DAY7 心の目でみえる島
4月6日(土)
祝島(宇戸八幡宮)
↓
姫島(大帯八幡社)
宿:おのむら
祝島での時間はのんびりと過ぎていった
一晩だけ過ごしただけだけど、すごく長く感じたのだ
なぜかわからいけども時間がとまっている、そう感じる島、それが祝島、
昔ながらの石積みの練壁がそういうきぶんにさせるのか、
細い路地がそうさせるのか、わかならい
13年まえにもこの島に立ち寄ったことは前にも伝えたとおもう、
わたしがこの島への上陸をのぞんだ理由3つある、
まず第一には、
『航海安全の祈りをささげる神霊の島』とよばれているからだ、
奈良と京都という古都から九州国東半島をむすぶ最短の海の道の途中にあることから万葉集にも詠まれ、古来から多くの船人が風待ち、潮待ちのために立ち寄った島なのだ、
荒波の中で遭難しそうになった時にこの島に向かって一心に祈ると島は霊光を発して行き先を照らし導いてくれたという逸話が島には残っている、古くは丸木舟で漕いで海を渡っていた時代から帆船の時代まで多くの海を渡る人たちがそのような経験をしたのだろう、すごくわかるような気がする、
昨日は周防大島から穏やかな周防灘を漕いで渡ってきたけども、上関の島影からこの島を見た瞬間に海を照らす傾きかけた太陽の光に浮き出るこの島に神威を感じた、まさに霊光をはっしているのが見えたと同時に時空を超えてたくさんのクプナ(先人)たちがわたしたちを祝ってくれていると感じたのだ、
ちなみにハワイのホクレア号のホクレアは幸せの星、祝星という意味もある
そして、そのホクレアもこの小さな島に立ち寄っている、
とにかくこの島は名前の通り、神がかっている、時間が止まっている
この島によった理由の2番目は『神舞』だ
それを直接今回見れるわけではないが、神舞のマナを島で肌で感じたかったのだ、
昔ながらの木造和舟、櫂伝馬舟をつかった入船、出船の神がかった舞が4年に一度おこなわれる瀬戸内海に浮かぶ小さいけども特別な島だからだ、神にささげる舟の舞を1100年以上ものあいだ紡いできた島のクプナとそのスピリットを今回また感じたかったからなのだ、
ほんの少しわたしたちが舟出する前に見かけた神舞のための櫂伝馬舟をつくる船大工さんもまだまだ健在で嬉しかった、アンクルもその伝統的な船作りの技法には驚いていて、日本の伝統的カヌー文化を誇ることができてわたしも内心嬉しかった、脈々と続くこの伝統文化、和舟づくりの伝統技術がこれから100年先も1000年先も続くことを海の神様と丘の上の八幡さまにお願いした、
この島に上陸した3番目の理由は、
『原発反対』No Nukes だ、
わたしは13年前の夏、東日本大震災のあと、あの福島第一原発の事故のあとに、海からの巡礼の旅と称して海を漕いだ『No Nukes Live simply 』『昔のひとのようにシンプルに生きれば原子力発電所はいらない』というメッセージを発信し、海沿いの原発に意見書を提出しながら海を漕いで砂浜に上陸し野宿を続けた、熊本の水俣から福島の双葉海岸を目指して丸木舟のようなシンプルなV-1 (タヒチアン一人乗りカヌー)で漕ぎ続けたのだ
その巡礼の旅は原発事故による放射能汚染が予想以上に深刻で、結局は房総半島を超えて東北まで行くことを断念して葉山で今なお東北に向けての舟出を待っているところなのだ、という話は前にNoteでもしたとおもうけども、いまだに東北に漕いで行けるタイミングが来ていない、導かれないでいるのだ、
今から13年まえ、原発反対運動の最前線にいたのがこの祝島の島民たちだったのだ、
この小さくて美しく自然豊かで神がかった祝島の真向かい4キロの対岸に上関原発ができる計画がその当時はまだあったのだった、1982年にこの計画は始まったが、この祝島の島民による1300回もの反原発デモなど、根強い反対活動により幾度となく工事は延期され続け、ついには福島原発事故を受けて今は様子見の状態なのだ、ただその予定地は今も建設工事が中断したままで見るも無惨な状態で放置されている、上関の緑深い美しい海岸線がその場所だけポッカリと地盤ごと削られているのだ、
つい昨年もその同じ場所に中国電力と関西電力による原発のゴミ保管施設建設構想が持ち上がったがこれも島民と上関の住民も反対で中断に追い込まれている、
当時、1300回もの反対デモを精力的に頑張った島の人たちの高齢化は急速に進み3000人いた人口も今は200人ほどらしい、
人口が減れば反対運動もできなくなるのは必至で、今後どうなるか目がはなせないのだ、
今回ヒロシマ・ナガサキを終えて、さまざまな海を漕ぎ、浜に上陸し、その土地のエネルギーを感じ、八百万の神々の存在を感じ、ホクレアのMoananuiaakea の上映会を各地で開催しながら観て、またこの祝島の長年の原発反対運動をみててわたしが思うには、
大地はそこに古くから住む民族(島民)のアイデンティティ(感性)を大切にすれば必ず守られるということだ、
神と自然と人はいつの時代も太古から絶え間なく永遠につながり循環しているのだ、
そしてもっとも忍耐強く、もっとも経済的で、生活習慣がもっともシンプルな者が勝ち残りコストの高い民族(人種)は結果的にすべてが消滅することになる、人はあやまちばかりおかすけど、自然は決してあやまちをおかさないのだ、その土地に生き残る最適者は自然と最高なレベルで共存でき、わずかなものに満足できる者である、それが宇宙の法則なのだから、
今日は祝島から姫島まで漕ぐのだ、いよいよ九州だ、
周防灘と伊予灘の境界に浮かぶ島、大分県の姫島まで約40キロ弱
皆の荷物を積んで姫島まで運んでくれる人を探していたがなかなか見つからない、宿のくにひろさんの紹介もあり、島の若い議員さんが姫島まで伴走はできないけども、荷物とアンクルとほか数名の仲間を乗せて行ってくれることになる、一安心だ、
風もほとんどなく凪の日だったけど、祝島を半周して島の北側まできて気付いたことは、姫島がまるっきし見えないのだ、姫島だけじゃないガスってて陸も島もなにもみえないのだった、
きみに島はみえるか?
はい見えます、わたしの心の目で、、、
その心の目でみえる島をけっしてみうしなってはいけない、
心のなかの島をみ失った時、きみは道に迷うことになる、
すすむべき自分の道、クレアナさえもみえなくなってしまう、
ひとりでなんどもなんども口にした、
わたしに島はみえる、と
交代なしで6人だけでの海峡横断、もちろんわたし以外の全員が初めて渡る海峡だ、
姫島がまったく見えないことが誤算だったけども、不安はない、九州方面、西に向かって行けばどこか陸には到達するという安心感がある、
海のうえでは北がどちらかなのかはすぐに分かる、都心や町中など電波や電磁波が飛び交いネットで空が覆われてる場所でまったくはわからなくなることもあるけども、海の上はネット網も薄くなるからだろう、北さえわかれば西はわかるものなのだ、わたしたちは地球という巨大なコマの上にのってものすごいスピードで回っているのだ、それを意識すればおのずと北の方位を感じることができるものなのだ、
海と寄り添い、この母なる地球のバランスを調える愛と祈りの航海は、別に最短距離で島に向かう必要はまったくないのだ、
必要な出会いや出来事は与えられ、いまのわたしたちに必要な航海が与えられる、そういう心持ちですべてを受け入れて航海を続けているのだ、
3時間ほど漕げば島か陸が見えるだろう、
荷物を乗せてくれる小舟は1時間ほどしてから途中で追いついてくることになっていたが、目指す島が見えないことには合流できるはずがない、
Pilialohaとわたしたち6人は姫島までの直線ルートを大きく南に外れて漕いでいたようなのだ、本線航路をすこし緊張ぎみに2回ほど横断する、それでも島も国東半島もみえてこない、九州のあの豪快な山々も見えてこない、
おそらく視界10キロをきってるのだろう、葉山から江の島が見えないときのような感じだ、あとから判明したのだけど、このガスは黄砂の影響だったようで、これから数日間この黄砂による視界不良にPeperuのわたしは悩まされることになるのだ、
何時間たっただろう、漕げども漕げども島も半島も九州の山並みも何も見えてこない、3時間以上は何も見えない中を漕ぎ続けている、わたしは後ろを振り向きながら、わたしたちが漕いできた方向と祝島と上関の見え方を確認しながら前進していく、
こういう漂流のような航海をすると、どんどん自分の野生が目覚めてくる、目や耳にたよらず、見えないものの存在を感じるのだ、
古代の人(クプナ)と共に海を渡って心地よい感覚にはいっていく
直感がするどくなる感じなのだ、
後ろもだんだん見えなくなり始めたころに、クルーの一人が大声をあげる、あれ、山じゃない? 、という声でわたしは現実にもどされる、ほかのクルーはよほど不安だったのだろう、とその時気付く、
山の頂上らしき部分がかすかに見えてくる、でもまた見えなくなる、その繰り返しだ、それが姫島の一部ならわたしたちはかなり南に流されて島と島とをつなぐ直線の進路からズレていたことになるのだった、
13年まえ姫島にも立ち寄ったが、その時は九州本土から姫島を目指したので、あまり島の形は覚えていないのだ、こんな火山のような高い山があったかな、、、と疑心暗鬼になりながらその方向に漕ぎ進む、その時になって、南に流れる向かい潮がきついことに気付く、なかなかその山の方向に近づかないのだ、そしてこれが姫島なのかもわからない、あえてスマホでマップで確認してこなかったけどもここで始めてクルーの一人に確認してもらう、姫島に先に到着したアンクルと仲間たちはおそらく心配しているだろうな、、そればかりが気になるけども、5,6時間はかかると予想していたのでそれほど到着は遅れていなかったのだ、
風が急に吹き出した、ほぼ真後ろから吹いている、まっすぐ進んでいたらアマ側からの風とうねりを受けていたのだ、さっきまで南に流され航路をとっていたことが功を奏した、これは神風だ!とひとりで思いながら、風とうねりに乗ってすすーと姫島の湾のほうにむかってPilialohaは進むのだった、
後ろを振り向いてももう祝島はまったくの霧の中、でも " 心の目でみえる島 " に向かってお礼をいう、ありがとう、またくるね神霊の島、祝島、