20歳の冬。
20歳の冬、東京の狭いアパートで一人暮らしをしていた僕は、雪の降るほどの寒さにも関わらず、暗い部屋の中で暖房も付けずに布団に入って耐え忍んでいた。当時のことを思い起こしている僕の感覚的には、春と呼びたいが、真冬と呼ぶほうがどう考えても相応しい。1月で、ちょうど僕にとっては、成人式を迎える頃のことだった。
当時の僕は、どうしようもなく深く悩んでいて彷徨っていた。迷子で帰る場所を失った犬のように、文字通りあてもなく出かけることもあった。とにかく、ここでない場所ならどこでも良いと。だけど、心の底では居場所を求めていた。
その頃のことを一言で言い表すことができないが、かえってその方が良いだろう。人の感情を一言で表そうなんて、そう簡単に単純化されてしまってはたまらない。
形だけの名ばかりで、人を成熟させる機能などない現代の成人式に行く意味など見いだせなかった。いや、行かない方がマシだと思っていた。だけれども、一応区切りを付けている年齢ということもあり、何か今までやったことのないことをやろう。子どもは試練を乗り越えて、初めて一人前の大人になると言う。だから、何かをきっかけに成長したい、そんな思いで僕は海外に行くことを決意した。旅で自分自身を成長させよう、と。
海外と言っても、行ったのは日本から近い台湾だったのだけれど。僕は沖縄で大学生活を送っていて、沖縄には東アジアからたくさんの観光客が訪れていた。台湾から来る人も多く、僕が飲食店でアルバイトをしていたときに観光でお店に来て、話して仲良くなった台湾人が何人か居た。また大学の同級生にも台湾に行っている人はちらほら居たことも知っていた。台湾は人が温かく、良い印象を持っていた場所だったため、興味もあったので、そこに行くことにしたのだった。急遽台湾行きを決めて航空券まで予約したので、直前になってから、台湾人の年上の女性に、台湾に行くことをLINEで連絡をしたのだった。彼女に連絡したのは、たしか出発の2、3日前とかそんな感じだった気がする。今思えば、我ながら迷惑な話だ。
その人はその前の夏に、彼氏と友人と3人で僕のアルバイトをしていた飲食店を訪れたことがあったのだった。彼女らは席につくや否や、''Can I take picture with you?'' たしか、彼女がそんな風に僕に言って、僕らは4人で一緒に写真を撮ったのだった。いきなり、「一緒に写真を撮りましょう」なんて予想外のことで驚いたけれど、フレンドリーに接してくれて、決して悪い気のするものではなかった。いや、恥ずかしいけれど、嬉しくないわけがないだろう。
思い返してみれば、きっかけはそんなことで、縁というのは不思議なものである。そんなこんなで、台湾への印象は良く、必然的に台湾を選んだのだった。
航空券を取っただけで、宿も何も準備せず、僕は必要最低限の服を持って台湾に旅立ったのだった。宿も予約しておらず、行けばなんとかなるだろうと。結局、友人に当日宿を探してもらったので、成り行き任せ、驚くほどの他人任せだった。よく覚えていないが、旅を決めたのがあまりに急だったからなのかもしれない。
桃園国際空港まで、3人が迎えに来てくれるということで、合流して案内されるがまま、車に乗せてもらい高速道路を南下して行った。どうやら、Sun Moon Lakeというところに連れて行ってくれるらしかった。これはあとで知ったが、そこは日月譚という有名な観光地のようだ。台湾の高速道路はやけに道幅が広く感じられ、看板の広告や植物も初めてみるものばかりで外を眺めるだけでも面白かった。移動中も、お互い完璧とは言えないながらも、僕らは英語で会話していた。僕のためにSimカードを用意してくれていたし、他にも美味しい食べ物や飲み物を紹介してくれて、ごちそうしてくれてすごく優しかった。
しばらく南下して高速道路から下り、田舎道を走っていたが、熱帯雨林を彷彿とさせるような植物が見えて印象深かった。目的地の日月譚に到着したら、観光スポットで写真を撮ったり、歩いて散策したりした。
西遊記の主人公でもあるお坊さんの玄奘が関係しているお寺もあり、玄奘が修行で訪れた場所を示した地図を見たり、高いところから湖の広がる景色を眺めたりして、思いを馳せた。ずっと昔、国を跨いで途方もない道のりを旅した人がよく居たものだと、言葉にし難い不思議な気持ちになった。素晴らしい体験だった。
ひとまず観光が終わると、次は台中市のNight market = 夜市の近くに連れて行ってくれるという。そこに宿を見つけてくれていたのだった。車で移動する間にはもうすっかり暗くなっていて、見慣れない景色を眺めながら、不思議な気持ちになっていた。それまでの出来事を振り返って、僕は友人たちに、「僕は何ら特別じゃないのに、どうしてこんなに優しくしてくれるの?」と尋ねた。それに対して、「台湾人は外国人に対して親切だから。」とそんなことを友人は話していた。
目的地に着き、夜市を通って宿に向かいながら、友人たちは「夜市におでんがあるけれど食べる?」とかそんな風に、色々と気にかけてくれていた。
宿に連れて行ってもらい、部屋まで案内してもらうと、友人たちとはお別れである。いざ別れるというときになって、一気に感情が込み上げてきて、急に大粒の涙が溢れてきた。彼らにとっては当たり前でも、彼らの気遣いに優しさが感じられ嬉しくて、僕はひどく感動したのだった。
一瞬の出来事で、僕自身も友人たちも驚いてしまったが、涙を流しながら彼女らを見送って、部屋に一人戻った。部屋の中で、涙を流して恥ずかしかったなと思いながら、彼女らの僕に対する行為について振り返って思いを巡らせていた。
台湾人は外国人に親切だ、と友人が語ったように、彼女らのしてくれたことは、僕に対する特別な歓待ではなく、彼女らにとっては他者への当たり前の接し方だったのかもしれない。あまりにも優しくしてくれたので、自分のために特別にしてくれたのだと、正直なところはそう思いたかったので、少し寂しくはあった。けれども、それがたとえ外国人皆に対する当たり前の接し方だったとしても、僕にとっては、彼女らの行為がとても特別に思えた。
まるで、雨の日の夜に森で道に迷い、外を彷徨い歩いた末に見つけた家で、その家の人がくれた一杯の温かいスープのように、身体の底から温めてくれて、心にも深く染み入りほっとするような、そんな気持ちにしてくれた。
心の底では人の心の温かさ求めて、ひどく飢えていたにも関わらず、僕は素直に表現できなかった。受け入れてくれる自信もないし、恥ずかしくてストレートに表現できなかったのだ。
涙を流したあの晩、そこまで意識できなかったが、僕にとっては大事な経験だったのだろう。
彼女らの当たり前は、僕にとっては有難いことだった。
P.S. 真冬の1月なのに、春のことだったかのように感じるのは、きっと、台湾が暖かったから。そうに違いない。