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虚子『能楽遊歩』メモ

高浜虚子『能楽遊歩』について、2015年3月22日と3月28日にツイッター上に連投したのをまとめました。
一番下に元ツイート最初の1つだけリンク貼っておきます。

「承前/続き」削除と「。」補った以外は元ツイートのままです。

虚子「能楽遊歩」に時々出てくる細川舞台って旧細川侯爵邸にあったのかなと検索してるうちに大名屋敷の能舞台のこと書いた論文PDF出てきた後で読も。

http://www.jsce.or.jp/library/open/proc/maglist2/00897/2007/pdf/B43D.pdf

虚子はホトトギス二百号記念に文芸家向け「はじめての観能」イベント開催してたんだ。大正2年6月27日、会場は喜多能舞台。番組は能「八嶋」喜多六平太、能「羽衣」櫻間金太郎、狂言「脱穀」小早川精太郎と藤江又喜、半能「是界」櫻間左陣。

この公演は前々から「文藝家の多くの人はどういふものだか能楽に縁が薄いやうであります」と思っていた虚子が療養中の坂元雪鳥が退屈だろうからと病気見舞に「文芸家向け能公演どうよ」(大意)と書いたら雪鳥と山崎楽堂がノリノリで企画、明治天皇崩御で実現が一年後になったみたいだ。

「能楽遊歩」にゴージャスな来場者リストも載ってるけど、中に「栗島すみ子」の名が。当時11歳ではないか。あと森鷗外「同 令嬢」とか。

しかし明治時代に
文芸家な人「能を観てみたいんですよ〜連れてって下さいよ〜」
虚子「いろんなとこで能の会やってるんだから勝手に行けばいいじゃないですか」
文芸家な人「えっ自分とか観に行っていいんですか」
虚子「えっ」
なんて今みたいな会話がされていたという衝撃。

虚子『能楽遊歩』所収「手水桶と櫻井のコオさん」は松山での能楽体験と幼年期の思い出話で、五十代の元お侍で「極めて善良な気違ひ」だったコオさんと子供達との関係とかなんかフェリーニの道化師の最初の方みたいな感じでキュンとするんだけど。

コオさんと、もう一人登場する元お侍の話は維新後に没落した武士階級の人達の記録・記憶でもあって、あと最後に何気無く秋山真之が出て来るのが松山なのだた。

https://twitter.com/mikiko_k/status/579467037837148160?s=21

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