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宮ヶ瀬湖ダム開発と消えた集落

宮ヶ瀬湖水の郷交流館から望むダム湖

江戸時代の宮ヶ瀬村

丹沢の山々が湖面に映る宮ヶ瀬湖。
この湖は、自然的に発生したものではなく、
昭和に人工的に造られたものである。

この湖のある場所に、かつては宮ヶ瀬村という集落があった。宮ヶ瀬村の当時の姿を知りたくて、宮ヶ瀬湖にある宮ヶ瀬水の郷交流館を訪ねてみた。

丹沢は、江戸幕府の御林で、宮ヶ瀬村は近隣の村々と共に御林付村として管理を命じられていました。また、諸役の免除や扶持米が給付されていました。

展示より

農業について見ると、農地の大半が畑で中津川の河畔を利用して、わずかに水田が作られていました。作物は大麦や雑穀・芋がたいはんを占め、穀類の生産量は村内で消費する3分の1にも満たなされていないため、不足分を他の村から買っていました。さらに猪や鹿による被害も多く、農業があまり適した土地とはいえず、農民はたいへん苦労をしたようです。

展示より

宮ヶ瀬村は、山々に挟まれた狭い渓谷にあった。貧しい農地に替えて、豊富な森林資源に恵まれたこの村では、山の管理が主な村の仕事となっていた。

上記引用にもあるように、森林管理の仕事の見返りとして、米などが給付されており、村の農作物の自給率は低く、幕府という管理権力とも密な関係にあったことがうかがえる。

明治期、外国人避暑地となる

横浜周辺外国人遊歩区域図
赤い星マークがついているところが宮ヶ瀬

1867年、15代将軍徳川慶喜により大政奉還がなされ、明治維新を迎えました。幕末から明治のあわただしい世情の中で、横浜に居留する外国人が避暑を目的に、宮ヶ瀬を訪れるようになりました。当時の外国人向けの外国案内図とでも言うべき「横浜周辺外国人遊歩区域図」には、景色のよい遊覧場所の一つとして宮ヶ瀬に印がなされています。〜彼らが水遊びをしていた河原は今でも「唐人河原」と呼ばれています。

展示より

明治、横浜港が開港されると、外国人が自由に出入りできるエリアに宮ヶ瀬村のエリアも含まれるようになった。平地にある八王子が生糸の一大流通拠点兼生産地として栄える一方、山々と豊富な自然に恵まれた宮ヶ瀬村は避暑地として知られるようになる。

宮ヶ瀬村の暮らし

村のおもな生業は、近隣山地の丹沢山の豊富な木々を利用した炭焼きでした。この炭は、江戸商人による買い付けもおこなわれていました。農業や林業の他には、酒作りや鍛冶屋、漆塗りの仕事をしていました。

展示より

村は豊富な森林資源を生かし、炭焼きや鍛冶屋、漆塗りなど、「木」を材とする生業が主に行われていた。また、生糸の生産地八王子と撚糸の生産地半原が近いこともあり、養蚕も行われていた。

交流館にも当時の暮らしが伺える道具が数多く展示されている。

桑切り包丁
蚕に与える桑の葉を小さく切るのに使う道具

川名に残る当時の風景

川筋名とは、川水の流れる道筋に沿った地名を含めて、つけられた名です。川の歴史を物語ると共に、その流域に住む人々の歴史を伝える名として語りつがれてきました。

展示より

主に種類は下記の通りとなる。

①標示型:目標の場所を修飾 例:鵜どまる、丸石、猿とび、鷲ケ淵、赤石
②説話型:伝説や世間話から 例:いじゅうぶくぶく、げんたろうのぞき
③地形型:地形や水流の様相 例:いど尻、細いり、霧淵、瀬戸
④利用型:人間の生活に利用 例:湯場の瀬、しみずの瀬、こぐり
⑤比喩型:目標の場所を修飾 例:霧淵、しらなめ、鼻たらし、かみなり淵

ダムになる前の航空写真と川筋名
ダム竣工後の航空写真と川筋名
今の川筋名を追うと当時の川の流れが想像できる

昭和にダムのそこへ消える

昭和のダムができる前の風景
美しい渓谷が広がる
1980年代、ダム開発が決定。
縄文から続く宮ヶ瀬集落は
湖の底に消えることになった
ダムが竣工すると、
ダム湖の周辺は観光地として開発され
道の駅や眺望台などがオープン。
毎年ロードレース大会も開催されている。

集落の暮らしはどこへ消えたのか

本「ホハレ峠」で有名な徳山ダムを巡るダム開発反対運動に比べて、宮ヶ瀬湖ダム開発は運動の記録があまり見つからない。

これは恣意的な力が働いていたからなのか否か、現状では分かりかねるが、観光地化された宮ヶ瀬湖を見ていると何か違和感を感じる。

横浜が明治期に開港し、江戸から東京になり、
ますます人口が増えるにつれ、都市が必要とする資源の量は増える。

変化したのは量だけではなく、必要とされる資源そのものも木材から水へ、炭による火力から水力へと変化し、増え続ける人口を支える水資源が求められるようになった。

宮ヶ瀬村は、この時代の流れに合わせるように変化し、林業や木を用いたかつての生業は次第に廃れ、最後には村自体がその存在を身売りするかのように、土地を手放すことになった。

湖上で展開される観光地化と湖面下に眠らされた村の歴史。その両極面が見えてくると、その両極性に目眩を覚える。

今回はここまでだったけど、もっとこの違和感の正体を深く掘っていきたいと思っている。

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