わたしのルーツ


海と調和した営み

17年前、ホクレアが初めて南太平洋のポリネシアから飛び出し、ミクロネシアのサタワル島を経由して訪れた外国、それが北太平洋にある島国、わが国日本だった。

ホクレアは沖縄の2007年の4月ごろだったと思うけど、糸満に上陸し、初めての日本にやってきた。

そして奄美、熊本と寄港しながら、長崎にやってきたのだった。

長崎はハワイと縁が薄い都市だったけども、人類最後の被爆地、平和の象徴の都市ということで立ち寄ったのだった。

長崎市の中心地、出島ワーフに行く前に野母崎という小さな漁師町で一泊したんだったなあ、野母崎は小さな村で港に入る入り口が狭くて寄港を断念しそうになったり、子どもたちの歓迎に心が熱くなったことを覚えている。

2007年のホクレアの日本寄港に関しては2017年にパタゴニアから依頼されてブログを投稿させてもらったので、その時のことに興味がある人はこちらをみてみると良いと思います。⇓
https://www.patagonia.jp/stories/ten-years-after-hokulea-visit-to-japan-in-2007/story-104910.html
 


2007年初夏、長崎から次の寄港地の福岡に向かう海の上、平戸瀬戸を通過する前だったか通過後だったかな、ホクレアに乗船していた私は遠くに島影をのぞんだ。

古代 ”わに族 " の巣窟で、かつては倭寇や松浦党という水軍の拠点として、そして " 勇魚とり " いさなとり” (古式捕鯨)で栄えたその島は私のルーツでもある生月島(いきつきしま)だった。

その島のクプナ(祖先)たちと生月観音という" 魚らい観音さま "に照らされ導かれるように、、

私はそれから今日まで、17年という年月をほぼ毎日のように、還暦を過ぎた今でもホクレアと同じヴァアと呼ばれるカヌーで海を漕いで渡るためだけにすべてをついやし、天地自然とつながり調和しながら生きた古代の日本海洋民族(ネイティブ・ヤポネシア)の魂の復活を目指している。


コンクリートの堤防もテトラポットもない、海との間に何のへだたりもない砂浜で、山の恵みと海の恵みの境目で自然と調和した営みを続けていた先人たち。

生きるために必要なものだけを収奪し、そのことに感謝し返礼する、
という自然と神仏と調和し畏敬の念を心のよりどころにして生活を送ってきた祖先たち。

そんな、数千年、数万年まえからつい最近100年前ごろまでの悠久のときを天地自然と調和して生き続けた海洋民族たちに憧れてこの活動を続けているのだ、、、

そんな祖先への憧れと畏敬の念が、わたしの活動の原動力になっているといっても過言ではない。

13年前、まだ当時は40代だった私は東日本大震災のあと、葉山での海に出るだけではいたたまれなくなり、福島第2原発の北にある双葉浜を目指して、天地自然に祈りを捧げながら1人乗りのV-1(タヒチのカヌー)で砂浜を探しながら漕ぎ、砂浜に上陸して祈りを捧げ、浜で野宿したり出会った地元の人に施しをうけながら漕ぐという行脚(あんぎゃ)の旅をした。

川内原発や玄海原発など海岸線にそびえ建ち、冷却のための汚染水を海に流し続ける原発に立ち寄り意見書を渡しながら、同時に古くから聖地とよばれている行く先々の氏神様や神宮の近くの浜まで漕いで上陸し、そして歩いて参拝に行くという" 海からの巡礼の旅 " を2011年の春に熊本県水俣市の湯の児の浜から舟出したのだった。

結局は震災後の福島の放射能汚染が深刻すぎて、葉山まで漕いできて、福島まで導かれる日を今だに待っている。まだ航海の途中、道半ばという話は前回の『聖霊の種をまく』で書いたと思う。

忘れていたけど、2011年のブログをコピペしたことも思い出した。
https://note.com/pfme/n/n5f97d32a606f



その” 海からの巡礼の旅 ”の道中に、子供の頃におじいちゃまと呼んでた祖父たちと夏になるたびに小舟で通った思い出ふかい平戸の根獅子(ねしこ)の浜を目指して漕いでいた私は従姉妹の誘いでその手前の小さな砂浜に上陸した。
そして、その浜で昔ならではのやりかたで塩作りをしていた人に出会った。

その方が今回久しぶりに長崎に帰郷したタイミングでホクレアの『Moananuiakea 』の上映会の開催場所を提供していただいた塩炊き屋" 海の子 "の やひこさんこと「ナライヤ」さんだったのにはびっくりした。

かれこれ13年ぶりの再会で、わたしのことをしっかりと覚えていてくれててすごく感動した。

このご縁と、そして私の佐世保に住む従兄弟の嫁さんで、HULAカヒコを魂で踊り、また奄美の島唄を天地自然と共鳴しながら、祈りとして唄いつづけているmomoちゃんの尽力のおかげで、平戸の海辺から50メートルもみたない場所に立つ古民家「ナライや」で、今年2024年最初の『マラマホヌアの会』を聖霊の導きとしか言えないこのタイミングでやることができました。


古来から島に伝わる伝統的な和船を船大工さんに作ってもらい島の子どもたちに櫓漕ぎを学ばせる活動を地道にやりながら、近年は海洋プラスチックゴミ問題に真剣にとり組んでいるという生月島の漁業従事者の方々にはびっくりした。
海を人間にとっての資源  " 銭のなる漁場 "としか思っていない漁業、水産関係者ばかりだと思っていたわたしにとっては、ほんとにびっくりなことで嬉しかった。時代の変化、というか人々の覚醒が始まってるというの今回はすごく感じた。

機が熟してきていると肌で感じた。

他にもその会場には、マザーアースへの祈りとマラマホヌアの活動を日頃から行っている人たちが集まってくれた。

わたしのいつもながらの急な思いつきで、たった5日間の告知にもかかわらず、会場がすぐに満杯になり、入場をお断りする事態になるほど多くの方々に唐津、平戸、佐世保、長崎、など遠方より来ていただいた。

いままで、どんなに求めても繋がらなかった人たちと今回出会い繋がったとという導きに感謝しかありません。

13年前に、この上映会をしても、今回のような人と出会うこともなかっただろうし、2007年にホクレアが来たときも、母なる地球の危機的な状況を真剣に話し合える仲間に出会うこともなかった。

だからこそ、ホクレアは帰る時に僕にメッセージを残していったのだった。

「duke, これは始まりのはじまりだよ」と、、、ね。

今回、ホクレアの『Moananuiakea』を観て、マラマホヌアに、思いを寄せ、私の話しに真剣に耳を傾けていただき大変ありがとうございました。


また4月に平戸島と生月島でもやる計画をたてています。
是非お会いしましょう🤙

次回はきっと漕いで行きます。

コロナ渦になる前にマウイの仲間と計画を立て、昨年もマウイの火災で計画を断念したプロジェクトできっと行きます。

前のように一人乗りのヴァアではなく、6人乗りの14メートルもある細長いヴァア(アウトリガーカヌー) をヒロシマから舟出して浜に上陸しマラマホヌアしながら交代しながら漕いでナガサキに向かう途中に寄ります。島の子どもたちとも交流して一緒に海を漕ぎたいです。

Mālama Honua
マラマホヌアとは、母なる地球をいたわり愛しむというハワイの先住民が使う言霊です。


西風屋ナライヤ
@naraiya.hirado

モモ千万
@mooomo_chiyorozu

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