
【AI小説】サイコホラーSF「アストラル・リンク - オリジンの記憶」#16
第6章「不完全な抑止完成」
隔離を実行してから数日が経った。コロニー内部を満たしていた尋常ならざる雰囲気は、嘘のように静まり返っている。つい先ごろまで途切れなかった警報や金属の軋む音が、いまではほとんど耳に届かない。隊員同士の衝突もしばらく沈黙し、わずかに心安い空気が戻りつつあった。
しかし、私にはこの状態がとても「安定」だとは思えない。たしかに干渉と呼ばれる“何か”が、区画の奥深くに閉じ込められ、ほとんど活動を停止したように見えることは事実だ。あれだけ混乱と恐怖をもたらした現象が、急に足音を引っ込めたような印象を与えているのだから、ほとんどの隊員は胸を撫で下ろしていた。
「ライアン、これで本当に終わりなのかしら?」
アニタが隣で小声を漏らす。彼女の目には疲労が色濃く残り、開放された安堵というよりは疑いのほうが大きいようだ。
私たちは今、仮設の制御室──本来であれば研究区画の一部だった場所を、臨時のコマンドセンターに転用した──の端末の前にいる。隔離された区画へ通じるライン上には「抑止装置」の回路が張り巡らされ、少量のエネルギーを流し続けて“干渉を不活性化”させているかたちだ。技術的にはまるで綱渡りだが、どういうわけか驚くほど平穏が戻ってしまった。
「終わったと言えるかどうか……少なくとも、干渉が“休眠状態”になったと言う方が近い気がするよ」
私は端末に映るモニタを眺め、苦い口調で答えた。波形はほぼゼロに近いが、それはあくまで「活動が止まっているように見える」というだけの話だ。今回の隔離は、未知なる存在を完全に退けたわけではない。封印したわけでもない。ただ、封じ込めて抑止しているだけで、いつ再び暴れ出すかも分からない。
「もしまた同じぐらい強い反応を起こしたら? もう私たちに次の手段はないんじゃない?」
アニタが憔悴しきった声を落とす。私は言葉を噛んだまま答えを出せず、ただ唇を引き結ぶ。今回の隔離工事で、私たちの資源も精神力もほとんど使い果たした。さらに拡張したり、別のバリアを構築したりする余裕はない。これが限界だったのだ。
部屋の奥でノーマンがこちらへ歩いてくる。重苦しい足取りだが、先日のような焦燥感はない。「ライアン、抑止装置のエネルギーはかろうじて安定してる。出力を下げておくと波形は極めて低いままだし、あの区画内部のセンサー反応もない」と短く報告をくれる。
私はほっと息をつくが、ノーマンの表情に微妙な陰があるのを見逃さなかった。「どうした? まだ何か見つかったか?」
彼は困ったように眉を下げ、「ああ、えっと……隠せないから言うけど、僕らの技術レベルではこのまま何年も維持するのは無理だ。装置の素材自体が経年劣化を起こすし、そもそもこの環境下での抑止は想定していない。もっと大規模なメンテナンスを計画してくれないと、いずれ穴が開くかもしれない」と。
「やはりな……」私は胸を抑えるように深呼吸する。技術部の誰もが分かっていたことだ。区画を閉じて、一時的に沈静化させることはできても、半永久的に干渉を封じ込めるほどの力量は、私たちにはない。「そんな先々の維持までは手が回らない。開拓を継続するだけでも苦しいんだぞ」
「そう……なんだよね。だから僕らも皆、限界ギリギリで妥協した。将来的には何らかの改修が必要だろうけど、いつ誰がやるかは分からないよ」とノーマンが乾いた声で笑う。これは、私たちが「これが精一杯」という結論に達した一端を明示しているようでもあった。
しばらく沈黙が流れ、アニタが小さく息を吐き、「管理者はどう言ってるのかしら。あの人たち、真実をきちんと認めたのかな」と視線を外へ向ける。
最近、上層部の管理者たちが開拓の停滞を問題視しており、早くも“事件”を極秘に処理して、事業を再開させたい意向を示しているらしい。これほどの騒動を起こした干渉を「抑止できた」という形で終わらせ、住民には詳しい情報を与えない方針へ動く可能性が高い。
実際に、すでにいくつかの場面で“口止め”に似たやり取りを私は目撃している。噂では、今回の混乱で負傷した隊員の記録も曖昧に扱われるようだ。無論、それが倫理的に正しいかは別として、コロニーの大局を守るために管理者が選んだ道でもある。
私はノーマンとアニタを見回し、わずかに肩をすくめる。「まあ、きっと隠蔽されるだろうな。開拓という名目で人と資金を集めてる最中に、“得体の知れない干渉がやってきて崩壊寸前でした”なんて公表するわけがない。もし私たちが逆の立場でも、同じ結論かもしれないが……どこか腑に落ちないよ」
アニタはぎこちなく頷く。「賛成はしないけど……現状ではそれしかないんでしょうね。私たちも疲れ切ったし、隊員の大半は早く日常に戻りたがってる。仮に問題が先送りになっても、それを積極的に否定する人はいないでしょ」
暗い空気が制御室内を包む。かろうじて勝ち取った平穏の一方で、私たちはこれが“完璧な解決ではない”と知っている。やがて技術の限界が綻びとなり、“不完全な抑止”が崩壊する未来が訪れるかもしれない。そのとき、今回よりさらに凶悪な形で干渉が解放される恐れは否定できない。それでも、今はこの方向しか残されていないのだ。
「……準備が整ったら、管理者のところへ行かないとな。隔離エリアの報告をして、あとは彼らがどう扱うか。私たちは隊員を守るためにも最低限の警戒体制は敷くけど、上層部が『もう大丈夫』と打ち出すなら、こちらに強い権限はない」
私がそう切り出すと、ノーマンは憮然とした顔でこちらを見た。「本当にいいのだろうか、こんなやり方で。誰が責任を取るんだ。もし数年後、数十年後にまた暴れ出したら……」
言葉に詰まる。私だって、どれほどリーダーを名乗ろうとも、ここで抑止に失敗すればコロニーが終わりかねない事実は承知だ。言いようのない無力感が口を塞ぐ。
「ライアン……あなたなら何かメモを残すんでしょう? 後世に、この不十分さを警告するような。私はいいと思うわ。公式記録には残らないかもしれないけど、どこかに印を刻まないと、いつか必ずトラブルを再燃させる」
アニタが静かにそう提案する。私も心の奥でそれを考え続けていた。管理者が事件を隠蔽しようとするなら、正式な報告書は葬られるだろう。だけど、隊員の一人として私が個人メモを残す分には自由だ。将来この記録を発掘してくれる人がいれば、それが救いになるかもしれない。
「そうするよ。私はこの状況を、正直に書き残すつもりだ。不完全なバリアで干渉を沈黙させたが、いつまた目を覚ますか分からない、とね」
私が自嘲気味に言葉を並べると、ノーマンも諦観の笑みを浮かべた。「隊長も苦労ばかりだな。でも、最後まで付き合うよ。これが僕たちにできる精一杯だ」
ふと見ると、アニタの頬に微かな涙が滲んでいる。「ごめん、いろいろ嫌な思いもしたけど、ライアンや皆のおかげでここまできたのは確かよ……。私もメモを書くわ。このコロニーがもし大きく育ったとき、誰かが読んでくれると信じたいし」
沈黙が再び落ち、端末のライトがぼんやりと三人の顔を映し出す。抑止完了という結果は得られたが、その裏側に“限界”という棘が埋まっている。誰もが一歩先の未来を想像し、ゆっくり目を伏せるしかなかった。
やがて、廊下で隊員たちが互いに労い合う声が聞こえ始める。抑止装置が問題なく稼働したと判断し、実務を再開しようという動きだろう。安堵が広がる一方、何か大切な火種を抱えたままの日常へ戻ろうとする光景が、皮肉にも私の視界にちらつく。
「じゃあ、行くか。管理者に一応の報告をして、隊員のみんなにも『落ち着いていいぞ』と伝えよう。いや、伝えなきゃいけない。もう大騒ぎはうんざりだろうし……」
私の言葉にノーマンとアニタが静かに頷く。私たちの足は重いが、このままここに留まるわけにもいかない。いくら未完成でも、この抑止に救われている現実は揺るぎないからだ。
扉を開けると、廊下には久しぶりの“普通の”空気が流れ込む気がした。かすかに安心の息を吐き出す隊員の姿が見え、誰もが三日三晩眠れぬ作業を乗り越えた達成感を分かち合っているようだ。
「お疲れ……本当によくやってくれた……」
そう声を掛け合うだけで、乱れきっていた心が何とか軟化する。私も二人に手を振り、「あとの作業は任せた。こっちは管理棟で打ち合わせがあるから」と言う。微妙にぎこちない笑みを返す隊員の姿を見て、私は思わずまぶたを伏せる。この場が平穏に見えるのは、単に干渉が“寝ている”だけかもしれない。だが、一度は崩れかけたコロニーがこうして立ち直る様子を確認できるのは、ほんの少し救いになる。
歩き出す私たちの背には、隔離エリアの扉が深い沈黙を保っている。そこにはもう恐るべき音も震動もなく、ただ技術者の懸命な作業が生んだ“休眠”状態が佇むだけだ。この平穏こそが、完全か不完全かを問わず、私たちに残された唯一の成果であり、コロニー維持の鍵となる。
「もしまた暴れ出したら、どうなるだろうね……」ノーマンが呟いた声は、小さなエコーを伴って廊下の奥へ消える。私は答えず、ただ歩みを止めずに進む。何度も繰り返し自問するまでもなく、今の私たちにそれを止める方法はない。その不安と苦い安心が奇妙に溶け合い、コロニーの新たな日常が幕を開けようとしている。
こうして、干渉は区画に閉じ込められ、コロニーには一応の落ち着きが戻る。でも誰もが知っているのだ――これが本当の終わりじゃない、と。人々はその事実を口に出さずに、かろうじて成立する平穏へ身を委ねていく。私もまた、重く軋む扉の奥で微睡む“何か”がいつか再び目覚めるかもしれない予感を抱えながら、隊員を守るための明日へ向かって歩くほかなかった。