終戦の日に思う
しばらくは言葉もありませんでした。
ラハイナ、マウイ島の惨状に、
日本時間で8月9日、ナガサキの原爆の日、青く晴れ渡る空と碧く輝く海と容赦なく照りつける太陽の下、自分の力のなさと人の営みの哀しさを身にしみていたちょうど同じころ。
ハワイ時間8月8日に発生したハワイ州マウイ島での森林火災がハリケーンの強風で山から飛び火し、瞬く間に歴史的、文化的、木造建築物で彩られた美しい街なみの愛しいLahainaラハイナの古い建物を中心に、教会、マリーナ、シアター、モール、寺院、バニアンの大樹、ヴァアHui o wa'a kauluaとそのカヌー工房などなど、僕個人的にも思い出深く懐かしいすべてが焼け落ちてしまった。
ホクレアの姉妹カヌーでもある、Mookiha O Piliani はモロカイ島に航海中ということで難を逃れたそうです。
マウイの星、アンクルKimokeo も台湾に行ってて、無事でした。
かつてのハワイ王国の首都だった土地。古くから捕鯨船が立ちよる港街として栄え。貿易風とハレアカラ山(ハレアカラとは大洋の家の意味)の地理的影響で、一年中あまり雨が降らないのでリゾート地、観光地として発展した街だったのだが、今回の火災では古くから住んでる人達が沢山いた場所だけが消失してしまったのだ。
ラハイナという街の名前の由来はLa haina というハワイ語で "残酷な太陽" という意味がある。
今回の惨状を目にしてすぐに一報をくれたハワイアンの友達は『まるで被爆地ヒロシマ・ナガサキのようだ、』と言って連絡してきた。
そういえば、ヒロシマ・ナガサキの被爆地の人たちは原子爆弾のことをずっと長い間 "ピカドン” と呼んでいたことを思いだした。空で突然ピカッ!と爆発した原子爆弾を当時の被災者は太陽が爆発したと勘違いしたと語った人の話をきいたこともある。勝手に僕が想像することだけど、きっと、”残酷な太陽” と感じたのかもしれない。
そんな地名がつけられた場所で、
ちょうど同じ日、78年後に、
このハワイ州のこの古い家ばかりが立ち並ぶ、不動産投資としては最高の価値があるリゾート地で、こんな惨事が起こったのだ、
その違いは無差別殺人と自然災害???の違いだけ、
ほんとに自然災害、気候変動による山火事で、こんな被爆地のような鉄も溶けるような山火事が起こるのだろうか?
警報のサイレンもまったく鳴らなかったというのも不思議な話。
車が燃え、金属の建物が焼け落ち、海の上の船も燃えてしまうものだろうか?
偶然なのか、必然なのか、、、
ナガサキ、ヒロシマに落とされた原爆は人体実験のためにのものだった。
今回の火災は???ほんとに山火事からの火災だったのか?
このように僕はどうしても無理して自分勝手な解釈で、何かのつながり、意味、というかメッセージ性を感じてしまうのだ。
すでに100人以上の人の死亡がすでに確認され、今後も大幅に死者が増えるとのことだ。家を失った友達や、安否がわからない年寄りの知り合いもいる。
謎や疑惑は、まずはおいといて、、、
いま、わたしたちにできることはなんだろう。
火災で亡くなった人の魂の冥福を祈り、被災者に寄り添いALOHAをマウイ島に送ること🌈
そしてKOKUAの心🖤
思いやりの心がこもったKOKUAはアロハのエネルギーへと変わり、立ちあがろうとする人々を必ず後押ししてくれるはずだ。
ここ葉山から広大な太平洋を7000キロ弱渡ったさきにマウイ島はあるけど、海でつながった隣街なのだ。そして私達を物質的に隔てる海は意識や想念を相手に瞬時に伝えてくれる。祈りは必ず伝わる。思念伝達は実際に起こるのだ。だからこそ私たちのアロハは瞬時にマウイ島に住む傷ついた人たちに愛と安らぎを与えることができると信じている。
マウイ島に行ったことがないとかあるとか、縁があるとか知り合いがいるとかいないとか関係ない。
He moku he wa'a
島はカヌー
He wa'a he moku
カヌーは島
「わたしたちは地球という同じカヌーの旅人、」
お盆休みで楽しい旅行中の人も多いと思うけど、ぜひ海を見る機会があれば、皆さんのアロハをマウイ島に伝えましょう
不安のないKOKUAのしかたをマウイ島の人から聞いたので参考にしてください。