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欲しいと願っても叶わないもの、代わりに得られるもの

こんにちは、ジュンです。

今回は、私にとってはとてもデリケートなお話をしてみようと思います。

欲しいと願っても絶対に叶わないと思ってしまいがちなことについてです。

これは私が体験したことの記録なので、全ての人に共通するものではありません。

最初はとても悲しかったけれど、考え方によってはもっと違う可能性もあるということもわかり、今はそれよりももっと幸せなビジョンを見つけています。

大好きな人の子どもを産めないの?という衝撃

私は今よりもーっと若い頃(笑)にホルモン分泌異常の病気をしました。

高プロラクチン血症というものです。

この病気だからといっても不妊が確定するものではありません。
ちゃんと治療すれば妊娠・出産も可能なので、同じ病気の方がいらっしゃったら安心してください^^

この頃の私は集中治療室に勤務していて、1ヶ月の勤務は日勤5日、夜勤14日というようにほぼ半月は夜勤の生活でした。

身体にも心にもかなりの負担とストレスを抱えさせていたのに、自分では全く自覚がありませんでした。

あるとき、生理がぱったりと止まったんです。

まずこの『生理が止まった』という事実だけで不安になりました。
この先の女性としてのイベントは経験できないのでは?と一番最初に浮かび、とても悲しかったことを覚えています。

1ヶ月間毎日基礎体温を測ってから婦人科に行き、検査でプロラクチンが異常値だったことがわかり脳神経外科に紹介されました。

中には下垂体腺腫のこともあるようで、場合によっては大きな手術が必要なこともありますが、幸いにも下垂体の大きさは正常でホルモン分泌の異常だけだったようです。

このときの私は「もう子どもが産めないの?」という不安ばかりでした。
予定もないのにね笑

その不安をぶっ飛ばしてくれたのが脳外科の先生の一言です。

「ちゃんと出産できるから大丈夫だよ!!」

私の不安は一切言葉にしていないのにしっかり見抜かれていたようで、でもとても救われた一言でした。

そうは言っても治療中は常に頭の中にこの不安は存在していました。
普段は忘れていても、あるときふっと思い出すんです。
抜いても抜いても芽を出す雑草のように。

治療自体は順調に進み、今では治療から解放され多くの女性と同じように普通の生活が送れています。

先生ありがとう^^

消えない私は不妊なんだという思い

先生の一言で不安な気持ちから救われたのは事実です。

人ってあんなふうに安堵するんだって思うくらい、不安が安心に変わって全身の力が抜けたのがわかりました。

それなのに人って嫌な生き物ですね。

何かにつけて「私はもう大好きな人の子どもはきっと産めないんだ」という思いが浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返すんです。
治療中のときと同じように。

私は妊娠・出産を望んではいけないんだ

今なら「何言ってんの?」と自分に言ってやりたいですが、このときは真剣に悩んでいました。

プロラクチンの値もしっかり正常値に戻り、服薬もいらない、病気になる前の状態に戻ったにもかかわらずです。

一度自分の身体に起こったことをなかったことにするのは無理な話。

いくら治癒しても、あのときの衝撃を持ち続けてしまっていました。

彼の過去と重ねてダメな自分を創り上げていた

私が思いを寄せる彼は、離婚歴があり子どももいます。

ですが、子どもが生まれても抱いたこともなく、子育てをすることもできませんでした。

一緒に暮らすことができなかったからです。

私はそんな彼にいつか自分の子どもを抱かせてあげたい、ちゃんと子育てをさせてあげたいと思いました。

叶わなかった子どもを抱きしめること、愛することを実現させてあげたいと。

そこを邪魔するのが「私はもう大好きな人の子どもは産めないんだ」という思いです。

妊娠・出産ができない(と思い込んでいる)私は彼を喜ばせてあげられない。
それならそれができる人の方が彼は嬉しいのかもしれない。

勝手に勘違いを爆裂してダメな自分を創り上げていたんです。
誰もそんなこと言っていないのに。

さらには彼自身も「子どもは授かりものだからね」と言ってくれていたにもかかわらず。

妊娠・出産に何を見ていたのか

そんなとき思ったんです。

本当に『血の繋がった子ども』じゃないとダメなんだろうか。
『子ども』じゃないとダメなんだろうか。

子どもが欲しいと思うなら、今はいろいろな方法があります。

特別養子縁組など、血の繋がりはないけれど子どもを育てることはできます。

そして愛することは子どもでなくてもできます。

妊娠・出産を通して私は何を得たかったのか、と思ったとき、彼の幸せそうな笑顔を見たかったんです。

過去、できなかったことができた嬉しさ、幸せの実感。

それは妊娠・出産を経ることが必要なのかと自分に問いかけると、そうとは限らないと思いました。

愛する人との繋がりを実感する
愛する人を愛することができる喜び
それらを通して自分は幸せなだぁと思えること

そんな感覚を彼にプレゼントできる方法は、妊娠・出産に拘らずともたくさんの方法があることに気がつきました。

そう思えたら、彼の子どもを産めても産めなくても関係ないんですよね。
『私は子どもを産めないのではないか』ということは気にならなくなりました。

子なし夫婦のサンプルはたくさん見てきていた私

看護師の仕事を通して多くの患者さんとご家族に接していますが、お子さんのいない夫婦は案外たくさんいらっしゃいます。

その方たちがさみしそうか、悲しそうか、幸せではなさそうかというと全くそんなことはありません。

夫婦2人で楽しそうに、幸せそうに過ごされている方たちばかりです。

そんなご夫婦をたくさん見てきて、私も彼と2人で楽しく過ごしたいと思うようになりました。

一番の変化は子どもに拘らなくていいと思えたことです。

いい年をして結婚もしていない
子どもも産めない

まるで全てを否定されるようなことを言われることもありますよね。

でもですね、世の中全体を見てみれば子どものいない夫婦なんて数え切れないほどいるんです。

子どもを産めないという事実は、もちろん悲しくなることもあると思うけれど、それで不幸かといえばそんなことは誰にも決められません。

生物学的には望んでも叶わないこともあるでしょう。

でもそれは、そのできごとを通して得られるものがあるということです。

私が見つけた答えは、『幸せは星の数ほどある』ということです。

ひとつのルートに限定することなく、本当に欲しいものは何かを見ることってこういうことなんだなと思いました。

この先も、私自身が赤ちゃんを抱けないことのさみしさを感じることもあると思います。

それでも私は幸せですと胸を張って言いたい。

そうなる私をオーダーしています^^


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