未知数の距離。
過去に撮った写真を見返していた。ひいき目に見ても、大した写真はただの一枚もないくらいだった。だが、面白いものは少しはあるかもしれない。この写真にしても、何の価値もないかも知れないが、今回は無視できなかった。
これは中国の河南省洛陽市という地域で撮った写真だ。単なる歴史にはあまり関心はないが、洛陽は唐の時代の首都だったそうだ。世界史の教科書で、洛陽という名前を見かけた記憶はおぼろげにある。
僕は知らない土地で、名もない地を当てもなく歩くのがけっこう好きだ。観光地も行くことには行くし、別に否定もしないが、観光客が行くことのないような場所の方が人間模様が見れて面白いと考えるような人間である。どこを歩いているかは気にせずに、しかも目的地も特になく、とにかく歩いていた。そして、そうして歩いた場所の中にはたぶん日本人が足を踏み入れたことのない場所も数多くあったはずだ。
写真の話に戻ると、俯いている彼は、おそらく回族と言われるイスラム教徒だ。そこは中心から外れていて、昼間でも活気がなく、外を歩いている人影もまばらだったが、イスラム教徒が住む区画のようだった。特徴的な緑色の塗装が為されている建物が並ぶ場所でもあったし、羊肉がテーブルの上に並べられているテントも見かけたから、おそらく間違いないだろう。彼が腰かけている店には、「清真」と書かれている。「イスラム教の」というような意味もあるが、これはハラール食品を扱う店であることを示している。書かれている字を見る限り、小麦粉で作られたナンのようなものを扱っている店のようだ。
今更ながら思う。僕と彼との間にはどれだけの距離があるのだろうかと。僕と彼は、互いに分かり合うことはできるのだろうか。彼は僕のような外国人と面と向かって会ったことはあったのだろうか。彼と話したら何が起きたのだろうか…。老人に見えるが、彼はどんな人生を送ってきたのだろうか…。今振り返ると、そう考えることを禁じ得ない。
彼に話しかけてみればよかったのになと思う。そうは言っても、何を言えばよかったのだろうか…。
P.S.「顧客至上」とも書かれているが、文字通りの意味だ。日本人の私たちが考えるものとはきっと異なるだろうな。これも面白いテーマだと思う。そもそも、顧客至上という概念自体疑ってしまう。どこで生まれたのだろうか。