少子化対策なんて必要ない。
政府は2023年に異次元の少子化対策を掲げた。「異次元じゃないよね」というツッコミはさておき、私は「少子化対策を講じて少子化を是正すべき」との主張に賛成できない。「誰でも子どもを産み育てられる社会」は一見ユートピアだが、その先に待っているのはディストピアだと考える。
子どもを持てない貧乏人?
「子どもを育てるだけの経済的余裕がない」という人が増えている。国立社会保障・人口問題研究所「出生動向基本調査(2021年)」によると、妻が35歳未満の夫婦が子どもを持たない理由として最多だったのは「子育てや教育にお金がかかりすぎるから」で、選択率は77.8%にのぼった。なぜ、子どもを育てるだけのお金が足りないのか。単純に考えると次の二点が考えられる。
収入が減った
子育て関連の支出が増えた
①について「日本の給料を上げるにはどうすればよいか」とのテーマは壮大すぎるので割愛する。今回は、②子育て関連の出費の増加について考える。
子どもは「贅沢品」
まず、本当に子育て費は増加しているのかを確認しておく。参議院事務局が発行している「経済のプリズム」によると、1971年から2015年にかけて子ども一人当たりの年間教育費は2.4万円から37.1万円へと約16倍も増加したと示されている。増加の背景には、親が子どもの将来に漠然とした不安を抱いており、「頭の良い子、一芸に秀でた子に育てる必要がある」と考える人が増えたと報告されている。
子が成人したら社会で活躍してほしいと考える親は多いだろう。しかし、社会は急速かつ高度に発展しており、社会から求められるレベルは上がっている。義務教育だけでは社会で活躍できる「子」にならない時代なのだ。義務教育+アルファの教育機会を提供できる経済力を有さない人が、出産をためらうのも無理はない。
子育てに関する経済的支援は必要か?
社会保障の理念に沿えば、子どもをもてない貧乏人に対して経済的支援を提供するのが素直だろう。しかし、私は経済的理由で子どもを持てない人に「経済的な」支援は不要と考える。なぜなら、教育の高度化による出生率の低下は自然の摂理に則った現象だからだ。
生物は個体数が増えすぎると滅びる。食糧をはじめとした資源が不足するためだ。つまり、種の存続には人口調整が欠かせない。多くの生物は空間的・時間的制約のもとで人口爆発が抑制されている。しかし、人間は文化や科学によって制約を無力化し自由に繁殖・生活している。事実、人間は熱帯雨林にも、砂漠にも、北極圏にも生息している。これだけ広範に生息できる生物は稀である。言い換えれば、人間は制約を受けないが故に人口爆発を起こすリスクが高い。
では、人間はどのように人口調整をしているのか。それは子育てである。人間に最も近い生物であるチンパンジーの育児期間は3〜5年と他の哺乳類よりも長い。人間はチンパンジーよりもさらに育児期間が長い。これまで、人間は育児期間を延ばすことで人口爆発を抑えてきたのだ。一方、今の世界では人口爆発が騒がれ、持続可能性を高めることが求められている。人間はより一層、育児負荷を高めて人口増加を抑制する必要がある。そこで、人間はさらに子育てを手厚くすることを選んだ。例としては次のことが挙げられる。
大学進学率の増加
塾や習い事に行く人の増加
外遊びや通学時の「見守り」
子育ての水準が上がれば、子育て費も増える。子育て費が増えれば、経済的余裕のある人しか子どもを持てなくなる。私は子育て水準の引き上げは現代版の人口調整と考える。この点を踏まえると「誰でも子どもを産み育てられる社会」は一見理想的だが、極めて反自然的な社会とも言える。すなわち、闇雲に少子化対策を進めれば人間社会はより不安定になるのだ。
人間は文化や科学でさまざまな自然的制約を無力化してきた「反自然的な生物」である。しかし、その反自然性が高まりすぎて不安定さも増している。その結果が、現在の人口爆発や気候問題、食糧不足、未知のウイルスによるパンデミックだろう。社会保障システムが充実するのは良いことだが、システムを高度化することで本来は淘汰されるべき個体まで繁殖できてしまう不自然な事態を引き起こす。これ以上、反自然的な行為により「ひずみ」を蓄積すると可塑性を失い、取り返しのつかないことになる。
長々と拙論を連ねてきたが…
要は「日本は国土の割に人口が増えすぎた。もっと減っていい。」と言いたい。今の世論を見ていると、少子化対策か、高齢化対策かの二択に見えてくる。論点はそこではないと私は考える。人口増加・経済成長など過去の栄光を忘れ去り、人口減少・経済衰退を前提として社会制度を再設計する必要があるのではないか。まぁ、国はとにかく労働力が欲しいようなので実現することはないだろうが。