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消灯後、夫婦の会話が捗る理由

「おやすみ」と言って電気を消すと、不思議と会話が弾む。昼間には出てこなかった話題が、暗闇の中で自然と浮かぶのはなぜだろう。今回は、消灯後の夫婦の会話について考える(1519字)。


消灯後の夫婦の会話

消灯後、そのまま黙って眠ることは少ない。暗闇の中で30分ほど会話を続けていると、妻が寝落ちし、それに続いて私も眠るのが定番だ。ときには会話が白熱し、暗闇の中で2~3時間話し込むこともある。

「今度〇〇が食べたい」「こんな面白いことがあった」など、くだらない話もあれば「労働との向き合い方」「親子関係のあり方」「出産の是非」「幸福とは何か」といった人生観に関わるテーマに発展することもある。

妻が悩みを打ち明け、私がそれを分析するのも定番だ。良くも悪くも、私は共感力が低い。悩んでいる人を見ると好奇心が刺激され、その理由や経緯を分析したくなる。質問を淡々と投げかける私の態度が、妻にとって話しやすいと感じるようだ。

なぜ、消灯後に会話が盛り上がるのか

「寝る直前まで会話をするくらいなら、日中はどれだけ話してるんだ?」と思われるかもしれないが、実は日中はあまり話さない。

日中はそれぞれが好き勝手に行動しているし、食事を共にするのも夜だけ。日によっては夜までほとんど会話をしないこともある。しかし、孤独を感じることもなく、むしろこの距離感が心地よい。

では、なぜ日中は話さないのに消灯後に会話が弾むのか。それは「視覚情報の遮断」と「一日が終わった安堵感」の二つが影響している。

視覚情報がなくなるから

目からは途方もない量の情報が入ってくる。表情、視線、身振り、手振り、物理的な距離感など、話し相手に関する視覚情報を絶えず受け取っている。

視覚情報は言葉だけでは表現しきれない微妙な感情やニュアンスを補い、コミュニケーションを円滑にする役割がある。しかし、私たち夫婦は何度も会話を重ねてきたため、視覚情報がなくても「声色」や「間」で十分に機微を汲み取れる。むしろ、視覚情報がない方が余計な刺激が減り、会話に集中しやすいのではないかと感じている。

特に、悩みや人生観についての深い話題を面と向かって話すのは恥ずかしいものだ。しかし、暗闇の中では視覚によるプレッシャーが軽減され、気持ちを率直に表現しやすくなる。

一日が終わった安堵

当たり前だが、消灯すれば「あとは寝るだけ」という状況になる。一方、日中はどうしても「次にやること」を考えてしまう。ご飯を食べて、食器を片付けて、お風呂に入って、歯を磨いて、と時間を気にして行動する。ゆえに日中は一定の緊張感が保たれている。

消灯して布団をかぶる瞬間こそ、一日の中で最も安堵できる瞬間だ。この安堵感が、消灯後の会話を弾ませる要因になっているのではないかと感じる。日中に抱えていた細かな考え事が、一日の終わりと共に溶け出し、話題として浮かび上がってくる。

一日を振り返る時間として、消灯後のリラックスした空間がちょうど良いのだ。日中は互いに「目の前のこと」あるいは「次にやること」に集中している。消灯後は、これらの緊張が緩んで解放的になれる。日中に考えていたしょうもないことや、ちょっとした悩みを話しやすいのだ。

あとがき

妻は消灯後にすぐ眠ろうとする。消灯後に口数が増えるのは私の方なのだ。日中の私は無口であり「発声」ですら面倒に感じることがある。それでも、消灯後は会話欲が高まって、妻に話しかけてしまう。妻も乗り気だと長話に発展するのだが、私たちはこの現象を「修学旅行の夜」と呼んでいる。

消灯後に似た現象が、散歩中に起こることもある。散歩中の会話欲の高まりは、また別のメカニズムが働いている気がするので、気が向けば言語化してみる。

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がまくん専業主夫
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