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「奥の枝道 其の二 大阪編 レキジョークル」感想




noteで活躍されている千世さんの著作「レキジョークル 奥の枝道 其の二 大阪編」の感想です。






前作「其の一 はじまりのはじまり編」も面白いです(^o^)v


松尾芭蕉 辞世句
旅に病み・・・

→先頭句は、「旅の途中で病気になった」という「事実」をあらわしてるのと同時に、いわゆる「ヤンデレ」と同様の「中毒的愛好心」を表してるのかも?と思いました。

【私の新解釈】
私は旅が好き過ぎる。

夢の中でも旅をしてるくらいだ。

歳枯れても止まるつもりはない。

→これだけ自分の好きな事を追求して人生終われたら幸せ者ですね☆



22ページ
2006年、オーストリアの「エッゲンベルク城」で「大阪図屏風」が発見され、当時の大阪城を含めた町の様子を知る事が出来ました。

→誰が何の目的で描かせたのか、なぜオーストリア(グラーツ)にあるのか?
謎が多くて歴史ロマンがあります!興味をそそられ、読書から脱線して調べたりしちゃいました(笑)

2026年大河ドラマ「豊臣兄弟」でこのあたりのエピソードが出ないかな〜と思いました。

本文の感想とは別に最後にまとめましたので、気になる方はご一読いただければと思います(^o^)v



25ページ
極楽橋を渡ると、すぐに「刻印石広場」がある

→お城好きとしては、石垣について知れるのは嬉しいポイントです。
逆にいうと、こんなに間近で石垣を見れるということです!うぉぉぉ(⁠☉⁠。⁠☉⁠)⁠!ギラギラ


36ページ
今の大阪城天守は徳川モデルなのです。

→徳川氏(実務は藤堂高虎)によって改修されたそうなので、豊臣氏による本来の姿も見たいですね。

大阪城に対する価値観は、秀吉は「石山」という立地を重視し、家康は「威信(城の規模)」を重視したのだと思いました。



40ページ
 まずは1階のサービスカウンターで、音声ガイダンスを借ります。ここではなんと無料で借りる事が出来るのです。

→音声ガイドが無料って最高です!

歴史スポットを巡る時に同伴者がいる場合、自分で背景などを話すのも楽しいですが、第三者が解説してくれるのが楽チンでいいっす(笑)



49・50ページ
北面には有名な「蛸石」といわれる城内1位の巨石があります。 やっぱりでかい!

→蛸石の写真は圧巻です。大きすぎて「巨石文化か!」とツッコミました(笑)

ぜひ本文をご覧ください。

ピラミッドとかもそうですが、こういう規格外の建設を重機の無い時代にやり遂げた人間の凄さを感じれるのも、お城の魅力です♫


88・89ページ
(元大阪市立博物館 期間限定レストラン)そんな歴史的建物内でいただいた特別ランチは「城石カレー」です。

(本文より引用 千世さん了承画像)

→千世さんが食された「城石カレー」を私も食べたい!!(笑)


98ページ
時世の句を残していますが、解釈するにはなかなか難しく

→利休の句は色々な含みがありそうですね。

この句を作る前、本当は秀吉の痴行・悪口を半紙200枚くらい書いて、その中からキーワードを抜き出していたりして、、、

今後、「豊臣兄弟」では利休を誰が演ずるのか楽しみです。


117ページ
絶品カリーの「旧ヤム邸」

(本文より引用 千世さん了承画像)


→千世さんが食された「旧ヤム邸のカリーライス」を私も食べたい!!(笑)



118ページ
真田丸とは、どんな役割を担い、何のために築かれたのでしょうか?

→真田丸の経緯と大阪城南側の防御意図については、色んな戦略が考えられると思います。

「ブラタモリ」でも真田丸のあたりを歩くシーンがあり、高低差に驚きました。まさに出城ですね。私も歩いてみたいな☆

豊臣秀頼の話題や真田丸のジオラマなど、ぜひ本文をご覧ください。


【大阪編まとめ】
やっぱり大阪旅行といえば大阪城ですよ。特にお城初心者の方には「大きなお城(江戸城・名古屋城・大阪城・姫路城など)」で広さ・高さ・デカさを体感して頂くことをオススメします。
次にグルメ、東部・南部の山の自然とかもありますね。ユニバーサルスタジオは最後に行けば良いと思います(笑)



【大阪図屏風について】


案内サイトによると、エッゲンベルク城主であるハンス・ウルリッヒ・フォン・エッゲンベルク公によって、1635年頃に建てられた宮殿とのです。

「大阪図屏風」はこの頃には完成していて、日本から運び出されていたと思われます。もしくは1600年初頭かも知れません。

また、エッゲンベルク公は神聖ローマ皇帝フェルディナント2世(オーストリア・ハプスブルク家当主)の侍従長を勤めたほどの重臣だったそうです。


「大阪図屏風」について、学術調査も行われたようです。




類似する美術品として狩野派の「洛中洛外図」や「安土山図 屏風 」などもあり、「大阪図屏風」は秀吉の指示で作成されたような気がします。そして、予め誰に贈与するか決まっていたのです。

秀吉は1698年に没し、完成した「大阪図屏風」は、生前に贈与が約束されていた持ち主(大名)の元に渡ったと仮定します。しかし、時代の流れは急速に変化し、1615年の大阪夏の陣を迎え、いよいよ所蔵の危機が訪れたのです。


【なぜオーストリアにあるのか】

「大阪図屏風」が国内に流通されなかったのは、豊臣氏の栄華を讃える美術品のため、徳川幕府に検閲されるのを避け、なお且つ持ち主は秀吉への恩もあって自ら破棄したくなかったのでしょうね。

つまり「大阪図屏風」を保存するために「海外へ逃がした」という見方もできます。

そして、海外で大切に保管してくれるとなると、文化水準の高い国となります。
となると、「大阪図屏風」を保有していたのは、豊臣恩顧の西国大名で貿易ルートを持つ者だったかも知れません。

1600年代前半という事は、年代的にヨーロッパではハプスブルク家全盛(スペイン・オーストリア連合、神聖ローマ帝国皇帝継承)の時代ですね。

日本でいう「南蛮貿易」とはスペイン・ポルトガルとの交易ですが、その相手こそ、スペイン・ハプスブルク家(帝国)です。この時代の当主は、フェリペ3〜4世(スペイン・ナポリ・シチリア・ポルトガルの国王兼務)です。


引用元 世界の歴史まっぷ
https://sekainorekisi.com/


終着点が、オーストリアのハプスブルク家重臣であるエッゲンベルク公のお城だったという事は、逆算すると「大阪図屏風」を手にできる可能性があるのは、三者だと思われます。

①ローマ教皇(カトリック最高司教、イタリア・ヴァチカン)

②神聖ローマ皇帝(オーストリア・ハプスブルグ本家)
 ※エッゲンベルク公の主

③スペイン王(スペイン・ハプスブルク分家)
 

南蛮貿易のルートからすると、③スペイン王へ贈られてから②神聖ローマ皇帝へ献上され、更にエッゲンベルク公に与えられたか?

イエスズ会などの宗教ルートからすると、①ローマ教皇へ奉納されてから②ローマ皇帝へ下賜され、更にエッゲンベルク公に与えられたか?

という順で「大阪図屏風」が渡っていったと考えます。

ちなみにオランダ商人から購入したという説もありますが、候補から外しました。理由は、1600年初頭にオランダは存在せず、スペイン領ネーデルラントとして独立戦争中(八十年戦争 1568年〜1648年)だったからです。


【日本とオーストリアの繋がり】

「エッゲンベルク城」のあるグラーツは、2022年に亡くなった元サッカー日本代表監督で、イビチャ・オシム氏のご自宅があります。

そして、同氏は1994~2002年にグラーツ(サッカーオーストリア1部クラブ)の監督を務めました。

かつて「帝」がいた日本とオーストリア、その縁のある大阪城とエッゲンベルク城の交流もあるそうです♫

明治維新後の新政府は、1873年のウィーン万国博覧会から公式参加を行っています。

2019年に日本とオーストリアは国交150周年を迎えました。

2025年の大阪万国博覧会を契機に「大阪図屏風」の新たな情報が出てくることを期待します〜(^o^)v


ちなみに、オーストリアと一字違いで国名を間違えそうになる英国連邦の「オーストラリア」との関連はあるのか調べました。ヨークとニューヨーク的な。
「オーストラリア」とは、伝説として語り伝えられてきたラテン語の「テラ・アウストラリス・インコグ ニタ(未知の南方大陸)」に由来するので、オーストリアとの関連は無さそうです。
https://www.library.metro.tokyo.lg.jp › 
東京都立図書館 サイトより


参考になったnoterさんの記事






トップ画面はAKISENさんの作品です。



最後までお読みいただきありがとうございました☆



#レキジョークル #奥の枝道 #千利休 #大阪城 #大阪図屏風 #オーストリア #グラーツ #エッゲンベルク城 #ハプスブルク

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