Lesson3
これは可哀想な物語ではない
かつての私に贈る、希望に満ちたストーリー
私が幼い日の私に伝えたいこと。
まず自分自身を大切にすること
己を知り、ゴールを明確にしておくこと
あなたは自由で、如何様にも状況は変えられること
前回のレッスンまでを辿れば、まるで可哀想な物語をさらけ出しているかのように感じる方もいただろう。
しかし幸運なことに、私はその自分の過去に過剰なほどに執着してこれたおかげで漸くそこに光を見出せるようになったのである。
"涙のハンカチ"のエラーを言語化してみて、また、私自身が大人になって、音楽と出会いなおしたことによって、当時のレッスンへの姿勢を顧み、かつての私に伝えたいと思うことがある。
まず自分自身を大切にすること
あなたはすでに自分自身の人生を生きている。
何をするにおいてもあなた自身を大切にしないことには始まらない。
あなたがあなた自身を大切にしなければ何が起きるのか。
あなたが自分を否定すれば、相手もあなたを否定する。
あなたが自分を雑に扱えば、相手も雑に扱ってくる。
そして自分自身を大切にできないあなたは、周りの人のことも大切にできない。
己を知り、ゴールを明確にしておくこと
あなたはなぜ今もピアノを弾き続けるのか。
あなたはなぜ今も同じ師からピアノを習いたいと考えているのか。
あなたはなぜ魅力を感じないと思う曲に取り組むのか。
あなたが魅力を感じないと思うその曲は本当に魅力がないのか。ではなぜ何百年もの時を経て今まで残ってきたのだろう。
あなたは音楽を楽しみたいのか。
あなたはピアノの技術を磨きたいのか。
あなたは表現活動をしたいのか。
あなたは人前に出たいのか。
あなたはピアノを通してどうなりたいのか。
ひとつひとつ問いかけてみてごらん。
あなたは自由で、如何様にも状況は変えられること
望んで籠の中の鳥になっているのはあなた自身の選択であって、あなたは本来望むように好きな方向へと飛んでいける。
あなたがその目の前の現実を選び続けるのは、あなたがその現実にメリットを感じているからだ。その現実を変えることにもリスクがあるから。そのリスクを冒すことが、あなたにとってのデメリットだからだ。
視野を広げてみよう。
あなたには事実、何の制限もない。
どんな未来も選ぶことができる。
だとしたら、どうしたい?
さて時を今に戻そう。
そもそも何かを習う時、生徒は「求めたい」からきたのであって「求めることを強制されちゃいない」のである、という根本的なことを、脳の学びである#THEGATE の初回にして痛感し、それと同時に師や母の反応に自己価値を見出し、他人の軸の中に委ねてきた自身の半生をかえりみるこれとない契機となったのであった。
そして、なぜ私がこれほどまでに自分自身の過去に執着し、解明しようと躍起になっているのか。
また、オーケストラとのピアノ・コンチェルトという目標に今も向かおうとしているのか。
それは「素人の母には音楽家は育てられない」という母の持論に大きく反発を感じているからだ。
それが真になるならば、生まれ落ちた親が"素人"であった子は皆希望を持てないということになるし、親になる側も"素人"であったなら、そのお子さんたちを音楽家にすることができないということになる。
そもそも"素人"の母の持論の"素人"論とはという前提の脆弱さは否めないが、そんな母の影響のもと生きてきた私にとってそれは長年、重い"神話"(*)でもあったのだ。
*"神話"についてはまた後日あらためて綴ることとする。
相手に映る自分自身。変わる自身によってさらに姿を変える事象。
まるで寄せては返す水面のようと思い、今宵の一曲。
戯れるように変えていこう。