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公園って、ふらっと行けば誰かに会える、そんな偶然の出会いがある場。

予定立てて、準備して、約束して、スケジュール通りにばっちり過ごすのも良いのですが、私は余白がたまらなく好きなタイプです。ふと気分が向いたときに、いいなと思った場所にちょっと寄ってみる。そのとき、そこにあるもので、楽しむ。子どもをもつ前は、仕事終わりになんとなくタイミングが合った人で一緒に飲みに行ったりするのも大好きでした。

行けば誰かいて、一緒に遊んだり、一緒には遊ばなくても、お互いの存在を感じているだけでなんとなくうれしい公園は、子どもの頃から好きな場所のひとつです。

デジタル世界とリアル世界、どんどん加速してどっちも良い。

オンラインは便利。デジタル世界では、探したいものはすぐ出てくるし、遠くの人とも一瞬で話せて、終わったら瞬時に解散。余韻などない。ものすごく効率的で機能的。

一方、物理的な肉体をともなう現実の世界には余白がある。目的だけじゃない、周りのものの連続でできている。「ついで」みたいなものが、余りにも多い。でもそれが、奥行きや味わいに繋がっているような気もしている。

目的地までの途中の道で、木や花で季節を感じたり、約束してない誰かに会ったり。本屋さんの魅力もまた、そういう偶然の出会いにあったりするんだろう。

どちらかが良いという訳ではなく、両方良い。かなりの確度で狙い撃ちしてくるAmazonのオススメも良いし、書店や図書館で偶然見つけて自分が手に取ったものも、それぞれ違った良さがある。

うれしい「ついで」がたくさんある、公園。

公園って、いつでもやってるし、誰でも居ていいし、ある程度自由に過ごしていい場所。無目的というか、目的がぼんやりしてて許される場所。余白だらけの場所。リアル世界そのもの。

だからいろんな人が来る。ただ来るだけじゃなくて、居る。いろんなことをしている。それぞれが過ごす中、時間を共にすることで、出会いが生まれていく。知ってる人とはより関係性が深まるし、知らない人とも何度も会ううちに顔見知りになったりする。

行けば誰かがいて、約束していなくても、一緒に遊べる。話せる。他の子たちの遊びを見て、知らず知らずのうちにいろいろ学んでいる。誰もいなくても、その日はゆっくり自分の好きな遊びを掘り下げられる。うれしい「ついで」がたくさんある。大人も子どもも。

偶然と必然の間、約束してない出会い。

いろんな人がいるオフィスやコワーキングスペースのような、偶然と必然の間のような空間は、約束していない出会いがある。そういう出会いこそ、新しいアイデアが生まれたり、何かが加速したりするのに、重要な役割を担う。そんな瞬間を、これまでたくさん見てきた。

道端や大きな駅のような、不特定多数の人がただ通過するだけの場所ではなく、会社や学校のような、同質の集団で安全が確保された場所でもない、その中間のような場所。多様な人が、何かの共通項で集う場所。ゆるく繋がる場所。そういう偶然と必然の間のような空間って、なんだかワクワクする。

働く場もそうだし、遊び場もそうだけど、そういう、うれしい「ついで」がちょくちょくあるのは良い。

しばらく外に出ない、人に会えない、そんな生活が続いて、街でふと友達に会えたときのうれしさたるや。人に会えるってすごくうれしい。広い道路のあっちとこっちで手を振り合っちゃうくらい。小さな子どもがいると夜の外出は難しいけど、オンライン飲み会は気軽にみんなと話せて楽しいことも知った。けど、連絡してそこに予定を合わせていくというハードルが、私には結構高い。ポンと時間の空いた夜に、突然でもオンラインで一緒に飲めるような友達マッチングアプリとかあったらいいな〜、もう誰かつくってるのかな〜。


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