こっからの自分と時代
お久しぶりです。今の時代を生きてると便利で
複雑で色んな選択肢があって自分がリスクを
取らなくても平和で自由に過ごせる。
私はふと最近そんなことを思うのです。
そして色んなコンテンツから様々な感情を
生み出して日々の「生きる」ということに
ベクトルを向けて暮らしやすい日々から
生きづらい生き方を選択してしまっています。
日本は令和5年で、令和令和と叫んでた頃
からすでに5年も経っていて、時が経つのが
早く感じる。でも、そこには大人の時間の刻み
方が関係してるかもしれない。
あるいは時代の生み出した流行的災害が、
今となってはワードとして持ち出しても問題は
ないので使うと、「コロナ」が時間感覚を
大きく変えていってしまったのかもしれない。
仙台育英高校の監督が優勝の時のコメントで
「青春って密」という言葉を残したように
自分の人生って密であるからこそ素晴らしいと
考えてる部分があるから混沌とした深く重く
のしかかってくる日々の苦しみには目を背けた
くなっている。
平成の時代の終盤でマルチに活躍する有名人が
時代を引っ張り始めてきた。私は音楽が好きだ
からミュージシャンで言うと、星野源や川谷絵
音とか様々な活動してる人がかっこいいとする
風潮が世間は盛り上がっていた。
そして令和に突入するとマルチに活躍する幅は
2つ3つの話ではなく、全部という概念になり
つつあり、飽和してきてる世界に変化してる。
そこにはAIの登場もあり人でいる限り諦めなけ
ればならない領域が明確になってきている。
すべての事象が軽々しくてちっぽけに見える。
それはマルチに活躍する人が増えているから
目に止まる時間が増えたからだと思っている。
心は一つしかないから処理するにはたくさんの
感情や行動が必要になってくるのに実際は
追いつかずに、中途半端に消化している日常。
感情は断片的に切り取って切り取られてる。
そんな時代が令和でありこの先の向かう時代
になっている。ストーリー性という繊細なもの
は淘汰されていく。
私は元来一つのことを極める人がかっこいいと
思っている。時代と重ならない概念であり、
この話をすると少し生きづらくなることを体験
している。
なので自分は何を正解として生きるか悩む時間
がしばしば。時代に淘汰されていく自分をひし
ひしと感じる。親をみて古臭いと思った若い頃
の自分が今では懐かしく感じる。時代について
いくって難しいんだな。
時代に左右されない職にいわゆる「安定」を
求めて会社員勤めになってからその疑問は解消
されていない。あえて選んだ気がする。
自分が選択した仕事であり自分の今の姿である
のに心の蓋を開けるとそんなことよりももっと
やりたかったことや後悔してることがぐつぐつ
煮えたぎっていることに気づく。自分を見つめ
るって答えが出るから怖い。
自分の人生の答えは一つだった。
「時代に合わせて生きていたい。」
流行っていることが好きであり新しいもの好き
だから。探究心や好奇心が人より強いから。
そう結論づけてみると現在地からこの先の人生
の終着地点まで何を描くかってことが問いに
なるのだが、案外子供の頃から突っ走ってきた
からもうすでに生まれた時から変わってない
根っこの感情にたどり着いた。
相変わらず突っ走ってたい。
これだと思う。とにかく人よりも走ってたい。
体力の続く限り自分はそういう人だった。
変化と安定をバランス取りしてる場合じゃない
行き着く先は自分で決めたい人だ。自分の声を
大事にする人だから。
直感的に令和は飽和する中で精度を高めた事象
がどんどん出てくる時代であり、その先は飽和
したすれすれの生み出した極値に広がる可能性
を追い求めてる時代になるはず。
つまりまた一つのことを突き詰めてる時代に
戻っていくんじゃないかなと予想している。
自分の信念を貫いて過ごしても良い気がする。
そんなことを思うのです。
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