8月9日はなんとも暑い日なんだろう
8月9日は、ながさき平和の日🌈
そして、ラハイナ、
西マウイの火災から日本時間でちょうどあれから一年になるのだ、
長崎で生まれ、子ども時代を長崎で過ごしたわたしは、せみしぐれや、八月という響きを聞いただけで、どうしても"キノコ雲" や "放射能" や "黒い雨" を連想してしまう、出血が止まらないで、すべての体液を垂れ流しながら川に埋もれながら死に絶える無数の人たちの姿が見えてくる、ただれ剥がれ落ちた皮膚の焦げたにおいさえ漂ってくるのだ、
同じことがたった一年前、昨年日本時間の8月9日
大好きなラハイナで同じように多くの人が逃げるまもなく燃やされてなくなった、
その時のラハイナの映像をみたときの第一印象は、え?これ爆心地?
と目を疑った、
その日が長崎の原爆が落とされた日だったからなのか、
そのようにしか思えないほどの焼け野原だった、
わたしにとって、原爆 と暑い 夏の日 、8月はおんなじなのだ、
そして、そこにラハイナへの哀悼の意が加わってしまった、
ラハイナの語源は「あついあつい太陽」
長崎では原爆のことをピカドンと呼ぶ、
ピカ!と光って、ドーンとなる、花火そのものだ、
だから皆んなが浮かれたのしむ頭上で爆破する夏の花火は今も好きにはなれない、つらい気持ちがさきにたつ、
夏のうきあしだった浜辺の雰囲気も好きになれないのだ、
4000℃以上の熱線を浴びて炭のようになりあっという間に命を失った子どもたちや、何の罪もない同胞たちのことを思うと、
暑い! なんて愚痴や不満は言えないのだ、
困ったものだ、
戦争を知らない、平和な時代に生きたわたしでさえそうなのだから、実際にその惨状を目にし、家族を失い、その後も被ばくの後遺症に苦しんいる人たちにとって、毎年やってくる夏の季節、8月という季節はどんな景色にみえるのかな、
家族や親類や友達を失ったマウイの人たちににとっても、8月は哀しみの季節になってしまった、
もうこんな思いは
日本人だけでじゅうぶんだ、
ヒロシマとナガサキの人たちだけでじゅうぶんだ
と思う、でも
今も日本から遠くはなれた世界で、79年前と変わらない同じようなことが起こっている、罪のない、国と国の関係や政治や宗教や利権など、大人の生きる世界とはまったく関係のない、ピュアな世界で生きている子供たちが死に絶えている、明日をもしれぬ人生に向き合っているのだ、世界の現実は何も変わらないのだ、
でも、わたしたちはこうして生きている、
生かされている、
神さまに生かされている
生きてるだけじゃ満足できずに、海にもでて自然も楽しみ、人間が作った便利な娯楽に囲まれて生きている、
有り難いものだよ、
人というのは順調なときは神さま忘れて、苦しいときにだけ急に神頼みする
元気な時は神さまわすれて、災難にあったときや病気や被災したときだけ神さまを思い出す
でも、神さまは人を見捨てない、
そして神さまは自然のなかにすんでいる、
でも、人は神さまを忘れて、人も自然環境も一瞬で破壊するような兵器をつくっている、
自分が苦しい時は神頼みするのにね、
そして世界には毎日、毎分、切実な気持ちで ”生かして欲しい” とだけ願いながら祈りながら生きてる人たちがたくさんいるのだ、
まだまだ暑い夏が続きそうだ、
そして、海に祈る回数がまた一段と増えそうだ、
ラハイナも、
ヒロシマも、
ナガサキも、
そしてガザも、
全ては海でつながっているのだから、
これからもっともっとたいへんになる子どもたち
あおくまるく 美しい この地に🌏
愛と平和を祈るものたちと
おなじ想いを
祈るものとして
海をなでる🤙
わたしたちのあゆみの
強さが
どうかこのまま
まもられ
その先にある
ひろくおおきなものが
まもられ続けますように
いまのあゆみを
とめないで
まえをむいて
できることはなんでもやろう🤙