小さなことば
小さなことば、
何気なく交わすことば
あいさつのことば。
「おはよう」「こんにちは」
いまではあまり聞かないから
ちょっと遠慮がちに
「ごきげんよう」
「ごきげんよう」は
出会えた仕合わせをよろこび
いまこの時の無事を祝う
小さなことば。
昔、京の尼門跡寺の
お庭先へ迷い込んだ半ノラ猫に
ネコ好きの尼僧さんが教えてくださった。
「こんにちは」も「さようなら」も
「ごきげんよう」。
ハングル猫たちが出会った時は
「アンニョンハセヨ」
意(こころ)は同じ
「ごきげんよう」。
アンニョンは”安寧”
あなたのいまここが
平かで和やかでありますように。
天変地異にも戦争にも遭わず
いつも通りの日々でありますように。
🌷
日本の中世、十四世紀。
戦は絶えず、大地は揺らぎ
町にも村にも飢饉と疫病。
安寧の世に生きる夢は
言祝ぎの詩(うた)となった。
常緑の松に掛けて待つのは
永く続く安寧の世。
良き時代に生まれ合わせ
良き伴侶と巡り合って
ともに生き
ともに老いる。
老体の神の舞う「高砂」の結びは
一日を演能を締めくくる
付祝言(つけしゅうげん)に
よく用いられて、なおも辺りに蟠る
情念の鬼や亡霊の呪縛から
舞台と見所(観客席)を解き放つ。
民の安泰と万歳のいのち満つ国土。
希望あふれる心を幸福の予感で打ち震わせ
松の梢に一迅の風が吹く。
息吹となって溢れ出す
魂のひとひら、
祝福の言霊。
🌷
ヘブライの猫たちなら
「シャローム」
平安があるように。
人の世から
争いはなくならない。
欲望に駆られ、あるいは
善と信じて(誰にとっての?)
人間たちは愚かな行為を繰り返す。
森を伐り、村を焼き、街を壊し
海を埋め、野原を踏みにじり
あらゆるいのちを根こぎにする。
けれど
いのちを護り
紡ぐのも
また人間。
感染症蔓延のさなか、
バッハ・コレギウム・ジャパンが
「ロ短調ミサ」を演奏した。
聞き慣れているはずの終曲は
いまだかつて耳にしたことのない
響きを帯びていた。
人の人たるを否定し
ささやかな日常を奪うものに
全力であらがい、
平安を希求する
一人ひとりの叫び
全人類の祈り。
Dona nobis pacem
我らに平安を与えたまえ
旧約聖書に、新年に朗読される
”アロンの祝祷” がある。
「平安」
「シャローム」は
ひとえに
神の賜もの。
それでも
弱く小さなニンゲンたちは
日々の暮しのなかで何気ない
あいさつを交わしては
いまを共に生きる隣人と
たまゆらの平安を分かち合う。
ネコたちも
行き交う時には
尻尾を立てて、ごあいさつ
きっと小さなことばを添えて。
シャローム
アンニョンハセヨ
そしてときには
ごきげんよう🌷