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【AI小説】数百光年先の友 #7
第6章「選択の時」
夜明け前のアタカマ砂漠は、静寂の中にわずかな冷気を孕み、まるで世界の終わりを迎えるかのような張り詰めた空気が漂っていた。ALMA(アタカマ大型ミリ波サブミリ波干渉計)のアンテナ群が闇の中に黒々と立ち、巨大な金属製の耳として、今なお宇宙のかすかな呼び声を拾い続けている。その遥か頭上には、星々が瞬きながら、地上の混乱に頓着せぬようにただ輝いていた。
しかし、この数日間、施設内外は激変していた。軍とライジング・フロンティア社の一部幹部による実質的な支配体制が敷かれ、デモ隊と警備部隊の衝突は散発的に起こり、研究者たちは行動を厳しく制限されている。そんな極限状態のなか、桐生遥、エレーナ・ロマネンコ、佐々木健太、そしてUNSA特別調査官のエリック・ガードナーらは、夜陰に乗じて管制室へ潜入し、“改ざん前”の最新通信データを手に入れることに成功した。通信を送ってきた異星の個体──アヤメ──からの真のメッセージを守るためである。
しかし、その行為は明らかに施設の管理者である軍の逆鱗に触れ、いずれ彼らを追い詰める手段が行使されるだろう。今の彼らには、逃げ場と呼べる場所がほとんどない。だが、それでもアヤメの通信を公正な形で世界に伝えるため、真実を捻じ曲げようとする勢力に抗うため、次なる行動を起こさなければならない。そこで待ち受けるのは、重大な“選択”の時だった。
不意の訪問者
倉庫スペースで作戦を練っていた遥たちのもとに、ひとりの男が足早に現れた。フェルナンデス所長の秘書官を名乗る若い研究員で、その顔には焦燥の色が濃い。
「桐生博士、いますか……? やっと見つけました。実はフェルナンデス所長があなたとお話したがっているんです。いま所長室に軍の幹部が押し寄せていて、所長はほとんど軟禁状態です。でも、どうにかしてあなたに会えないかと……」
「所長が私を? どうして……?」
遥は戸惑いながらも、思わず身を乗り出す。フェルナンデス所長はALMAの最高責任者として苦渋の立場にいる。軍と企業の圧力に抗いながらも研究の継続を支えようと必死に動いてきたが、最近は部屋から出てくることすらままならない状況だと聞いていた。
「詳しいことは分かりませんが、“桐生博士たちが手に入れたであろうデータを見せてほしい”と所長が仰っています。ごく少人数なら、所長室の裏口を通って潜入できるかもしれません。リスクはありますが……」
誰に聞かれているか分からない状況で、秘書官は言葉を濁す。遥はエレーナ、佐々木、ガードナーの顔を順に見る。彼らも似たような疑問を抱いているだろう。所長が本当に信頼できるのか、あるいはこれは罠ではないのか。
しかし、いずれにせよ、施設内で立場のある人物と話すならフェルナンデス所長しかいない。悩んだ末、遥たちは意を決してその提案を受けることにした。所長がどう動くにせよ、ここでの交渉を避けては先に進めないのだ。
所長室への潜入
軍の警戒網が張り巡らされる昼下がり。秘書官の手引きで、遥たちは所長室の裏手にある旧書庫を通り、狭い通路を抜けてドアの前へとたどり着いた。大きな部屋の正面口には常に兵士が立っているが、裏口を知る者は少ない。
ノックの合図に応じてドアを開けたのは、やつれた顔のフェルナンデス所長だった。半月前まで快活な笑顔を見せていた面影はなく、頬が痩せ、目の下のクマが深い。
「よく来てくれた……。桐生博士、皆さん、すまない……こんな状況になってしまって」
所長はかすれた声で言うと、重々しい扉をそっと閉めた。室内は厚いカーテンが引かれて薄暗く、机には書類が散乱している。何人もの軍人や企業の人間が出入りした形跡があり、所長自身もろくに休めていないのだろう。
「どうして私たちを呼んだんです? 所長も軍から圧力をかけられているんじゃ……」
遥が問いかけると、所長は自嘲気味に苦笑した。
「まったくその通りだ。私は表向き軍やライジング・フロンティア社の要求を呑まざるを得ない立場に追い込まれている。だが、裏では何とか研究者の自主性を守ろうとしてきた。……爆破事件のあと、私は君たちを守りきれなかった。申し訳ないと思っている」
その言葉に、エレーナの表情が少し和らいだ。「所長、私たちは誰かを責めるつもりはありません。でも、施設は完全に軍の管理下にあり、アヤメからの通信も改ざんされる危険が迫っています。何とかしたいのに、どうにもならない……」
所長は深くうなずいた。「私も軍の幹部らに要求されている。“地球侵略を示唆するような証拠”を集めろとな。つまり、アヤメを“脅威”として扱うための筋書きをでっち上げたいらしい。そんなことは科学者の良心に反するから断り続けているが、もう限界だ。だからこそ、君たちが手に入れたという未改ざんデータを見せてほしい。アヤメの真意が本当に平和的であるなら、私も最後の賭けに出る」
「最後の賭け……?」
佐々木とガードナーが同時に問い返す。所長は重苦しい沈黙の後、鞄の中から一通の書類を取り出した。それは国連上層部との極秘通信記録を示す書簡で、所長が懇意にしている一部の国連理事から送られたものらしい。
「国連理事会の一部には、軍や企業の暴走を疑問視している人々もいる。もし私が“軍の一方的な見解”ではなく、“研究者たちが解析した正当なデータ”を公式に提出できれば、一気に情勢を覆せる可能性があるということだ。もっとも、それで本当に覆るかは分からない。だが、やらない手はない」
「それが真実なら……アヤメが“平和”と“協力”を望むメッセージを送り、私たちに具体的なやり方を託している可能性もあるわ。いま届いている新しい座標は、もしかすると本当に“会いに来てほしい”という呼びかけの締めくくりかもしれない」
エレーナの声には一縷の希望がにじむ。
「所長……あなたは私たちを裏切らないと信じていいんですよね? ここに私たちの命を賭けて集めた通信データがあります。改ざん前のアヤメからのメッセージすべてです」
遥は胸元の外部ストレージを取り出した。微かに震える指先が、緊張を物語っている。もしかすれば、これを受け取った所長が軍に引き渡してしまえば、全員が一巻の終わりだ。
だが、フェルナンデス所長は無言のまま深い溜息を吐き、遥の手からストレージを丁重に受け取った。
「約束しよう。私は科学者の名にかけて、この事実を歪めない。君たちの思いも背負って、国連理事会へデータを送る。……その上で、軍や企業がどんな反応を見せるか分からないが、必ずやるよ。もはや私に残された道はこれだけだ」
二つの選択肢
「……もしその賭けが失敗したら、我々はどうなる?」
ガードナーが静かに口を開く。「国連理事会で握り潰されるか、あるいは軍が徹底的に情報統制して終わりかもしれない。最悪の場合、私たちはこの施設からも出られなくなる。あるいは……命の危険すら否定できない」
所長は苦い顔で頷く。「私も同じ危惧を抱いている。でも、もう一つ手段がないわけではない。国連理事会とは別に、内部告発に近い形で国際メディアへ情報をリークする方法だ。表に出れば、さしもの軍も全面的に暴力では押しつぶせないだろう」
「大衆を巻き込む形で一気に世論を喚起すれば、軍や企業も強硬策を取れなくなるかもしれませんね」
エレーナが補足する。「ただ、その場合は我々だけでなく、アヤメが“地球を混乱させる危険な存在”として誤解される恐れもある。大衆は必ずしも科学的に考えないし、恐怖を煽られればパニックが広がるかもしれない」
部屋には重苦しい沈黙が落ちた。
「結局、二つの選択肢が考えられる」
所長が口を開く。「一つは“国連の正規ルートで慎重にデータを提出し、国際的な合意に基づいて対応を図る”方法。ただし、軍や企業の影響力が大きく、情報が握り潰される可能性は高い。
もう一つは“世論に直接訴えるか、あるいはさらに独自にアヤメとの接触を試みる”という手段。大衆の反応はコントロールできず、社会的大混乱を招く恐れがあるが、軍や企業の独占を崩せるかもしれない。」
「どちらが正解か……分からないわね」
遥は天井を仰ぎ見る。「アヤメが望んでいるのは、きっと私たちが持っている“人間的な繋がり”だと思う。でも、政治や社会の現実はそんなに単純じゃない。私たちの手は血や欲望で汚れかねない……」
「それでも、どちらかを選ばなければ先に進めない」
佐々木が唇を噛んだ。「僕らが黙っていたら、アヤメのメッセージは軍によって捏造され、“脅威論”が既成事実化する。下手をすれば、アヤメを巻き込んだ大規模な衝突にまで発展する可能性だってある。……絶対に避けたい結末だよ」
「さあ、桐生博士」
フェルナンデス所長がまっすぐに遥を見つめる。「君はどうしたい? ここまでアヤメとの交流を最前線で切り開いてきたのは君だ。どんな道を選ぼうと、私は覚悟を決めるつもりだ」
その問いかけに、遥は息を呑んだ。周囲の視線が集まる。エレーナも佐々木もガードナーも、皆、彼女の言葉を待っている。どちらを選ぶのか──国連を頼るか、大衆に直接訴えるか。それとも、それ以外の“第三の選択”はあるのか。
迷いと覚悟
遥はゆっくりと瞼を閉じ、これまでの出来事を思い返す。最初にアヤメの信号を発見したときの興奮、研究室に閉じこもり自分の才能を試行錯誤し続けた日々、そして軍や企業の陰謀に巻き込まれ、仲間を失うかもしれない恐怖……。
だが、そのすべてに共通しているのは“孤独な存在”同士が理解し合いたい、という彼女の根源的な願いだ。アヤメがもし本気で地球と繋がりたいのなら、私たちも同じくらい真剣に応えるべきではないか。政治や理屈を超えた領域で、ただ真正面から。彼女はそう思わずにはいられなかった。
「……私は、アヤメからのメッセージを真正面から受け止めたい。私たちが長年積み重ねてきた科学技術や知見は、このときのためにあるんじゃないかと思うの。どんなに怖くても、未知と向き合わなきゃいけない。
でも、そのためには、軍や企業の独占を許しちゃいけないわ。もしアヤメが純粋に私たちを必要としているなら、もっと多くの研究者が真実を知るべきだし、地球全体で議論すべき問題よ。政治家だけの判断に委ねたら、また同じ歴史を繰り返すかもしれない」
遥の言葉を受け、所長は静かに問いかける。「つまり、“世論への公開”か? それは確かに軍の一存を覆すには効果的だ。だが、同時に大混乱を招くリスクもある。君はそれでもいいのか?」
躊躇の色が彼女の瞳に浮かぶ。混乱や対立がさらに深刻化し、最悪の場合、アヤメへの敵意が増幅する展開もあり得る。それを考えると、一方的な暴露は無責任かもしれない。
しかし、国連ルートだけでは軍事的な思惑に負けてしまうかもしれない。どちらを選んでも完璧な道は存在しない。
「……たしかに。どちらも危ういバランスの上に成り立っているわ」
遥は自嘲気味に笑う。「もしかすると、誰もが傷つく結果になるかもしれない。でも、黙っているよりはずっといい。私たちが手を伸ばさなければ、アヤメは私たちの混乱だけを見て絶望するでしょう。
だから……まず所長のルートで国連理事会に正式データを提出してください。そして同時並行で、私たちもメディアに真実を伝える。二つの方向から攻めるの。どちらかが封殺されても、もう一方で保険をかけておく。そうすれば少なくとも“何事も起きなかったこと”にはならないはず」
「……二正面作戦というわけか」
ガードナーが唸る。「国連側に提出して世界各国の慎重な検討を促しつつ、メディアにも情報をリークして急激な世論形成を狙う。確かに“上手くいけば”一気に流れが変わる可能性はある。軍もライジング・フロンティア社も動きが取りづらくなるだろう。
だが、その混乱の中でアヤメがどう扱われるかは保証できない。“さあ、未知の存在をどう思う?”と問われれば、恐怖や不信を先に抱く人々が出るのも自然だ」
「それでも、何もしないよりはいい。少なくとも、私たちがアヤメのメッセージを尊重している姿勢だけは示せるわ」
エレーナが力強く言う。「そうでなければ、爆破事件や脅迫に耐え、命がけでデータを守ってきた意味がなくなる」
フェルナンデス所長はゆっくりと大きくうなずき、「分かった」と低く呟いた。「その方針で動こう。すぐに国連理事へ提出する準備を始める。私は軍を説得するための“交渉”に回る。君たちは……まだこの施設でやるべきことがあるか?」
遥はそっと微笑む。「ええ。最後にアヤメへ返信を送りたい。私たちがあなたの声を届かせたいと思っている──そんな一言でもいい。軍の妨害が入るかもしれないけれど、やらずにはいられない」
最終通信の準備
所長との密談を終え、倉庫スペースに戻った遥たちは、落ち着く間もなく次の行動に取りかかった。彼女たちは、こっそり持ち運んでいた小型の通信モジュールを用いて、ALMAのアンテナ群と非常用の周波数帯を接続しようとしていた。
軍が制御するメインシステムを迂回し、最低限の電力で異星へ向けた送信を行うのだ。大規模な放射出力は期待できないが、アヤメがこちらをうかがっているなら、一瞬でもシグナルを拾ってくれる可能性はある。
「この時間帯なら、警備の巡回は外周がメインで、中枢部までは少し手薄になる。短時間の通信ならバレずに済むかもしれない」
佐々木が配線を確認しつつ、小声で言う。
「メッセージはなるべく簡潔に、しかし私たちの意思を明確に示さなきゃいけないわね」
エレーナはタブレット上で言語コードを組んでいる。アヤメと共有できそうな数学的概念や、これまで判明している言語パターンを応用し、“私たちが今、混乱しているが、あなたを恐れない”という趣旨を盛り込んだ。さらに、“あなたが求めるなら私たちも応えたい”という誓いの言葉を短く付け加える。
「いずれにせよ、長文や複雑な表現は危険ね。送信時間が長くなればなるほど、発見されるリスクが高まる。要旨だけ、でも熱意は込めたい」
遥も確認しながら頷く。「もし届けばいいわね……こんな小さな出力で、アヤメに届くか分からないけど」
「アヤメはこれまでも、私たちには理解できないほど高度な通信手段を使っている可能性があるわ。きっと拾ってくれるはず」
エレーナはわずかに微笑んだ。
準備を整え、送信スイッチを入れる。わずかな電流が機器を通り、砂漠の夜空をめがけて微弱な電波が放たれる。軍の目を盗んだ一瞬のチャンスだ。秒針の動きがやけに遅く感じられ、心臓の鼓動が一層速まる。
驚きの応答
数十秒ほど経ったころ、モニターの波形に小さな変化が走った。
「……これ、レスポンス?」
佐々木がモニターを凝視する。先ほどの送信をトリガーとして、相手側から同じ周波数帯域に微妙な変動が返ってきているようなのだ。もちろん、宇宙的なノイズの可能性もあるが、パターンには規則性が感じられる。
「やった……! たぶんアヤメよ。私たちの通信を受け取ったのかもしれない。信号強度はごく微弱だけど、確かに人工的な特徴があるわ」
エレーナの声が高鳴る。「まさか、こんな低出力で応答してくれるなんて……。やっぱり彼らはただの電波通信を超えた技術を持ってるのかも」
「急いで解析を……と言いたいところだけど、時間がない。巡回ルートがこっちに回ってくるのはあと数分だ」
ガードナーが落ち着いた口調で制する。「一旦これを保存して、場所を変えよう。幸運にも一部の変換装置は持ち歩けるし、続きは後で解析するしかない」
モニターを手早く撮影・保存し、機材をまとめる一同。足早に倉庫スペースを出ようとしたそのとき、建物の奥から急ぎ足の靴音が響いた。兵士の巡回かもしれない。
佐々木とエレーナが素早く道具を抱え、ガードナーが周囲を警戒する。遥は最後にモニターの電源を落とし、「お願い、アヤメ……どうか無事に受け取って」と心の中で祈るように呟くと、闇の中へと駆け出した。
決断の代償
屋外へ出ると、砂漠の冷たい風が肌を打つ。夜空には無数の星が瞬き、まるでアタカマのアンテナ群を見守るように輝いていた。
四人は外壁沿いを身を屈めながら移動し、どうにか兵士たちの視線を避けて中庭へたどり着く。そこにはかつて観測機材を収納していたコンテナがいくつも並んでいる。今では軍の車両が止まっており、武装兵が巡回している姿が遠目に見えた。
「ここから先は危険すぎる。ひとまず建物の陰で朝を待とう」
ガードナーが提案し、全員が同意する。今は逃げ道がないし、朝になれば軍の上層部が動き出す。フェルナンデス所長が国連やメディアへ情報を送るのも朝方のタイミングを狙うらしい。そこが一つの分岐点だろう。
倉庫の影に身を隠しながら、エレーナが小さく息を吐く。「あとは神頼み……ね。アヤメへの返信が届いていたらいいけど、また軍に邪魔されるかもしれない。メディアや国連へのリークが成功しても、大混乱になる可能性がある」
「怖いね。でも、もう選んだ道だ。僕らはやるべきことをやった。あとは結果を受け止めるしかない」
佐々木がそう言うと、ガードナーは静かに頷いた。「ええ、私たちは最善を尽くした。いずれにしても、ここから先は時間が運命を決めるだろう」
遥は空を見上げ、アタカマの星々に目を凝らす。遠く数百光年の向こうにいるアヤメは、いま何を思っているのだろうか。こちらの混乱をどこまで感じ取り、あるいは救いを求めているのかもしれない。もしアヤメが地球に何らかの“飛躍的技術”をもたらす存在なら、それは人類の進化に直結するだろう。一方で、その技術を悪用する者がいれば、争いはより悲惨なものになるかもしれない。
(でも、私はアヤメを信じたい。彼女──彼が示した呼びかけは、単なる研究対象ではなく、同じ孤独を抱える知的存在からの“本物の声”だと感じるから)
そう心で呟きながら、遥は瞼を閉じた。軍や企業の陰謀は根深く、これまで多くの痛みを伴ってきた。だが、それでも、希望を捨てずに選択を続けてきた結果が、いまこの瞬間へと繋がっている。
“選択の時”はすでに始まっていた。フェルナンデス所長が動き出せば、軍やライジング・フロンティア社がどう出るか分からない。世界がどんな反応を見せるかも予測不能だ。自分たちの行動が、歴史を変える引き金になるかもしれない。
夜明けと決別
やがて空が白みはじめ、砂漠の地平線が青みを帯びて明るくなる。夜の寒気が薄れ、微かな光がALMAのアンテナ群を照らし出す。まるで長い夜が終わり、全ての運命が明らかになる時を告げているかのようだ。
遥たちは緊張した面持ちで立ち上がる。そろそろ事態が動く頃合いだ。果たして、所長は国連への提出とメディアへのリークを同時に実行するのだろうか。その結果がどう転ぶのか。
「……もし私たちの選択が世界を混乱に導いたとしても、それを受け止めるしかない。どの道、何もせずにいればアヤメとの交流は歪められ、軍と企業の利権だけが暴走していた」
エレーナが自分に言い聞かせるようにつぶやく。
「うん。僕らは後悔しないよ。この道を選んだんだから」
佐々木が微笑み、ガードナーも力強く握手を交わす。「人類の未来は一筋縄ではいかない。だが、少なくとも私たちは“真実”に賭けることを選んだんだ」
遥はじっと朝焼けを見つめる。「アヤメ……あなたは私たちに何を見せたいの? 私たちは本当に、あなたと分かり合えるの? 不安は尽きないけど、会えずに終わるなんて耐えられない……。たとえこの先、どんな対立や犠牲があったとしても、私はあなたの呼びかけを信じるわ」
そうして4人は意を決して歩き出した。施設中央部へ向かい、最後の行動に移ろうというのだ。今朝のうちに所長の“賭け”が実行されるのなら、軍が動き出すのも時間の問題。下手をすれば、その場で拘束されるかもしれない。
それでも、この道は自分たちが“選んだ”道なのだから後戻りはできない。絶望の闇を払うためには、一縷の光にすがるほかないのだ。
すべてを賭けた宣言
やがて遠くから警戒音が聞こえる。軍や企業幹部の怒声が混じり、拡声器が何かを喚いている。どうやら、フェルナンデス所長が実際に行動を起こしたのだろう。国連とメディアへの同時アクセスを試みたか、もしくは施設の制御権を奪い合っているのかもしれない。
ALMAの広場に走り出た4人の前には、ライジング・フロンティア社のロゴを付けた車両と、武装兵の一団が待ち構えていた。彼らは明らかに殺気立っている。
「もう逃げられない……か」
ガードナーが苦笑する。「だが、それでいい。私たちは最後まで対話を貫く」
「動くな!」
兵士たちが銃を向け、今にも発砲しそうな勢いだ。その中には、先日管制室で対峙したグレイの姿も見える。彼は血走った目で叫んだ。「この施設は軍の管理下にある! お前たちを逮捕する! 抵抗すれば撃つぞ!」
「やってみろ!」
佐々木が怒鳴り返す。「僕らはただ、異星からのメッセージを守ろうとしただけだ。正義だの安全保障だの言い訳ばかりして、真実を踏みにじるあんたたちこそ、何が目的なんだ!」
「黙れ!」
グレイが銃を構えた。その瞬間、通信端末に何かの通知が表示された。ガードナーが急いで確認すると、そこには所長からの短いメッセージが届いていた。
「送信完了した。データは国連理事会と主要メディアへ渡った。君たちは逃げろ! もうここにはいられない!」
「……やった……所長がやってくれた!」
エレーナの目に喜びと不安が交錯する。もう後戻りはできない。情報は拡散されたのだ。
すると、敷地の正面ゲートのほうで何か大きな衝突が起きたらしく、爆音と怒号が聞こえる。軍内でも意見が割れているのか、あるいはデモ隊が再び突入を試みたのか、現場は大混乱に陥っているようだ。グレイら兵士も一瞬意識をそらし、混乱した声を無線でやり取りし始めた。
「今がチャンス……!」
ガードナーが声を上げるや否や、遥たちは意を決して脇の道へ駆け出した。銃声が響き、一発の弾丸が足元の地面を抉る。だが兵士たちも混乱に巻き込まれ、狙いが定まらない。
どうにかフェンス沿いを走り抜け、外周の物陰へと逃げ込む。人目のない場所で、全員が息を切らしてうずくまった。鼓動が痛いほど高鳴っている。
「これで……私たちの選択は果たした。あとは結果を待つしかないわね……」
遥は肩で息をしながら言う。エレーナ、佐々木、ガードナーも同じく疲労困憊だが、目には不思議な輝きが宿っていた。やるべきことをやり遂げた安堵か、それともこれから巻き起こるであろう嵐への覚悟か。
朝焼けの決意
やがて太陽が昇り、砂漠の大地を眩しい光が包む。ALMAのアンテナ群が黄金色に染まり、その壮大なシルエットが空へ突き刺さるように伸びている。軍や企業がどう動こうと、星空を見上げる人間の行為は止まらない。ましてや、“未知との交流”を求める意志は、完全に消え去ることはないだろう。
フェルナンデス所長が国連とメディアへ同時に送信したデータが世界にどんな波紋を呼ぶか、それはもう神のみぞ知る領域だ。アヤメの真意を理解しようとする者もいれば、恐れや猜疑心を抱く者もいるだろう。各国政府や企業は必死に情報操作を仕掛けるかもしれないが、今やインターネットやSNSを通じ、全貌を隠し通すのは難しい時代だ。
「アヤメ……私たちは、あなたを信じた。あなたも私たちを信じてくれるって、そう思いたい」
遥は自分の胸に手を当て、そっと呟く。世界がこのメッセージにどんな回答を下すか、まだ分からない。だが、これこそが彼女たちの選んだ“未来”なのだ。
一方、遠くで警報が再び鳴り始める。敷地内では混乱が続いている。軍がはたして今後どんな強権を振るうのか、ライジング・フロンティア社がどこまで策を弄するのか、先行きは決して明るくない。それでも、研究者たちが流した血と汗、そして思いが、こうしてひとつの形になったことは確かなのだ。
「さあ、私たちも立ち上がりましょう。まだやることがあるわ。アヤメのメッセージの解析を続けたいし、世界の動きも見届けなきゃ」
エレーナが立ち上がり、うつむく佐々木の肩を叩く。「私たちはまだ生きてる。これからが勝負よ」
「うん……そうだね」
佐々木は険しい表情の中にも一筋の笑みを浮かべた。ガードナーも静かに微笑み返し、「ここを離れよう。下手に施設に留まれば捕まる可能性が高い。合流地点で他の協力者と合流するんだ。国連や世界の反応を待ちながら、僕らにできる次の一手を考えよう」と提案する。
遥は微かに首を振ってから、今一度ALMAのアンテナ群を振り返った。心の中で「ありがとう」と呟く。寂れた観測施設の姿は変わらないが、そこには確かな歴史と意義が刻まれている。自分が幼い頃から抱き続けた宇宙への憧れと、孤独を溶かしてくれた星々への感謝。そして、今なお遠い星の向こうで手を伸ばしてくれる存在──アヤメへの祈り。
(私はもう迷わない。あなたの声に応えたいと決めたんだから。たとえこの選択の先で、再び絶望を味わうことがあっても……必ず光を見つけてみせる)
朝陽がさらに強く差し込み、砂漠の大地を灼熱の空気で覆いはじめる。新しい一日の始まりとともに、桐生遥たちは自分たちの道を歩み出した。彼らの足取りは決して揺るがない。今や“選択の時”は終わり、次なるステージへ向かうしかないのだから。