自分にとっての幸せな状態とは?
いま、妻と私の間で「自分にとっての幸せな状態は何か」がホットな話題になっている。
「幸せとは何か?」なんて考えない状態こそが「幸せ」だとも言える。ただ、現代の日本では「世間」の存在感が強すぎて、気を抜くと世間に迎合してしまいがち。だからこそ「自分にとっての幸せな状態」を言語化しようと試みることが、世間から独立し、自分に焦点を当てる第一歩になると思う。
あえて言語化する
現代の日本は「自分にとって幸せな状態は何か?」というごく自然な問いを抱きにくい社会だ。世間に合わせて労働し、消費することが唯一解かのように扱われている。でも、そんなはずはない。100人いれば100通りの「幸せな状態」があって良い。
学校を卒業したら正社員か公務員になり、結婚して子どもを持ち、労働と消費を繰り返して、定年後は悠々自適なセカンドライフ。これで幸せな人もいるだろう。しかし、そうでない人も大勢いる。世間の「正解」を模倣して日々を過ごすだけでは、納得感のない無駄な時間になってしまう。
「時間を無駄にするな」と言うと、どうしても「時間の換金効率を高めろ」というニュアンスに受け取られがちだ。しかし、私の主張はそこではない。重要なのは、自分が納得できるのなら、たとえ毎日10時間TikTokを観て過ごしても問題ないということだ。一度、世間の価値観を脇に置き、自分の幸せについて考えることが必要ではないだろうか。
自分にとっての幸せな状態
さて、ここからは「私にとっての幸せな状態」を言語化していく。有益な情報を届けられるかは不明だが、バカにするなり、暇つぶしにするなり、好きなように読んでください。
苦痛がない状態
私は「快楽の存在」よりも「苦痛の不在」を重視する。快楽なんて、その気になればいくらでも見つけられる。まずは、苦痛を最小化することが急務。
私にとっての「苦痛がない状態」は次の3つに細分化できる。
衣食住が満たされた状態
心身ともに健康な状態
悪性のストレスが存在しない状態
①②は言うまでもないので、③について掘り下げる。
ストレスには「良性」と「悪性」があり、良性のストレスは心身の健康や幸福をもたらしてくれる。良性のストレスとはうまく付き合い、悪性のストレスのみを排除すれば良いのだ。
良性か、悪性かを見分けるには「心身の反応」と「継続性」に着目すると良い。エネルギーが湧いてくる感覚があれば良性、逆にエネルギーを吸い取られる感覚があれば悪性。また、短期間のストレスは良性であることが多いが、長期間続く場合は悪性になりやすい。参考文献↓
例えば、私にとって「会社勤め」は悪性のストレスだった。自分をすり減らしながら働いていたし、継続的にストレスにさらされていた。一方で「家事」や「勉強」は良性のストレスだ。家事を一時的に面倒に感じることはあるが、家事を通じて自己効力感を得ている。勉強、特に資格試験前はストレスを感じるが、そのおかげで意欲と集中力が高まっている。
悪性のストレスを排除することで、苦痛を最小化できるわけだ。世間で「善」とされることでも、私にとって悪性のストレスならば切り捨てようと思う。
何かを学んでいる状態
私は学ぶことが好き。ここで言う「学び」とは、流行りの「リスキリング」のように実利を目的としたものではなく、学ぶ行為そのものを楽しむ、純粋な「生涯学習」だ。
興味のままに本を読む
趣味として資格を収集する
妻や友人と教え合う
博物館や博覧会に行く
インターネットで調べ物をする
趣味で技能を身につける(スポーツや手芸など)
現代は、学ぶための環境が整っている。図書館などの公共施設を活用すれば大したお金もかからない。地味に重要なのは他者の存在だ。本を読んだ感想を語り合うだけでも、ものすごく充実した学習機会になる。
身近に信頼できる人がいる状態
私は内向的で人間関係も狭い方だが、一人で生きていくのは無理だと思う。よく「人間は一人では生きていけない」と言われるが、これには二つの意味合いがあると思う。
一つ目は生活手段の話。一人で食物を育て、衣類を作り、家を建て、水を得て、病気や怪我を治すのは不可能だ。私たちは目に見えない人たちとお金を介して繋がっている。お金を媒介した繋がりがなければ、生活を続けるのは不可能だ。
二つ目はメンタルの話。仮にお金を介した繋がりのみを保持し、人間的な繋がりを放棄したとする。おそらく、私の言語能力や感情表現は衰退し、果てには自身の存在すらも忘れかねない。実際、妻が出張で家を一週間ほど空けただけで、私は言語能力の低下を自覚した。人間は、やはり、他者からの視線の圧力に曝されなければ、人間である自覚を保持できないと考えている。
というわけで、信頼できる身近な人間が最低一人は欲しい。今は妻、両親、友人で合計4~10人いる。両親は先立つ可能性が高いし、友人関係も結婚や出産を機に変容すると聞く。今だってほとんど妻としか会っていないので、一人いれば十分とは思うが、妻に依存している現状が健全とは言い切れない。
インスタントな快楽状態
幸福には、獲得は困難だが持続性が高い長期的な幸福と、容易に獲得できるが持続性が低い短期的な幸福がある。これらの幸福に優劣はなく、そのバランスが重要になる。参考文献↓
ここまでの「苦痛の不在」「生涯学習」「人間関係」は長期的な幸福に分類できる。一方、私は先ほど「快楽なんて、その気になればいくらでも見つけられる」と書いた。これは短期的な幸福のことで、いわばインスタントな快楽だ。
細かくリストアップするとキリがないので「インスタントな快楽状態」としてくくり、その具体例を列挙する。
コーヒー
旨い飯
お菓子
お酒
YouTube動画
野球観戦
音楽鑑賞
性的満足
温浴
二度寝
ゲーム
noteの「スキ」や「コメント」
とにかく、キリがない。
まとめ
苦痛が最小化された状態で、一人以上の信頼できる人間と関わり合いながら、何かを学び、テキトーに手頃な快楽を味わっていれば、私は幸せだ。
このことを自覚しただけでも、世間の価値観に惑わされない「軸」を獲得した気になれる。ただ、この「軸」は変容していくものなので、あまり固執しすぎないよう注意したい。
今、妻にも「自分にとっての幸せな状態」を考えてもらっている。妻の返答を楽しみに待ちつつ、引き続き幸せな状態を保とうと思う。