自分が自分を見ることの感動ー梶井基次郎「闇の絵巻」
梶井基次郎「闇の絵巻」は「物語」がほとんどない小説である。
実際に起こる出来事としては、主人公である「私」が山間の療養地の闇の中を歩いて旅館まで帰るというだけの作品だ。登場人物も「私」ひとりなので、誰かと誰かが会話するような場面すらない(幻覚のようなものを除いて)。
しかし、それゆえにむしろ「私」がその場に臨んでいる闇に対する実感のようなもの、身体感覚それ自体に焦点があたっている。
「私」はひたすらに夜を歩き、そこにあるものを見続ける。その言及は視覚にとどまらず、聴覚・嗅覚にまで広がっていくが、いずれにせよ通常の小説では後景に没してしまうような知覚の細部が、この短編ではむしろ主題になっている。
当然、梶井自身がそのように繊細な感覚を持っていたのだろう。だが、彼にはどうしてそのような「視覚」が備わっていたのだろうか。梶井が闇をそのように見た根拠がもしあるとすれば、それは一体何なのだろうか。
「深い闇のなかから遠い小さな光を眺めるほど感傷的なものはないだろう」とあるように「私」は闇のなかにあって、そこでしか見出せないような光を感知しているが、この表現は「闇の絵巻」という作品ありかた自体にも通じているように思われる。
「物語」を排し、視覚自体を前景化すること。「私」が闇を愛でる視点は、同時に細部こそを主題にする梶井の文学的な美意識にも通じている。
梶井は、闇自体とともにそのなかでしか見出せないような光を描いているが、それは光そのものではなく、間接的に「照らされたもの」についての描写によって表現されている。
「月」「提灯」「電灯」など、自ら発光しているものについては単にそれを名指す以上のことは書き出されていないが、闇のなかでその微かな光を受けたものについては、非常に豊かな描写が見出されるのだ。
「私はその光がはるばるやって来て闇のなかの私の着物をほのかに染めているのを知った」「瀬の色は闇のなかでも白い」「山のなかの所どころに群れ立っている竹藪。彼らは闇のなかでもそのありかをほの白く光らせる」……そのように、光を光源ではなく照らされたもの、反射する側から捉える感覚は、やはり日本に独特なものがあるだろう。
例えば「景」という言葉は「かげ」と読んで文字通り「影」をあらわしつつ、元々は「光」を意味していたという。そのように光と影を表裏一体のものとして捉えるような感覚は、日本古来のものだ。それらがこの梶井の作品にも、特に上記のような部分から具体的に読み取れるし、また谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」と共通するような意識であるかもしれない。
先に「闇の絵巻」には「物語」がないと書いた。しかしこの短編は、紛れもなく小説として成立している作品である。この作品にいわゆる「物語」がないとしても、あるいはそれがないぶんむしろ、梶井はこの小説を構造的な強固さでもって意識的に構築しているのだ。
まず、冒頭に置かれた現在の泥棒のエピソードから回想に入り、あるピークを迎えたあとに最後はまた現在へと戻って、文明批判的な結論に触れて終わるという、非常に明確な大枠の構造がある。
そして、回想の場面自体もまた「一本の闇の街道」を歩くシンプルな作りだが、橋があったり、崖があってひらける展望があったりと、地形の変化によって「物語」が展開していくような作りになっており、決して単調ではない。
ではその「物語」のピークがどこにあるのかといえば、それは「私の前を私と同じように提灯なしで歩いてゆく一人の男」を見る場面だろう。「私」は、その男が暗がりへ去って見えなくなる光景を見て「自分も暫らくすればあの男のように闇のなかへ消えてゆくのだ。誰れかがここに立って見ていればやはりあんな風に消えてゆくのであろう」という「感動」を覚える。
「男」が何者であるのかはわからない。しかしほかに登場人物のないこの作品だからこそ、ただ登場して闇に消えるだけであっても、彼は非常に鮮烈な印象を残す。
「私」はなぜ、消えていく「男」を見ただけでこれほどまでの「感動」を覚えるのだろうか。それは、単に彼が暗がりに見えなくなったからではなくて「自分も暫くすればあの男のように闇のなかへ消えてゆく」こと、そして「誰れかがここに立って見ていればやはりあんな風に消えてゆくのであろう」という、いまここにいる自分とは別の視線への想像力ゆえである。
それはつまり「自分が自分を見ることの感動」と言ってもよいだろう。
もちろん現実として、眼は自分を見ることができない。だから自分が自分を見ることを可能にするためには何らかの道具が必要である。たとえば、鏡。写真。そういったものだ。
だが、鏡は私の後ろ姿を見せない。また写真は消えてゆくこと、つまり時間的な推移を見せない。では闇に消えていく私の後ろ姿を見るにはどうすればよいか。映画に撮ればよいのだ。
「闇の絵巻」の「物語」的なピークに置かれているのは、闇についての映画的な想像力である。そして「自分が自分を見ることの感動」を覚えるためには、そもそも映画のようにカメラを据えて何かを撮るときに、あるいは撮られたものを見るときに生まれる、視覚に対するある特別な想像力が必要になるのではないだろうか。
逆に言えばそれは「このように誰かがここから見たら自分もこう見えるだろう」というような想像が、はたして映画以前に可能であっただろうかという問題である。
この作品が書かれた1930年はトーキー映画の登場前夜なので、サイレント映画はすでに一般大衆の娯楽としてすっかり浸透したあとであろう。梶井自身が実際どれだけ映画に親しんでいたかは定かではないが、彼は著名な映画評論家・飯島正の同窓生で親しく交流もあったというから、映画に全く触れなかったということは考え難い。
だとすれば「闇の絵巻」における、見ることそれ自体を行為として捉えて主題化するような感覚も、映画というメディアの浸透によって変容させられた視覚が生み出した、あるひとつの新しい感性であったとは言えないだろうか。
だからこそ、その「物語」的なピークに「このように誰かがここから見たら自分もこう見えるだろう」という感動、それまでの時代にはありえなかったかもしれない「カメラ眼(アイ)」的な視点が置かれているのだ。
映画の普及によって「見る」ことが再発見された。そこから生まれた「視覚」が山間の療養地で闇を見た。
「闇の絵巻」は、闇を礼賛することで光=近代社会を批判するようなかたちで作品が閉じられている。しかし、その闇を見る「私」の視覚が、当時最先端の文化だった映画によってこそ開かれたものだったとしたら……そのアンビバレンスこそ小説を豊かにしている当のものであるというのは、あまりにも「物語」が過ぎるだろうか。