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思考の断片①ーそうであったかも知れない世界

大袈裟なタイトルだが、思いついたことを記す。私は歴史を知っているわけでもなく、下記の内容は、ただのインスピレーションでしかない。

ここのところ、コロナで気を遣っており、外出することすら躊躇うようになっている。その現状をふと意識したら違和感を覚え、気持ちが悪く感じた。

長い歴史から考えれば、病気は人類にとって避けがたい存在であり、我々の祖先は病気と共存して生きてきたようなもの。だとすれば、今を生きる私たちが経験してきた、コロナの前のしばらくの時代は、逆に特殊とも言えるのではないだろうか。今生きている私たちが共有している世界、そのごく短期間の間には、ただ単に偶然、運良く、コロナのようなウイルスに邪魔されることがなかっただけではないか。平和すぎたのではないか。あるいは、この経験すら、衛生環境の良い地域で暮らす人たちだけのものかも知れない(私はあまりにも知らなすぎる)。つまり、時間的にも地域的にもかなり限定された経験に基づいた、私たちの共通認識に過ぎなかったのではないか。

とすれば、人が集中する都市では、外出すら気を遣わなければならない、という今の状況こそ当たり前じゃないか。殊更言うまでもないが、都市の存在すら当たり前ではない。

となると、今の世界の様子と、我々が日常として共有している世界の様子、そのどちらが当たり前の世界の様子なのか、よくわからなくなるではないか。私は混乱してしまった。

私がカフェに入店する時には、入り口でアルコールのジェルで丁寧に手を消毒をして、レジに注文に行く時には気を遣ってマスクをいちいちつける。また、客同士の席の間隔を空けるように店側が気を付ける、なんていう世界が、当たり前なのかも知れない。ひょっとすると。いや、直観的にそう確信した。それが正しいのだと思った。

そして、コロナが流行している今が異常な世界だと考えるのは、私たちの幻想である。

P.S. 写真使わせて頂きました。素敵な写真です。ありがとうございます。


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