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空の上の一期一会、見知らぬ人の思いやり
一期一会の始まり
一期一会という言葉は、時として軽やかに使われすぎているように思う。
けれど、あの日、パリから成田への機内で出会った見知らぬマダムとの会話は、まさにその言葉がぴったりとあてはまる出来事だったのかもしれない。
当時二十代前半だった私の友人は、フランス人の恋人とビザの制約の中で三ヶ月おきに行き来する生活を送っていた。
若さゆえの情熱か、それとも純粋な愛情か。今となっては、その両方だったのだろう。
マダムの言葉
シャルルドゴール空港を後にする機内で、たまたま隣り合わせた日本人マダムは、今の私たちと同じくらいの年齢—四十代後半か、あるいはそれ以上の印象だったという。
最初は何気ない会話から始まった。パリの観光地の話、美味しかったレストラン、そして自然と、若い彼女の恋愛事情へと話は及んでいった。
「今は若いから楽しいでしょうね」
そう言ったマダムの声には、どこか遠くを見るような響きがあったという。
その言葉の後に続いたのは、ただの世間話ではなかった。
結婚について、国際結婚が抱える現実について。遠く離れる日本の家族のこと、異国での暮らし、そして子供が生まれてからの複雑な問題について——。
若き日の反発
友人はその時のことを、先日のカフェでのおしゃべりで話してくれた。
コーヒーカップを両手で包みながら、「あの時は正直、余計なお世話だって思ったのよね」と照れたように笑う。
それは、若さゆえの無知から来る反応だったのかもしれない。
しかし、恋に溺れている時期、誰もが同じように反応するものではないだろうか。
時を経て
それから二十数年が過ぎ、友人は気づけばマダムと同じ年齢に達していた。
そして、時折、あの時の会話を思い出すという。
しかし、それは決して後悔としてではない。
文化の違いは、時に想像以上に深い溝を作ることがある。
言葉の壁や習慣の違い、価値観のズレが予想以上に重くのしかかることもある。
国際結婚では、親や家族の期待、生活環境の違い、時には社会の偏見も影響する。
そうした複雑な問題に直面したとき、どんなに愛し合っていても、容易には乗り越えられない壁が存在するのだ。
だからこそ、機内という限られた時間の中で、見知らぬ若者に声をかけずにはいられなかったのだろう。
それは若い恋を否定するためではなく、むしろ祝福と警告が混ざり合った、大人だからこその思いやりだったのかもしれない。
同じ視点に立って
「今、私たちの年齢になって、あのマダムの気持ちがよく分かるの」と友人は言う。
年を重ねることは必ずしも正しい答えを見つけることではない。
けれど、より多くの可能性と、それに伴う責任について考えられるようになる。
そんな大人の視点を、あのマダムは静かに伝えようとしていたのだろう。
友人は今でもそのフランス人と幸せな結婚生活を送っている。
あのマダムの懸念は杞憂に終わったのかもしれないが、その真摯な声かけは、今も友人の心に深く刻まれている。
人生には、このような束の間の出会いこそが、時として最も深い痕跡を残すのだろう。
そして私たちは、その意味を理解するのに、長い時間を必要とするのかもしれない。