E ola na ohana ka wa’a moana 『大海原に棲むカヌー家族』no.2
Peperu (ステアーズマン、舵取り、船頭)の一番の醍醐味は、風を感じ、潮の流れを感じ、ウネリと波のリズムを感じながら、自分の五感とたまに六感も、、、総動員させて、道のない海の上に自分なりにルートを作りながらヴァアを少しでも速く、そして安全に、前で漕ぐ5人を気遣いながらも、ひと漕ぎひと漕ぎ海と対話しながら漕ぎ進むことだ。
それなのに、あーそれなのに(笑)、今回のkupunaでのボヤージングは、人工衛星とパソコンていうのかなAIとでも言うのか、、、そういうハイテク機器にコントロールされて、海を進んでる感じだった。その御蔭で、2日間とも、おそらく数時間早く、日が暮れる前に到着できたのは確かで、『安全な航海』を目指すという意味では、成功だったのかもしれない。
でも、僕自身は、、、大切な何か、、、を感じないままに海を渡ったように思えるのだった。
俺たちは何を目指しているのだろう?
どうしてボヤージングをするのだろう?
葉山に戻ってきてからも、そういう自問自答がいつも頭をよぎる。海を見るたびに涙ぐんでしまう。
話はまたまた戻るけど、、、、
2007年に星をみながら、自然から得られるサインだけを頼りに生まれ故郷のハワイ、ポリネシアの海域を1975年の建造いらい初めて離れ、ミクロネシアを経由してやってきたHokule’a、古代のヴァアのレプリカで、2本マストの双胴船カヌー、海図も磁石もコンパスも、無線もナシ、もちろんGPSに頼ることもなく、最小限の安全確保のために伴走艇としてボロボロのKamahele カマヘレという名の小さなヨットが常に後方に寄り添うように付いてきた(ハワイから日本までのHokule’a との航海の間、Kamahele の中に飾ってあった絵が、今現在ショップ『Paddler 』の入り口正面に飾ってある絵だ。Hokule'aと一緒に太平洋を渡ってハワイからやってきた絵だというのは誰もしらない事実)
Hokule'a の航海は、風がない時は何時間もただ漂うだけ。海が荒れれば、右往左往して同じところを行ったり来たりもする。目的地に近づかないこともある、遠回りして時間をかけて目的地に到着するのだ。目的地への到着時間はもちろん決まっていない。全てが自然まかせなのだ。人の都合じゃなく、地球の都合で、宇宙につつまれながら、地球のリズムで進むのだ。
そんなHokule’a からインスパイアーされて始めたボヤージングを源泉とするカヌークラブ、オーシャンヴァア、、、、
同じ島を目指し、同じ志しで海を漕ぐ仲間は確かに集まって来た。子供から若者、そして大人まで。
今回のボヤージング、たった2日前の召集にも関わらず、殆どがサラリーマンの23人の選抜クルーに声をかけて、そのうちの18人が参加してきた。金曜日とはいえ、平日の夜に南伊豆に18人プラスその家族が集まってきて、誰が指示するわけでもなく、移動日も入れて3日間に必要なものを、それに気づくオハナがそれぞれ準備をして、粛々と土曜日の朝2時半に南伊豆手石港の岸壁に勢揃いしたのだった。
その前の週には、夏休みにはいったばかりのオーシャンの、この母なる地球の未来を照らす、子供たち、Moana Keikiたち(小学生)がケイキたちの親も含むワヒネ(女性)とOpio(若者たち)と、交代を繰り返しながら葉山をスタートして相模湾、相模灘をぐるっとめぐり、南伊豆の弓ヶ浜までの海路120キロを2日間かけて、今回のボヤージングヴァア、Kupuna を漕いでつないだのだった。同じ気持ち、同じ目的で子供たちも漕いだのだった。
記録のために、、、行程はこんな感じでした。
虹のむこうに、、、Anuenue ボヤージング
Moana Keiki(小学生)13名、大人14名参加
7月21日(水)
葉山大浜→森戸海岸
森戸海岸→逗子海岸
逗子海岸→江ノ島東浜
江ノ島東浜→大磯港東側
大磯→酒匂川河口東側
酒匂川→湯河原 吉浜新崎川河口
湯河原→伊豆多賀 長浜 宿泊
7月22日(木)
伊豆多賀→川奈イルカ浜
川奈→赤沢
赤沢→今井浜の東の浜、琴海神社前の浜
琴海神社浜→外浦
外浦→爪木崎
爪木崎→弓ヶ浜
We are voyagers!
と声をあげて声援をしてくれるオハナ達、、、、
でも僕たちはほんとに正真正銘のボイジャーなんだろうか?
自然からえられるサインだけを頼りに、自然とつながりながら海を渡っているのだろうか?
確かに僕らは海を漕いで渡っている。そういう意味ではボイジャーだ。八丈島から弓ヶ浜まで漕ぐ長距離の外洋を漕ぐボヤージングの場合は、伴走艇がなければ渡れないのも確かだろう。
交代をするためだけでなく、今回は進むルートまで決めてもらい、自分で進むルートを決めるわけでもなく、ただただ伴走艇に寄り添って進んだのだった。大海原の道なき道を自分で決めて進む。それがボヤージングの魅力の一つ、これはPeperu(ステアーズマン)にしか解らない感覚なのかも知れないが、ヴァアを漕ぐ6人は一心同体、Taho’e(タホエ)なのだ。僕の気持ちは前で漕ぐ皆に伝わっているだろう。いや、オハナ皆に伝わってるかもしれない。
古代の人、僕らの祖先の海洋民族たちはどうしていたんだろう?
海に出るたびに、いつも僕は問いかける、彼らならどうしただろう。
彼らの長老ならどんな判断をするのだろう?
見えないけど、いつも海の上ではそばにいるクプナ(先人)に話しかける。
今日、舟出していいのかな?
見えない潮の流れをどう判断したらいいの?
この風は強まるの?弱まるの?いつ風向きが変わるの?
漕ぎ進む角度はこれでいいの?
このまま漕いでいて、日が暮れる前に島に到着できるの?
そのたびに彼は答えるだろう。
duke、、、感じなさい、ただただ感じなさいと、、、
漕ぐこと、ボヤージング、
小笠原を目指し、
島と島を安全に漕いでつないでいくこと、、、
それはあくまでも手段だということを忘れないようにしたい。
僕のKuleana 使命、
それは、、、、
”偉大な海洋民族を祖先とする日本人として目醒めること、”
”このマザーアースで他の生き物たちとともに調和して生きる、”
Hokule’a からもらった僕のKuleana、
それを忘れないでボヤージングをする方法を考えるときが来ていると今回思ったのだった。
さて、11年前の八丈島からのボヤージングはどうだったのだろう?
記憶を紐解いてみたい。
御蔵島の東の島陰で暗闇の迫る荒れた海から海賊船に引き上げられた僕とOC-1,(実はこのヴァアは借り物で、勝手にMoanaという名前を付けていた)
僕は気絶してしまったのか、その後の数時間のことは全く覚えていない、どのくらい時間が立ったのかも覚えていない。けども、もうろうとしながら目が覚めた時にオレンジ色の灯台の光が点滅しているのが見えた。俺は御蔵島の隣30キロほど北側にある三宅島かとふと思ったが、また眠りについてしまった。そしてあたりが明るくなり目覚めた時にはコンクリートの堤防の道端で、パレオに包まった状態で寝ていた。漁師の軽トラが顔の横を猛スピードで走り去り目が覚めたのだった。なぜ、どうやって自分がそこに移動したのかも覚えていない。
見慣れない漁港だった、ビルのように高いコンクリートに囲まれているので、周りの海の景色も自分がいる島の姿さえも見えないでいた。漁船の若い乗組員にここはどこかと聞くと、渡浮根港(とぶね)という避難港だ、新島だと答える。当時は聞いたことのない名前だった。
まさか、それから数年後の自分がこの島、新島に住むことになるとは、この時は思いもしなかった。
それよりも、僕は驚いて船長室に行き、でビリー・ジョエル似の船長に食ってかかった、
『何で新島まで来たんだと!』と、
『2日間のチャーターの約束で、お前からお金をもらっている、今日が最終日だ、葉山まで漕ぐのであれば、昨日のスピードからして、この場所が限度だろうよ。日暮れ前に到着できないかもな、それよりも、ここからの海のほうが荒れてるよ。新島、鵜渡根、利島、大島、と島が点在するからその島と島の間を黒潮が通ると流れが速まるし、潮目が次々と現われるから覚悟したほうがイイよ。気をつけなきゃすぐにサメの餌食になるよ。この先からは危なくなると判断した場合は早めにお前さんを船に引き揚げるからな、覚悟しとけよ』
と明瞭な指示だった。絶句、、、、
今の僕では考えられないけども、、、、、、漁船の定番食、カップヌードルをススって直ぐに舟出した。
葉山までの距離はここから直線で約120キロ、今日のサンセットまで残すところ13時間ほどだったのを今も覚えている。急がなきゃ、、、、
八丈島から漕いだ時のドキュメント映像が最近リリースされたのでシェアします。⇓
https://www.youtube.com/watch?v=rRQM3mqph6U
さて、今年のKupunaでのボヤージングだ、
八丈島を舟出して4時間後くらいだっただろうか、Peperu をkenny とチェンジして伴走艇に戻ってきた。大船長のオーシャンキングに僕は船に乗るなり冗談も込めて叫んだ。
『凪なんかじゃないじゃないか!!』
こんな海のコンディションでは、日暮れ前に今日の宿泊場所、新島、オハナが待つ新島に到着できない、とすぐに判断したのだった。そしてすぐに船長室に入っていった。
そう、僕は数日前から気になっていた、確かに天気図だけを見ると、八丈島も伊豆諸島も、太平洋高気圧にスッポリと覆われてはいるが、風の予報を見ていると、北西の風が結構吹く予報だった。その予報は前日の夜も変わらないでいた。
気になっていたので、八丈島での前日の夜も忠兵衛丸に寝泊まりして、『明日は凪だ、凪だ、』『漁業気象通報をいつも聞いてる、大丈夫だ!』と言いはる大船長に寝る寸前まで食らいついた。そして、最終的には明日の朝、浜に立ってから海と空を見てから舟出するか、しないかを僕が判断する、、、ということで了承してもらったのだった。
八丈島は神湊に停泊する忠兵衛丸で満点の星を見ながら眠りについたけど、なかなか眠れない。身体的には確実に疲れてるはずだし、睡眠不足なのは確かだった。
風が急に上空から降りてきたのを感じた、、、、
前日も夜中の2時半に手石港に集合しての船出だった。
そこから約10時間の船旅、kupuna を船に積んで、クルー16人を乗せての八丈島を目指す回送クルージングだ。
真っ暗闇の出船だった。星が降るように輝いていた。上空は風が吹いてるようだった。晴天だ。僕は船の甲板で直ぐに横になり、星数を数え始めた。そうすれば寝れると思った。明日から始まる11年ぶりの大事業に備えなきゃ、、、と思えば思うほど目が冴えてくる。なかなか眠れないのだ。興奮している自分がそこにいた。星を見ながら瞑想しようと思ったが、なかなか無心になれない。今までの11年、いや14年のことが走馬灯のように暗い夜空に星座がストーリーを描くように写し出されていくのだった。
Hokule’a のManu hope (カヌーの後ろの部分)に常にたたずむ2対の木彫りの像 Ki’i キイィ、
右側にいる目が見えない男性のKi’i 像と、
左側にいるのは耳が聞こえない女性のKi’i 像。
2人が何か話しかけてきた、、、
Kiha Wahine 、天の声をハッキリと聞き分けることができる。僕らとは違う次元に棲む先人たちの像だ。
航海を常に天の声を聴きながら導いてくれる。
耳が聞こえないけども天の声をハッキリと聞き分けができるというWahine 彼女が出てきて話しかけるでもなく、彼女が感じてきた海のことを僕に伝え始める。ポリネシアの海の話しだけじゃない、おそらくHokule’aが世界一周をした時に彼女が感じた世界中の海と空と陸の話がすごいスピードで見えてくる。
そして、日本で彼女たちが訪れた各港の風景、地元のじいちゃん、ばあちゃん、お墓、
一緒に乗船してきたハワイの日系人の魂と、南の島の戦地で死んだ魂達が母国に帰ってきた。涙を流して日本の土を踏んだことを喜びあう。
そして横浜港に停泊するHokule’a との最後の夜の風景が現われる、、、
マカとギターを奏でながら過ごした最後の夜、そして、
『始まりのはじまりだよ、、、duke 』
という言葉を言い残して、彼女は満点の星の中に消えていった。
次に、オーシャンから離れて行った昔のオハナたちの顔が一人ひとり思い出される。
そして、今のオハナたちの笑顔が一人ひとり思い出される。
長崎生月島の魚を抱いた魚藍観音像も現れる、地下にある祈祷場にクジラたちがたくさん集まり祈りを捧げている、
長崎の原爆公園にある平和祈念像が話しかけてくる、、、、
傷ついた皆を手のひらで癒やしている。
今までの自分一人で漕いだ海と砂浜が、その土地と海の風景とともに映し出される。
宗像大社、宇佐神宮、宮島厳島神社、大山祇神社、金比羅神社、熊野三山、伊勢神宮、
そして、日本中の原発が見えてくる、
川内原発、玄海原発、伊方原発、福島原発、、、、
行ったこともない見たことも日本中の海辺にある原子力発電所も見えてくる、
突然、海で戦闘がはじまる、たくさんの軍艦だけでなく、子供たちや民間人を乗せた船が、次から次へと爆撃を受けて沈没する、海面が火の海になる、溺れる人、船に押しつぶされる子供たち、サメの餌食になる無数の人達、
南の島で戦闘が起こる、火にあぶられ、逃げまとう軍人たち、ジャングルの島が映し出され、血生臭い殺戮の景色が見えてくる、、、
置き去りになった白骨死体、弔われることもなくジャングルに残る骨、骨、骨、、、誰も慰霊にやってこない島に眠る、寂しい白骨と遺品たち、、、
大きな網が海に浮いている、太平洋の海に、日本の漁船が捨てた網だ、ただ浮いている、その中に無数の魚やウミガメたちが死んだ状態で浮いている。網に引っかかって白骨になってるクジラもいる、、、でも大網は、、、ずっと漂っていく。これからも漂っている。
日本の漁船の船団がやって来て、海にゴミを捨て、タバコの吸殻を捨て、網を引いて、根こそぎ魚もウミガメもイルカもクジラも貝も、全てを吸い取っていく、どんどん吸い取っていく、イルカたちが逃げまどう、クジラたちが叫び声をあげる、、、飛び跳ねるクジラは銃で打たれる。
大量のゴミが浮いている、ゴミの島だ、ペットボトルとカンカンが無数に浮いている。漁師が捨てた発泡スチロールのつぶつぶが全ての魚にまとわり付いて離れない。僕らが捨てたゴミだ、下山川から海に流れたゴミもある。見覚えがあるコンビニの袋が浮いている、、、視界に入る海全体をゴミが覆っている、、、、
そして、浜が映る、見覚えのある弓のような形の美しい浜だ、アオウミガメの子供たちが無数に泳いで行く。僕も一緒に海に漕ぎ出して行く。浜から聞き慣れた犬の声が聞こえる、漕ぎながら僕は振り向いた、愛犬クウイポだ!懐かしい、振り向くとクウイポが立って、何故か人のように手をふっている。叫んでる。行ってらっしゃい!!!と吠えている。
伊豆諸島の島々を漕いで渡る。見慣れた景色だ。潮流の流れが手に取るようにわかる。すごいスピードで僕とヴァアは、南に、南に、漕ぎ進んでいく。八丈島を超えて、まだまだ漕ぎ続けた、小笠原父島、母島、赤いヴァアで漕いでる姿がハッキリと見える、、、
愛と感謝に溢れたヴァアだ、、、
愛と平和のマナに包まれて、南海の海を漕ぎ進んでいる。
凪のうみだ、ベタ凪のうみだ、雲も青空も、ヴァアも海面に映っている。
暖かい海の匂いを感じる、
潮流が風が僕らを南の海に向けてどんどん押し出してくれる、
朝焼けを、夕映えを、果てしなく追いかけて、、、
海を離れ、空の海を往く、
僕らは広がりゆく銀河の海を往く、
皆が笑顔いっぱいで漕いでいる。なぜかここで6人乗りのヴァアになる。
そこには、ただヴァアと海と6人だけ、、、
遠くに光輝く場所がある、そこを目指して僕らは漕ぎ続ける。
いつの間にか僕らのヴァアは瑠璃色の地球になって、皆が手に手を取り合って、暗闇の宇宙空間を漂っていった。
緊張のあまり幻覚を見たんだろう、、、と言われればそれまでだけど、何も証明できないし、証拠もないので、そう思われてもしかたがないだろう。
でも僕は今まで13年間、そういう誰もが信じないであろう、幻覚、幻想とも言えそうな、声や歌、言葉や感覚、リズムやタイミングだけを信じてやってきた。
そのマナだけを信じて海に皆を導き、漕ぎ続けてきたのだった。
そのマナの集結したエネルギーが、オーシャンとなり、オハナとなり、ヴァアとなり、Moana Keikiの子供たちを引き寄せ、大船長を引き寄せ、サヨコさん、マサさん、忠兵衛丸をも引き寄せて、この船の中に存在する。
結局、一睡もできなかった、もしも夢だったら寝てたのかもね、、、
意識的には、まったく一睡もできなかった。でも身体は重くない。いつも以上に軽い。
西のほうが明るくなり始めた頃にスコールがやって来た。西側の空は厚い雲に覆われていたけどの東の空は晴れていた。
創世記の天地創造を思わせるような空と海の表情だった、
陸は人が住み、姿形は変わってきたけども、、、この海は、その頃と何も変わらない、、、
ピュアで、生まれたての海、、、、太古と何も変わらない海、、、
太陽が昇る時間を察知して、船のへさきに立つ、待ちに待った日の出だ、
『にっぽんの夜明けぜよ!!』と心で叫びながら、、、
新島の山から突然、光の矢がはなたれ、一瞬にして僕とオハナと船全体を包み込む、、、
たじろぎながら、
揺れる船にかろうじて立ちながら、
手拍子を続ける、、、、
E ala E
それはそれは神秘的で、新しく生まれたての太陽と海から、パワーをもらえた。
ありがとう!マハロ、マウルル ロア、
自然と誰もが感謝の言葉を口にする。
タイミングよく、自分が一年間だけだけど住んでいた島の山から昇ってくるこの日の出は、これから始まるボヤージングの門出を祝うようで、感慨深かった。 ありがとう!ただただ、それしか言葉にならなかった。
続く、、、