Lesson1
なぜ私がこれほどまでに過去に白黒つけたがるのか。
黒歴史を披露してまで自身に発破かけて、もう一度ステージに戻ることにこだわるのか。
演奏の道を諦めたと思った瞬間からその葛藤はやってきた。
そこは諦念のフィーネ(fine)ではなく半永久的な葛藤のダ・カーポ(D.C)へと続くフェルマータ(fermata)だったのである。
前述した#THEGATE の序盤で、長らく手段を目的化し、初歩的かつ重大なるミスタッチをし続けていたことに気がついた。
しかも無意識の継続の結果、しっかりと潜在意識に刻み込まれていたものだから、自動的に現実に反映され続け、同じエラーをその当時まで延々繰り返していたのだった。
🎼ミスタッチその1
師の承認が目的になっていたこと
おそらく、とりわけ幼少時、無意識に同様のミスタッチを犯す方は少なくないように思う。
例えば私の遠い日の記憶。
ピアノのレッスン日が近づくと、師の憤怒あるいは失望の面持ちが脳裏に過ぎり始め、母の怒声はポコ ア ポコ クレッシェンド(poco a poco cresc.)。もともと練習嫌いだから、CD音源を聴くうちに眠りの森へ。
あっという間に当日になり、母と師、二体の般若のもと、怯えながら恐る恐る演奏し、善しや悪しやの判断を仰ぐ。師の意図と離れた演奏をしようものなら、スービト フォルティッシモ(subito fortissimo)。
そんなことを繰り返すうちに、曲の楽しみはどこへやら、ただの修正職人へと成り果てていく。
萎縮した感情は抑えている自覚もなく出てこないから、曲をどう表現したいのかわからず、テクニカルなミスにばかり気を取られ、ますます苦行化する。
なんとか楽譜通りに弾いたところで、師の意図と離れれば怒られ、かといって自身の意見がなくても怒られる。意見がないかどうかも萎縮しているからわからず、質問された途端無言の時間が流れ、はからずも師弟の根性合戦が繰り広げられ、無駄な時間にやきもきした師が音をあげて、修正箇所を指示すると、その場で修正がかかる。
その緊張感に耐えられずに泣くと、「私の大事なピアノを汚すな」とさらに怒られて、涙に拍車がかかる。よもや何のためにレッスンに通っているのかーー
私はそんなやりとりの結果、毎回師匠がヒステリーを起こすようになり、「あなたはハンカチを二枚持ってくる必要があるわ。鍵盤を拭くハンカチ、そして、涙を拭くハンカチね。」と通達を受けるまでになり、次第に人格自体を否定され続けることとなったのである。
さて、このミスタッチの中には、さらにエラーがある。
次回はそのエラーについて綴ってみたいと思う。
そんな当時の私に贈りたい曲。
悲しみを語るような序盤に浸ってから感情を解放してほしい。傷ついていたことを思い出して。