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「不完全」なギフト
不完全だからこそ、つながれる
「できないことがあるって、もしかしたらすごく大きなギフトなのかもしれない」
ふと、そんなことを考えました。
「自分は○○ができない、〇〇が足りない」
と思うと、ついそれを何とかしたくなりませんか。
もっと頑張らなきゃ。
もっとできるようにならなきゃ。
そんなふうに、人って不完全な部分を「弱点」として捉えがちです。
私自身、できない・足りないことのオンパレード。
体力がない。
メンタルが強くない。
向上心に欠ける。
事務作業が苦手。
すぐ物をなくす。
ものが覚えられない。(老化?)
ずぼら。
他にも数え出したらキリがありません。
逆説的かもしれませんが、完全に不完全な人です。
ですが。
もしこの「不完全」であることこそが、社会を成り立たせているものだとしたらどうでしょうか。
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たとえば、仕事。
全部ひとりで完璧にできる人ばかりだったら、誰かに頼ることも、協力することもなくなってしまうかもしれません。
でも、得意なこと・苦手なことがあるからこそ、
「ここはお願い!」
と頼ることができる。
そして、誰かが
「 任せて!」
と引き受けてくれる。
そこに、チームワークが生まれます。
家庭でもそうです。
たとえば、料理が得意な人もいれば、掃除のほうが得意な人もいます。
親が完璧に何でもできるより、
「ちょっと手伝って〜」
と子どもに頼る場面があったほうが、子どもも自然と家事を覚えてくれて、家族のつながりも深まります。
「できないことがある」って、決して悪いことではないのかもしれません。
むしろ、それがあるからこそ、人と助け合うという発想が生まれます。
そして、人と人が支え合う社会が育まれていくのです。
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そう考えると、「不完全」であることって、実はとても大切なものなのかもしれません。
不完全さがあることで、誰かに頼ることができる。
逆に誰かの役に立つ機会が生まれる。
そして、そこに「つながり」が生まれます。
完璧じゃなくてもいい。
むしろ、お互いに不完全だからこそ、私たちはつながれる。
何より、そんな風に自分を捉えなおしてみることで「できないことがある自分」も、ちょっと愛おしく感じられる気がします。
不完全な自分がいるから、誰かとつながれる。
そう考えると「足りない」「できない」って、とんでもなく素晴らしいギフトなのかもしれません。
「不完全」というギフトを小脇に抱えて、今日も誰かと支え合いながら、あたたかな時間をつむいでいきたいです。