Lesson2
何が私を"涙のハンカチ"へと導いたか。
今思えばエラーがいくつも考えられる。
…書き出しの筆が遅々とするのは幾日かの風邪の影響ばかりではないように感じる。凍った心の記憶を削り出すのはなかなかに骨の折れる作業になりそうだ。
"憧憬の念"の欠如と対象への否定
もっとも大きな要因はここにあると思う。
当時の私はピアノを弾くことは既定路線で、ピアノレッスンに対しての"憧憬の念"もなければ、取り組む曲の多くに対しての"憧憬の念"がなく、唯一あった作曲家・モーツァルトに関しては、偶然にも師の専門と重複していたため、1フレーズ弾くや否や何を根拠にそんな演奏をするのかと全否定された。
既定路線だったピアノレッスン
まず、既定路線だったことについては、私のレッスンの契機は親にあったからだ。見ようによっては恵まれているともいえるが、生まれた瞬間から「この子にはピアノをさせる」と決められ、物心ついた時にはピアノにふれており、はっきり言ってどうやって弾けるようになったのだか記憶がない。
そういった状態だったため、自分自身のアイデンティティとしてピアノがあるも、強烈な憧れなどは全く感じておらず、食べる、寝る、歯磨き、宿題、ピアノというくらい日々のmust to do(取り組まなければ怒られるもの)の1つとしての意識だった。
ピアノの側にはいつも母が仁王立ち。指定された憧れのかけらもない曲をこなすばかり、弾けて当たり前で間違えた箇所ばかり指摘されるのだから、プレッシャーはあれど楽しいわけがない。
唯一の憧れモーツァルトは全否定
冒頭に書いた通り、モーツァルトはこともあろうに師の専門と丸かぶり。まさか師匠が自分の好きな作曲家を専攻していたなど知らずに、うっかり好きな曲で持っていった日には、好きなことを言ったことを後悔するくらいの全否定が待ち受けていた。
事実を良く生かせば、私もモーツァルトが好き、師匠もモーツァルトを専攻していた、で楽しくモーツァルトを極めていく方にも持っていくことができただろう。
しかし、師匠にとっての当時の私の演奏はモーツァルトへの冒涜でしかなく、忌むべきものと思われているかのようだったし、弾かせてもらう機会はほとんどなかった。
苦行の土台は整っていた
少なくとも私のような、自分の琴線にふれるかどうかが演奏との向き合いを左右するタイプの子どもにとって、憧れや楽しさよりミスの追求と全否定が待ち受けている練習やレッスンはmust to do以外のなにものでもなかった。
実際ピアノのレッスン生活の中で、自分の演奏に心から納得がいって先生からも褒められた記憶はほんの数度しかない。ピアノの独奏曲ではいずれも大好きでイメージがしっかり頭に浮かんでいて取り組んだ曲。ほかは合唱の伴奏で取り組んだ曲だったのである。
音楽、もしくは楽器、演奏、ステージへの強烈な"憧憬の念"の大切さ
実は上記のことについて、感覚的には察していたが、これが自分自身にたまたま起きた事実ということを超えて、ある一定の傾向としてあるのではないかと感じたのはアーティストインタビューを行うようになってからだ。
ある人は兄弟間で同じ楽器を習っていて、もっともっと上手に弾けるようになりたいという想いから、ある人はどうしてもとある楽器を弾きたくて、数年単位でご両親に訴え続けて漸く手にして、ある人は既に活躍中のアーティストのステージ姿に猛烈に憧れて、ある人は自身の身にたまたま起きた音楽経験の楽しさが忘れられなくて。またある人は違う楽器からスタートしたが、ある日聴いた別の楽器の音が忘れられずに。
音楽と、もしくはその楽器との出会いというのは、とっても大切な瞬間だ。決してそれが全てとは言わないが、その想いが強く、信じて続けてきた人間が今ステージ上で活躍しているきらいは否めない。
果たして私は出会いなおした
では私は始まった時点で終わっていたのか。
人間の運動機能という点では物心つかぬうちに弾けるようになっていたというところは利点だったのかもしれない。ただ、音楽を楽しみ表現する意味では不利だったと思うし、涙のハンカチの原因にはなっていたと思う。
私は忍耐力はある方だったので、音楽の道を選ぶか否かのところまで心がぐちゃぐちゃになりながらやってきたが、出会いなおしたと思えたのは、挫折と感じたのち10年近く経ってからだった。それでも出会いなおしはできた。
今では当時心が凍ったまま弾いていた曲を心から美しいと感じながら弾くことができるし、人生生きているうちに弾ききれないと思うほどに美しく憧れを感じる曲ばかりだ。
さて夜もすっかり更けた。
今宵も出会いなおしの気分に相応しい小曲を。
朝にベランダでハーブティー片手に聴いていただくのもまた一興。
またいずれ出会い直しについても綴ってみようと思う。