ランスの空と藤田嗣治
ランスに行くならフジタ礼拝堂だよ、と友人に教えられた。
正直、それまで藤田嗣治といえば、乳白色の肌に丸眼鏡の自画像くらいしか知らなかった。
でも「日本人画家による礼拝堂」という一言に何か引かれるものがあったのも事実だ。
礼拝堂は、シャンパンで有名なG.H.マム社の敷地内にしっかりと建っていた。
曇り空を背に、その控えめな存在感がかえって心に響いた。
入る前から、何か特別な時間が待っている予感がした。
でも、扉は閉ざされていた。その日は臨時休業。
少し残念だったけれど、不思議と納得もした。
入れなかったことで、この場所に秘められたものがさらに神秘的に思えたのだ。
想像する余地があるのも、また一つの楽しみだ。
丸眼鏡の自画像だけが、私の中の藤田嗣治だった。
ああ、こんな人生があったなんて。
パリの夜は永遠に続くと思っていたのかもしれない。
モンパルナスのカフェで、モディリアーニと杯を交わして。
猫を描けば、パリジェンヌたちが群がった。
乳白色の肌は、まるで真珠のように輝いていたという。
でも人生って、思い通りにはいかないものね。
戦争があって、信仰があって、そして、この礼拝堂がある。
入れなかったけど、それもまた運命かもしれない。
想像の余地があるって、素敵なことじゃない?
私には分からないことばかり。 でも、それが新しい発見の始まり。
ランス美術館にも藤田の作品があると聞いていたので、その足で向かうことに。
グーグルマップで調べるとなんとここも臨時休業
でもせっかくランスまで来たし、行くだけ行ってみようと思った。
到着すると、改装中でやっぱり休業中だった
またしても、立ち止まることになった。
でも、これはまた一つの巡り合わせ。
偶然の重なりが、どこかで繋がっているような気がして、私はその場に立ち尽くした。
丸眼鏡の自画像の奥にある瞳が、どんな景色を見ていたのかな。
ランスの空は、答えを知っているのかな。
でも今日は、それだけで十分。
知らないことは、人生の調味料。
なぁーんてねぇ。