人生を聞くことと語ること
『断片的なものの社会学』から
華語版の『断片的なものの社会学』(岸政彦 著)を友人たちに紹介した。ちょうど最近、台湾で華語の翻訳版が出版されたのを知ったからだ。出版されるのを今か今かと待っていて、台湾のネット書店で見かけたときはタイトルと表紙を見て妙に感動した。今考えれば自分の著書でもないのに変な話だと思う。実はまだ読みかけで、全部は読んでいないにもかかわらず他人に勧める、というなんともいい加減な人間だと自分で思う。ただただ、台湾の友人たちと、あるいはこれから出会うであろうまだ見ぬ人たちと語れる可能性を感じたので嬉しかったのだと思う。
『断片的なものの社会学』についてとにかく語りたいという気持ちがある。語りたいのは本の内容なのか、それともお互いの人生なのか、自分でもよくわからない。むしろ、『断片的なものの社会学』というタイトルが想起させるイメージについて、自分なりに語ったら面白いのではないかと思っているだけなのかもしれない。
n回目の沖縄
岸さんの本を読むようになったのは、去年、沖縄に行ったときに古本屋で『はじめての沖縄』を手に取ったのがきっかけだった。沖縄で過ごしたこともあった僕にとってはn回目の沖縄である。何回という概念も超えているかもしれないが。
『はじめての沖縄』が沖縄観光ガイドのような本ではないのは明らかだが、帰りの飛行機で読んでいた時は、客室乗務員の方に背表紙を見られるとなんか恥ずかしい気持がしていたので、本を置くときはタイトルが見えないように隠していた。誰も見てやしないのもわかっている。いっそのこと見てもらえば、何か話すきっかけになったのかもしれない。
沖縄からの帰りの飛行機で僕が『はじめての沖縄』を読むことが、どこか可笑しくて、一人でそんなしょうもないことを考えて心の中で笑っていた。
そう、岸さんの本に関心を持つようになったのはそれからだった。だけど、実はそれ以前に、当時付き合っていた恋人が『断片的なものの社会学』を持っていて、本棚から手に取り、パラパラとめくったことは覚えている。岸さんの名前だけは知っていたという感じだった。
そしてなぜだか、研究者としての岸さんなのか、作家としての岸さんなのか、人物自身なのかよくわからないが、『はじめての沖縄』以来、ひどくハマっている気がする。僕自身はいわゆる沖縄病ではないと思うが、その代わり「岸政彦の見ている沖縄病」かもしれない。なぜか惹かれるものがあった。
たぶん岸さんの調査方法と社会や他者の見方、あるいは世界を見る解像度が自分も好きなのだと思う。それで勝手に私淑しているだけである。だから何だというわけではない。
わざわざ送る-本がきっかけの贈与
僕がInstagramで紹介したおかげか、海外の友人二人が『断片的なものの社会学』に興味を持ってくれた。
華語版も読みたいと書いたので、一人は台湾から『断片的なものの社会学』の翻訳本を送ってくれることになった。そして、僕は「日本から何か欲しいものを送るよ。」と言って約束した。
もう一人の友人も、ありがたいことに華語版を送ってくれると言ってくれたが、「今回は送ってくれる人が居るから大丈夫だよ。ありがとう。」と伝えた。その代わり、僕は香港に日本語版を送ることにして、その人は僕が欲しいものを送ると言ってくれた。
二人ともまだ会ったことはないが、送ってもらう対価としてお金を払う/払われるようにするのではなく、わざわざお互いが贈り物をするように仕掛けた。気持ちよく贈与ができて僕としては嬉しい。コロナが収まって海外に行けるようになれば会いに行きたいと思う。
人生を聞くことと語ること
それから、夜にはClubhouseで台湾の友人たちと3人で話していた。うち一人は本を送ることになっている人だった。その友人たちとはいつも穏やかに話せていて居心地が良い。自然と『断片的なものの社会学』の話になり、僕から簡単に本を紹介していた。そして僕自身も人の人生を聞きたいと思っていることも、ついつい僕の口から出てきた。
そう、僕も誰かの人生の断片を聞いていきたいと思っているのだ。あるいは誰かの人生でなくてもよくて、旅先で出会った人の口からポロっと出てきた本当の話かどうかも定かではない話だって良いのかもしれない。そこらへんに転がっている小石のような、ありふれた世界の断片を集めて言葉にしていきたいと思っている。
人の人生を聞きたいという想いを口に出してしまったあとで、人生の話といえば例えばどんな人生の話なのかと友人が僕に尋ねた。それに対して、最初からテーマを固定するのではなくて、自由に話してもらうようにしたい、と僕は説明した。その人の人生の中の、ある瞬間を語るだけでも良いのだと。
それからしばらく三人で、本とは関係の無い話をしていた。ふとあるとき、「んー」と彼女は少し迷う様子を見せたあとで、自分が学校に通っていたころの話をしてくれると言った。思いもよらないことで、とても嬉しかった。
詳しい内容は書かないが、彼女は小さい頃からバレエを習っていたことがあるという。子どものころに一人で海外に行ってバレエのレッスンを受けていた。そしてあるときからバレエを続けることが出来なくなったのだ。
長い語りではなかったと思うが、間違いなく彼女の人生の一部だった。話している彼女自身、そして、彼女の話を聞いている僕ともう一人の女性も感情を揺さぶられたように思う。僕は話してくれた彼女に感謝の気持ちを伝えた。聞かせてくれて本当にありがたいと思った。
それから、僕の話も聞きたいと言われたので、同じように学校に通っていたころのことを話すことにした。人に自分の話をすることがあまり無い僕は、ぽつりぽつりと整理しながら華語で話し始めた。(あえて華語と書いてみる。)
日本語で話すよりも、他人にどう思われるかとか気にせず話せるので、自分の過去の話をするには、むしろ外国語の方が僕にとっては都合がよかったりする。
僕は思いつくままに語り始め、幼稚園に入る前にくもん(公文式)に通っていたことから僕の話は始まった。断片的な記憶でしかないが、記憶に残っているシーンはわずかにあるので、通っていたのは確かだと思う。思い返せば、子どものころは、くもんに通っていた頃のことを、動画で思い出していた記憶があるが、今は静止画の形式で瞬間を切り取った視覚記憶でしかない。
幼稚園のころには音楽教室に通っていたけれど、ピアノは簡単な曲もほとんど弾けない。(そしてこれは話していないが、実は、今でもまた練習したいと思いながら、去年フリマサイトで購入したキーボードが、受け取ってきて一度電源を入れただけで、部屋に置いてあるだけだ。)
小学校では3年生からサッカーをしていた。楽しかったことも、辛かったこともたくさんあった。
思い返せばエピソードは無数にある。
そのとき話したことだけでも、挙げればキリがないが、ぽつりぽつりと言葉を選びながら、時には迷って発した言葉を訂正しながらも、友人たちに語れた経験や想いがあった。普段よりもオープンに話せたけれど、それでもストレートに語れないこともあった。そして、誰にも話したことの無い想いも存在するということも、僕は口にした。
語ってくれた友人も、普段自分のことを話すことはないと言っていた。恐らくは、彼女は迷った末に話してくれてたのだと思う。とてもありがたいことだった。
僕自身も、本当は聞いて欲しいという想いもあるが、自分からは滅多に話さない。だから話す機会をくれたことにも感謝している。
それからの数日間ずっと、人の人生を聞くことと自分の人生を語ること、その両方の魅力に憑りつかれている気がする。