『ガトー フエゴ島の湖で出会った猫』
ニャア、ニャア~。
猫の声がしたような気がしてぼくはテントの中で目を覚ました。
昨日の午後、ぼくは国道に車を乗りすてテントを背負い二時間歩いてこの湖、ラゴ・サンタ・ラウラ(ラゴとは西語で湖の意)まで来た。車を置いてきた場所には小さな集落があるがそこから湖までは人家はない。昨日の午後からだれにも会っていなかった。
きっと空耳だ、寝ぼけた頭でそう考えると朝の冷気をさえぎるために寝袋の首を絞り込んでそのまま丸くなった。もう夜は明けきっていたが、あたたかい寝袋を抜け出す気力はなかった。
前日の釣りの結果からしても、朝マズメをやろうという気持ちにはなれなかった。
一年にわたる南米の釣り旅でのことだ。その旅の中心をぼくはフエゴ島に決めて釣り歩いていた。
フエゴ島は南米大陸の南の果て、マゼラン海峡の向こうにある九州ほどの大きさの島である。現地名はティエラ・デル・フエゴ、炎の大地という意味だ。名前の由来はマゼランがこの島に到達したときに、原住民が天然ガスを燃やしていた炎が見えたからだという。
南米大陸の太平洋側をつらぬくアンデス山脈の南端にもあたり、強風吹き荒れるパタゴニアらしい大平原だけでなく、氷河を頂いた山岳地帯と豊かな南極ブナの森林地帯もある。
もっとも釣り人であればフエゴ島といえば、リオ・グランデのシートラウト(シーラン・ブラウン)だろう。リオ・グランデは、川の名前であるが、同時に街の名前でもある。樹木のほとんど生えていない褐色の大平原を大きく蛇行しながら流れるフエゴ島で一番大きな川がリオ・グランデである。いくつかのフィッシングロッジが建ち、キャッチアンドリリースが徹底されしっかり管理された現在では8キロクラスまではそれほど難しくはない。夢のような場所ではある。
そのリオ・グランデの影に隠れてしまいフエゴ島の他の釣り場が注目されることは少ないが、実はそのポテンシャルは高い。理由はよくわからないが、シートラウトを別にしても釣れる鱒のアベレージはパタゴニアの大陸側よりも一〇センチは大きい。七〇センチを越えるブルックトラウトや、現地の釣り人が川で釣った湖から遡上してきた一〇キロのブラウントラウトの写真も見たことがある。思いもよらぬ大物が釣れる可能性はパタゴニアの中で一番かも知れない。「フエゴ島の鱒釣りは度肝を抜かれる」とはパタゴニア通のある友人の言葉だ。
周囲5キロほどの細長いこのちいさな湖はフエゴ島で一番な好きな釣り場である。全体を把握するにはほど良い大きさで、ポイントも絞り込みやすかった。車で乗り付けられないので釣り人も少なく、他の釣り人に会ったことはほとんどない。そして周囲を森にかこまれているのでパタゴニア特有の強風の心配も必要なく、比較的遠浅な場所も多くウエーディングも容易でバックもとりやすい。
釣れる鱒はブラウン、レインボー、ブルック。ブラウン、レインボーは70センチクラスが出る。アベレージは55センチほどである。またブルックも55センチクラスまでは出る。特にここの丸々と太った婚姻色に染まったオスのブルックは見事の一言につきる。釣りは簡単ではないけれども、ほどほど釣れてほどほど釣れない、しかしまず釣れないということはない。その塩梅がいい。通いつめてできたお気に入りのポイントもあり、いわば自分にとっての約束の湖である。
現在では湖までの林道を車で通行できるのは、林道を設置した材木会社の創業者にしてオーナー、ジュッコ・ブロンソビッチとその一族とのコネクションを持つ者だけに限られる。
まだだれもが車で入れた頃、湖の周辺では釣り人やアサード(アルゼンチン式バーベキュー)のたき火が原因の出火が何度かあったらしい。火事はさいわい小規模におさまっていたが、いつ大規模な山火事になるかも知れなかった。それはブロンソビッチの財産の消失ということでもある。そこでとうとう森林の伐採権を持つブロソビッチは国道に面した林道のゲートに鍵をかけ車の通行を制限するようになった。土地はフエゴ島州のものであるが、林道はブロンソビッチが伐採のためにつくった私道であったからだ。
「ジュッコ・ブロンソビッチに聞いて見ろ。鍵を開けてもらえるかも知れないぞ」
サンタ・ラウラに行くというと、何人かの現地のアミーゴ(西語で友人の意)たちはぼくにそう助言した。
確かにブロンソビッチと親交のある現地のアミーゴたちと同行して何度も車を通してもらったことはある。そろそろぼくの顔も覚えているかもしれない。その助言に従い、昨日は林道の入り口の近くにあるブロンソビッチの屋敷を訪ねたのだ。
門から敷地に入りきれいに手入れされた屋敷の入口に近づくと、鋭い鳴声とともに二匹の大きな黒いドーベルマンに出迎えられた。飛びかからんばかりの勢いの、敵意と牙をむき出しにした二匹に思わず走り出したくなったが、背中を見せたとたんに襲われそうな気配に、動けなくなった。困り果てていると、犬にむかって「あっちへ行け!」と言いながらガッシリとした体格の男が現れた。
「なんの用だ?」
ジロリとぼくを睨むとぶっきらぼうにその男は言った。
クロアチア系アルゼンチン人のジュッコ・ブロンソビッチ、年齢は七〇歳に近いだろう。老人と言ってもいい年齢だが、年を感じさせない背筋の伸びた大きな男だった。身長は一八〇センチほど、手入れの行き届いた美しい屋敷とは不釣り合いな汚れたツナギの下には、山仕事で鍛えた分厚い胸板が隠れていた。少し勢いは衰えてはいるもののきれいにバックになでつけられた白髪、髭だらけの顔に猛禽類を思わせる鋭い目が光っていた。
「釣りに行きたいのですが、鍵をあけてもらえませんか?」
率直にシンプルにそうお願いした。
「車の通行は許可できん。湖に行きたいのなら歩いていけ。それならかまわん」
それがブロンソビッチの答えだった。
仕方なく国道に車を乗りすててキャンプ道具、釣り道具、カメラ機材でふくらんだザックを背負ってひとりで歩き出したのは午後の一時を回っていた。二時間後に湖の奥に到着すると水がすぐくめるように湖岸にテントを張った。そしてウエーダーに履き替えてロッドをつないだ。今日も思ったとおりに他に人は見えなかった。パラダイスを一人占めである。自然に笑みがこぼれた。
さっそくテントの前の深みを探ったがアタリなし。そんなにうまくは行かない。日が落ちるまでにはまだの三時間あった。それだけ時間があれば釣れないことはないだろうという経験的な自信もあった。いつものように右回りに湖岸を移動しながら探っていった。
しかし、生き物の反応は皆無なまま時間がすぎていった。時間の経過とともに徐々に不安になっていった。つまり夕食は鱒を当て込んでいたからだった。
背負ってきた食料は米とタマネギ、醤油、ワサビを含む調味料少々とコーヒーとビスケットだけだった。メインディッシュは鱒の刺身とムニエルと決めていた。うまく行けば3匹は釣れるはずだった。調子が悪くても食料ぶんの1匹はかたいだろう。できれば美味しいブルックがいい。そういう目論見だった。
日が落ちてきたので一番のお気に入りの岬へ急ぐことにした。過去に複数の七〇センチのブラウンを釣っている深みである。比較的浅い湖岸が続く中でその小さな岬の先端は岸際からストンと二メートルほど落ち込んでいる。
バックの枯れ木に気をつけてフルキャストして、ラインが完全に着底するのを1分以上待つ。糸ふけをとってフライが止まることのないよう一定のスピードでリトリーブ。リトリーブ開始早々にドン、少し追ってきてからズンッ。フライラインが水面に突き刺さる。深いところでかけるブラウンの独特の引きが楽しい。そんな釣りをそこで何度もしたことがある。
ドキドキしながらの緊張の一投目・・・ 期待の二投目・・・。希望の三投目、ゆっくりと底をトレースすることを意識した結果、根掛かり。フライをロストした。
湖岸に落ちている枝を拾いながらテントへ戻るとそれに火をつけて種火をおこした。パタゴニアでは空気が乾燥しているせいか火のつきは良く、たき火は調理の火器としても十分に実用的である。薪を集める仕事は増えるが余計なものを減らす喜びもある。もちろん楽しいのは魚が釣れていて十分な食料があればの話である。
ヘッドライトの灯りを頼りに、日本から持ってきた飯ごうに米を入れて湖の水で研ぎ、指を入れて水の量を確認するとおき火にかけた。炊けたころを見計らって、タマネギを塩とコショウで炒めると炊きあがった飯と一緒に胃袋に収めた。飯は翌朝のために半分残した。そうして早々に寝袋にもぐり込んだ。
ニャア、ニャア。
今度ははっきりと猫のなき声が耳に届いた。確かにテントのすぐそばに猫がいる。だれかが来たにちがいない。でもあわてて起きる必要もないだろう。ぼくは再度眠りに戻ろうとした。しかし、ニャア、ニャア、ニャアと猫の声は途切れなかった。
しかたなく上半身を寝袋からだしてテントのジッパーを開けると、ぼくの目の前一メートルの距離に幼さの残る中型のトラ猫がちょこんとこちらを向いて座っていた。猫はぼくの顔を見るとうれしそうにゴロゴロとのどを鳴らしながら、ゆっくりとこちらに向かってきてそのままテントの中に入ろうとした。すんでのところでぼくは猫の首をつかむとテントから離しテントのジッパーを閉めた。ようやく寝袋から出る決心がついた。
靴を履いてテントの外に出ると朝の冷気にブルッと身が震えた。のどを鳴らしながら足元にまとわりつく猫の体はまったく汚れておらず、人なつっこさからいってもとても野良猫には見えなかった。そもそも野良猫がいる場所ではない。
ぼくは周囲を見渡して飼い主の姿を探したが、視界に入る湖のどこにも人影は見えなかった。
「ガトー」
ぼくはごろごろと身をすり寄せる猫にはなしかけた。ガトーとはスペイン語で猫という意味だ。
「君はどこから来たの?」
食べるかどうか疑問をもちながら、今日のために昨夜余分に炊いた冷や飯と炒めたタマネギを与えてみるとガトーはガツガツと食べ始めた。よほど腹が減っていたのだろう。その残りを自分の朝食とすると、持参の食料は白米が1合とビスケットのみになった。
それにしてもこの猫はひとりで五キロの林道を歩いてきたのだろうか。犬ならともかくおよそ現実味のない話だ。では、だれかが連れてきて迷子になってしまったのだろうか。これだけ人に慣れているのだから、帰るときにどこかに行ってしまったこともないだろうし、飼い主も探すだろう。いや、そもそも飼い猫をこんな山の中に連れて来るものだろうか。山で作業する車の荷台で寝ている間に連れてこられたのか。しかし少なくとも昨日の午後から今までだれにも会ってはいないのだ。あるいは猫は何日もこの湖をうろうろしていたのだろうか。
考えれば考えるほどに不思議な気持ちになったが、目の前の猫は現実だった。
パタゴニアに生息する肉食獣はピューマだがマゼラン海峡を越えたフエゴ島にはいない。帰化動物のキツネにやられる可能性もゼロとはいえないが、低いだろう。しかしここに置き去りにすれば餓死の可能性は高くなる。それも忍びない。
もともと1泊だけでその日に帰る予定だったので、帰る時には人家のある国道までは連れて帰ってやればいい。
しかしそれまでは釣りだ。その日、ぼくは昨日なにも釣れなかったラウラに見切りをつけて、さらに林道を奥に進んだもうひとつの湖を釣るつもりだった。猫は帰りがけに拾って行けばいい。
テントをたたんで荷物をまとめウエーダーを履き、ひとまず林道に戻った。人目につかないように森の中にザックを隠し、目印として枝を折った。そしてロッドを片手に持ち、カメラを首からぶら下げて林道を国道とは逆の方向へ歩き出した。
ここでガトーとはひとまずお別れである。なるべく素っ気なくガトーの方を見ないようにしたが、しかしガトーはぼくの後をついてきてしまうのだった。早足で50メートル歩いてもぼくのすぐ後ろをついてきた。
「なあ、ぼくは上の湖で釣りをして帰りにここにまた戻ってくるんだよ。だからおまえはここで待っていなよ」
首をつかんでガトーに話してみたが、相手はただ気持ちよさそうな顔をして目を閉じているだけだ。ぼくはガトーをつかんだままザックをデポした場所まで戻り、ガトーをサッと放り投げるとくるりと背を向けて走った。一〇〇メートルほど走り息が切れて後ろを振り向くと、二〇メートル後ろに必死になって走ってくるガトーの姿があった。ぼくは観念した。ついてくるならばついてくればいい。
1キロほど林道を歩くと古いビーバーのダムがありその先に湖が現れる。ラゴ・サン・リカルドである。サンタ・ラウラとサン・リカルドは川でつながっていて、上流側にあるのがサン・リカルドである。リカルドはラウラの4倍の大きさであり、底質は石や砂礫の場所が多く、水の透明度も高い。入り組んだ湖岸に道はついているが、四駆のトラックでも通行が危うい箇所もある廃道に近い道である。
釣りはラウラに比べてリカルドの方が難しい。ラウラに近い水域は水深の浅い、障害物のない底まではっきり見える透明な砂礫の浅場が続く。変化に乏しく、あまりに漠然としていて魚でも見えない限りフライを投げようという気にすらならない。リカルドのポイントは水深もでてくる奧の半分である。しかし濃淡の差こそあれ鱒は湖のどこにでもいるはずである。湖面に注意しながら奧を目指した。
晴天、無風、そして無音。鳥類を含めた生き物が多くないパタゴニアでは名物の風が吹かないと、そこには静寂だけが残る。
鏡のような、南米の言い方でいうと「油のような」フラットの水面が広がっていた。すると数百メートルも進まないうちに水面が割れて魚が跳ねた。前日からの釣りで初めてのチャンスだった。
浅場にいる鱒は餌を求めてきているはずでやる気満々、食い気がたっている。一刻も早く魚が跳ねた場所にフライを投入しなければならない。とはいえ湖岸をドカドカと走っては鱒が逃げる。早足で湖岸を移動して急いでそっと入水した。ジージージーとラインを出しながら、ライズした場所までの距離をつめる。水深はヒザ下ほど。フォルスキャストをしながらラインを伸ばしていく。そしてキャスト。あっ、ちょっと足りない・・・。もう一度キャストし直そうかと迷いながらもそのままリトリーブすると、水面がモワっとゆれてドンと来た。
ヨシっと声がもれた。いつになく切実であった。昨日から白米とタマネギしか食べてないのだ。いやむしろ自分のことより「これで腹を空かせたガトーに食わせてやれるぞ」と思った。
グン、グン、グン。鱒の首振りが伝わった。ブラウンだ。刺身とムニエルだ。半身はガトーにやろう。「おい、かかったぞ」と岸辺のガトーに声をかけた、その時フライラインがだらしなく弛んだ。ああ・・・腰から力が抜けた。毛づくろいにご執心のガトーに頭を下げた。ゴメン。
フライラインを回収してさらに湖の奧へ急いだ。
「昨日はアタリすらなかったが、今日はあった。半歩前進だ。まだ釣りをする時間はある」
そう自分を励ました。
とにかく1匹は釣りたかった。単純に釣りたいという釣り欲と、鱒を食べたいという食欲、そして何よりも猫にエサをやりたいという半ば義務感である。
湖面に注意しながらさらに湖の奧を目指した。1時間ほど歩くとようやく水深が深くなっていかにも鱒が潜みそうなポイントが現れてきた。ガトーはずっとついてきた。
どうせ同じ道を戻るのだから、ガトーはどこかで待っていてくれた方がいい。置き去りにして帰りがけに拾っていけばいいだけの話だ。しかし当然ながら、猫にはこちらの意図は伝わらない。ふっと姿が見えなくなってもほどなく、ピンと立てた尻尾をゆらしながらひょっこりと現れた。どこかに行ってしまう心配は必要なさそうなので、逆に安心して釣りに集中できるようでもあり、しかし自分が釣りをしている岸辺にちょこんと座っていられるのも「まだ釣れないのか」と言われているようで、嫌な感じでもあった。
釣れそうなポイントを選んでキャストを繰り返すものの、全くなんの反応もなく時間だけが過ぎていった。「昨日は裏切られたけどまだ得意のラウラの方が良かったかもしれない」と未練たらしく考え始める始末である。
しかしこれからラウラに戻って釣りをするにはあまりにも奧まで来てしまっていた。今後もリカルドまで足をのばすことは少ないだろうし、この機会に少しでも探釣して結果を出しておきたいという思いもあった。
しかし「一匹は釣りたい」から、「早く1匹釣って戻ろう」というふうにとっくに考えに変わっていた。
過去にリカルドで鱒を釣ったことがあるのは最奧のワンドだけだった。逆にそこまで行けば釣れるという読みもある。湖の端から一番奥まではおよそ6キロ。もう半分くらいきただろうか。湖の奧の方に目をやると一番奥まではそれほど遠くないようにも見えた。まだ日は高い。最奧のワンドまで行くことに心を決めて歩き始めた。
二〇分ほど歩いて汗だくになって岬を回り込むと、最奧部分と思っていた先にさらに湖が続いていた。登山でいう偽ピークのようなものだ。どっと疲れが出た。
グゥと腹が鳴った。午後3時。もうだめだ、帰ろう。高緯度地方のパタゴニアの夕暮れは長い。今ならば明るいうちに帰れるだろう。
ロッドをたたんでベストから残っていた4枚のビスケットをだしてかじる。さすがにビスケットは食べないだろうと思いながらガトーに差し出すとガツガツと食べた。2枚ずつ分け合った。
湖の水をすくって一口飲むとガトーに「帰るぞ」と声をかけ立ち上がり、来た道を戻り始めた。
相変わらずトコトコとガトーは後をついてきた。
2時間ほど歩いてザックを隠した場所に戻り、枝を折った目印が見つけて茂みからザックを取り出し、その上に腰を下ろした。ウエーダーを脱ぐと発汗でこもった湿気が一気に放たれた。靴下も脱いでしばし体を冷やしながら、リカルドでペットボトルにくんできた水を飲み干すと一息ついた。
ゴロゴロとのどを鳴らしてしっぽを立ててガトーは体を寄せてきた。猫とは思えぬ犬なみの忠誠心でぼくの後をついてきた。大きな水たまりがあって渡れない時にはガトーの方からニャアと知らせた。その度に首をつかんで運んでやり、難所が過ぎればまた下に降ろした。
ウエーディングシューズからトレッキングシューズに履きかえた。ウエーダーとウエーディングシューズ、ベストをザックの中に収納し、ロッドをザックのサイドにくくり付けた。あと2時間みておけば戻れるだろう。
歩き始めるとすぐに汗が噴きだした。ちらっと後ろを見ると、ガトーは変わらずぼくの後ろをついてくる。安心して先を急いだ。
ところが、それもつかの間のことだった。あれほどしつこく追従してきたガトーが国道に近づくにつれてなぜか道草を喰うようになったのだ。多少ぬかるんだ道でも必死になって追っかけてきたのに今やその手前で立ち止まり、ペロペロと毛づくろいなどをしている。もはや自分からニャアと信号を送ることもなくなった。まるで犬のような猫だったが本来の猫に戻っていくようだった。
それまで以上に頻繁に後ろを振り返らなければならなくなった。歩くペースは乱れ、わずらわしいことこの上ない。最初のころこそ、行方不明になってもしばらく待ってさえいればじきに尻尾を立てて現れたが、徐々にその時間が長くなり、とうとう待っても現れなくなった。まだ国道までは3キロくらいはあった。
しかたなくザックを置いて捜索に向かった。カーブを曲がると視界の開けた一〇〇メートルほどの直線だったがガトーは道にはいなかった。森の中に入っていったのだろうが、それほど遠くにいるとは思えない。
「ガトー、ガトー」
左右の森の中を見ながら声をかけながらゆっくりと進むと、ニャアと声がした。ガトーは藪の木陰で長い尻尾をゆらしながら休んでいた。ぼくの顔を見るとゴロゴロとのどをならした。もうその日だけで一〇キロ以上は歩いているはずで疲れているには違いない。もちろん腹も減っているだろう。しかしそれだけなく、なんとなく人のいる場所に戻りたくなさそうな雰囲気なのだ。
いやいや今さらそれはないだろう。ぼくはガトーの首根っこをつかみ持ち上げた。
結局ガトーを手に持って抱いて歩くことにしたのだ。その方が行方不明のたびに捜索するよりは、まだ体力と時間を使わない。国道までガトーを連れて行くことはもはや使命であり、奇妙な意地であった。
夏の夕方の容赦のない西日が照りつける。ザックは肩に食い込み、吹き出る汗が目に入る。さらに胸には生あたたかい猫である。そして空腹。自分は何をしに来たのだろうか。そうだ、釣りだ。しかしその釣りも魚は一匹も釣れていない。
何も考えずにただ足を動かす。1時間ほど歩くとようやく車止めのゲートが見えてきた。
日があるうちに戻れたことに安堵した。
ゲートを乗り越えるためにまずガトーを放し、ザックをゲートの向こう側に投げると、両手をかけて体を持ち上げて足をかけ反対側に着地した。
「オラ!釣れたかい?」
近くに住む若者こ声をかけられた。
「オラ!いや、全然ダメだった。一匹も釣れなかった」
いや釣りことよりも、そうだガトーのことだ。飼い主が見つかるかもしれない。
「実は湖で猫を拾ってここまで連れてきたんだ。ほらそこにいる猫が・・」
そう言いながら今放したばかりのガトーの姿をさがしたが、どこにも見当たらなかった。
「猫、見なかった?たった今までぼくと一緒にいたんだけど」
相手は猫なんて見てないよ、ノーと相手は首を横にふった。ぼくは狐に摘まれれた、いや猫に摘まれたような気持ちになった。
またどこに行ったんだ?あいつ。探そうという思いがふとよぎったがやめた。かくれんぼはもう終わりだ。すでにぼくは自分の仕事を十分に果たしたはずだ。最後にもう一度なでてやって別れたがったが、まあいい。それが猫の猫たるゆえん、自由きままさなのだから。
それにしても腹が減った。ウスアイアの街に戻ったら今夜は特大の牛肉のアサードを食おう。その前にもう一時間、車の運転が残っている。
フライフィッシング・ジャーニー(2014/02/01)