きている多忙な現代人が、タイミングを合わせて、天候と海況などの自然のリズムに合わせて、『the day 』というこの日を引き寄せ海に漕ぎ出す、
これが宇宙の摂理、偉大なスピリットの意思、神がかり的な出来事、仏の御加護、と言わず、なんと言うだろうか。
毎日朝も夕も海を見て、海とともに生きた、同じ場所で寝起きを共にして過ごした、地球とつながりながら生きた太古の海の民、クプナ達にとっては日常の出来事かもしれない。でも僕らはちっぽけでひ弱で、ネットやワイファイなどでつながってる現代人。そんな僕らが、今回のボヤージングを勝手に計画しても、そう簡単にできる出来事ではないのだ。僕らは大自然の前では全くの無力なのだ。僕らはただ宇宙の摂理、母なる地球の息吹にあわせ、すべては大いなる存在の導きに合わせるだけなのだ。
ただ、覚えておいて欲しい、僕らは必ず選ばれているということを。生まれながらにこの使命を与えられ、そのために今ここにいる。ということを、、、
まだ明るい時間帯に阿古漁港に到着した僕らは、まずは真っ先に温泉『ふるさとの湯』に向かった。疲れた身体にには温泉に限る、温泉に浸かるという行為はその土地のマナに触れる、一体になる、という意味では、その島のマナと古代からの記憶とつながる最高の儀式なんだと僕は思う。
最高の儀式を終えて、全員が宿に行き、即席で作っていただいたカレーを食べ、明日の三宅島から南伊豆、弓ヶ浜までの航海にむけて、簡単なミーティング。本来の予定では、この日に到着し、一泊する予定だった新島には、明日はkupuna は寄らず、忠兵衛丸とその時船に乗ったクルーだけが新島に寄港し、新島で待つクルーを迎えに行く、ということが決まった。
ほとんどのクルーはそのあともその宿で夜を過ごし宿泊したが、僕と数人の金なし若者たちは、また忠兵衛丸に戻った。コンクリートとテトラポットに囲まれた漁港とはいえ、海に浮かぶ船に寝るということは、今日の航海の流れと、明日からの航海の流れのただ中に自分の身を置き、海を感じ続けることであり、航海中はpeperu(舵取り)はなるべく交代をしないのと同じで、ヴァアと海の良好なエネルギーの流れを遮断しないという意味でも大切なことだと僕は思うのだ。
ほとんど眠れないまま、また夜明けがきた。でも全くの不安もない。
漁港で全員でe ala eをして海に漕ぎいでると、東の空と海の隙間からお日様が昇ってきた、忠兵衛丸から聞こえてくるe ala eのリズムが耳に小気味よい。愛と勇気をもらう。
もう利島も、新島も、式根島も、神津島もはっきりと目視できる。潮の流れがさすがに昨日よりも強い。風はそうでもない。黒潮の真っ只中を僕らは漕いでいる。船だけでなく、海全体を東から西へ西へと動いているので、流れを感じないが、少しでも船首を右(東)に向けるとヴァアのスピードは速まり流れに乗ってスーと進んでいく、左(西)に向けるとパドルが重くなりスピードも落ちる。新島の東側に行かないように、神津島よりもずっと西よりを目指しながら漕ぎすすめるのだった。見慣れた島々の形、振り向くと御蔵島も、三宅島もどんどん遠ざかって行く。漕ぎ進むにつれて、風やウネリがいくぶんか落ち着いててきたようで、昨日よりも漕ぎやすく感じる。伊豆半島も薄っすらと見えてくる。伊豆半島の陸地は近い、クルー皆も張り切っている。やっと家族に会える安堵感なのか、皆の顔がほころんで、笑顔がたえない。これもまた、無尽蔵な愛のエネルギーなんだろう。
新島で一晩を明かし、僕らの到着を今か今かと待っていたクルー数名と島の子供と中学生のオハナ達が地内島にさしかかった辺りで合流してくる。
新島の仲間が操縦するクルーザーも伴走し、応援してくれる。新島オハナからの飲み物や食料品のお裾分けに船内が賑わい出す。
今回のボヤージング道中の僕の食料はもっぱら果物だけ。口にしたものの7割はスイカだった。水はほとんど飲まなかった。クプナ(長老)の僕を労って、交代のためたまに忠兵衛丸に乗船すると誰となく皆が果物を用意してくれた。ありがたい、有り難い、この優しさ、愛、なしにボヤージングを続けることは不可能だとふと思うことがある。大自然の中では、いつも人は軟で弱い生き物なのだ。
葉山で、弓ヶ浜で、祈りながら待つオハナや子供たちの愛の波動もずっと感じていた。あたたかな光の輪がkupunaを照らし、その光の和の中で漕いでる自分の姿が何度も漕ぎながら見えてきた。そのたびに自分のマナが高まり、オハナとの絆が高まるのだった。
この祈り、想念、愛のパワー、は、宇宙一、そして地球一、渇れることを知らない、何も汚さず、ゴミも残さな、無限のピュアエネルギーなのだ。
神子元島が近づいて来た。海面に神々しくそそり立つ灯台が目印だ。この海域は海底が非常に浅く、潮の流れが渦巻くほどに複雑で生き物のように動きながら速まったり、油の膜をはったように静かになったりするのだけども海底の中は常に複雑にうごいている。ヴァアがあっという間に忠兵衛丸から引き離されて行く。僕は神子元島にお礼の挨拶をするために忠兵衛丸をあえて避けて、神子元島に近づいて行って、手を合わせた。ありがとう!と、
なんども1人で漕いで往復した島だけど、毎回漕いで近づくたびに流れの向きも強さも波立つ角度も違ってくる、まさに生きている、まるで意思があるように動く潮流なのだ。生きているのだ。
神子元島の見え方で、今自分たちがどこにいるかがひと目で判断できる。この海域を航海する船にとって、安全のための目印でもあり、厄介で危険な岩礁なのだ。
そんな海域で、なんと最後の交代の司令が忠兵衛丸から出る。それも中学生を含むクルーで最後のレグを漕ぐことになった。この日のレグで一番の難所にもかかわらずだ。クルー全員の疲労もあったのかもしれないが、僕は舵を取られまいと全力で漕ぎ進んでいたが、忠兵衛丸からは余裕に見えたのかもしれない。これも導き、子供たちにとっても素晴らしい経験だ、と気をとり直すが、近くにある岩礁に吸い寄せられ衝突しそうになる。漕ぎ力が弱い僕らは木の葉の様に流されて行くのだった、爪木崎の先、遠くに見える大きな島、伊豆大島に向けて。忠兵衛丸は船上のクルーたちを弓ヶ浜に先に送り届けるために早々に僕らとkupunaをその海域に置き去りにしてどんどん離れて行ってしまう。
それからが大変だった。中学生を含むクルーに不安を感じさせないように、元気に、ポジティブに声をかけ続けるが、もうすぐ弓が浜だといいながらも、実はkupuna はどんどんと下田方面に流されて角度的に弓ヶ浜が見えづらくなっていくのだった。
僕は何度も大声でチャンティングを唱え、必死に全力をふりしぼって漕ぐ。そして心の中で、クプナたち、この海域に棲むカヌー家族に助けを乞う。いつも僕が海の上で不安になった時に、突然現れてヴァアの前後に座り一緒に漕いでくれる太平洋の『大海原に棲むカヌー家族』に必死に語りかけた。現れてください!と、一緒に漕いでください!と。
すると、なんと、海全体に無数のクプナ達が現れて、無数のヴァアを漕ぎながら僕らを伴走する、そんな景色が見えてきた。1人乗り、3人乗り、6人乗り、10人乗り、、、海を埋め尽くすほどのヴァア、違った時空からやってきたクプナ達が、
お帰り!
ありがとう!!
といいながら、叫びながら、歓喜の唄を唱えながら、一緒に漕いで伴走する風景がハッキリと見えてきたのだ。それと同時に、僕ら6人と僕らのヴァアkupunaは蘇り、元気を取り戻し、力強く、一つになって漕ぎ進んだのだ。
確かにそこに、クプナたちの存在をfeelしたのは僕だけじゃないと思う。あの時は6人皆がそうだった。6人だけで漕ぎ進んでるのではないと感じていたと思う。
遂に弓ヶ浜に上陸した時には、浜を埋め尽くすほどのクプナたちとヴァアが待っていた。僕らのことを待っていたオハナと僕らクルーたちを、あたたかく光り輝く大きな愛の和でかこみ、笑顔で唄いながら、祝福してくれたのだ。
Mahalo akua,
Mahalo na aumakua,
Mahalo na kupuna,
Mahalo na makua,
Mahalo na ohana ka wa'a ocean,
心のなかで、大きく叫んだ、
今回の八丈島から葉山までのボヤージング、、、
それは、まだ始まりの始まりだろう、
底しれぬ闇の中にある、かすかな光の兆し、でしかすぎないことなのかもしれない、
ちっぽけな光の種、にすぎないのかもしれない、
でも、それは確かに輝きを放ちはじめている、
時空を超えて、無数のクプナ達が歓喜したように、
数百年、数千年、もしかして数万年の時を超えて、人類が待ち焦がれていたことなのかもしれない。
それは、きっと、、、、
『地球とつながり、生きとし生けるものすべてと調和して生きる、和を尊ぶ海洋民族』
僕らのヴァア、Aloha 『愛』、という名の舟、宇宙船地球号は、すべての生命と人とが調和して生きる世界に向けて、やっと舟出をしたのだ。
そう、これは、大海の一滴、かもしれない、
でも、僕らはその舟を照らしつづける希望の光になる、そのために心をひとつに、協力し、わかり合い、助け合って、この大海原を漕ぎ続けるのだ。
終わり、