『特捜エクシードラフト』第35話「見えない巨人」について
①
拳は保に言う、「やられたらやり返すくらいのガッツがなきゃだめだ」と。保は「自分が強いからそんなこと言えるんだ」と言い返す。そこに突如現れた奥田が、権力を持つ者に弱い者の気持ちはわからない、という意味のことを言い、拳は「自分たちは権力など持っていない」と返す。奥田は「しかし権力の味方だ」と言う。
エクシードラフトは警察組織の一部署で、主人公らは紛れもない警察官であり、権力の味方どころか権力そのものである。拳がそのことを意識できていないということは、単純に彼がナイーヴであるということだと思う。そしてだからこそ彼は悩むことができる。驚くのは、このシリーズにおいて主人公らを結局警察権力であると言いきった奥田の台詞である。ある面から言って「正義の味方ではない」ということだ。
「巨人が踏みつぶす」という言い方が今回のドラマツルギーをほぼ完全に表現していて素晴らしい。奥田は、目論見が失敗し負傷、救助された後、スクラムヘッドの車内で「結局弱い者は強い者には勝てない、いい世の中だよ」と言う。巨人が反橋邸を踏みつぶすとき、彼の見る世の中は変わるはずであった(奥田に反橋を殺害する意図があったかはよくわからない。むしろ彼の建物を壊すことが重要だったのではないか)。しかし「権力の味方」はそれを阻止する。世の中は変わらない。しかしそもそもエクシードラフトが防衛する世の中は、「いい世の中」だと言うしかないではないか。これを受けて拳と耕作は無言である。「反橋児童文化センター」が強者の欺瞞の塊であったことに二人とも憤っていたから尚更である、それでも彼らは巨人の味方はできない。一方で、自分たちが味方するものが正義だ、などという傲慢な謂いをすることもない。
関連して、物語は前後するが、主人公らの今回の捜査はなぜ奥田を早く押さえなかったのかと批判されるかもしれないのだが、奥田を捜索できるかどうかという問題以上に奥田と反橋の和解を促して次の犯行を未然に防ごうとしていたためああいう形をとったのだと思う。なぜ3人が反橋をああも詰り、避難させるなどしようとしないのかと不思議になる向きもあるだろうが、おそらく彼らなりに非・権力の味方をしつつ、悲劇を回避しようとしていたのである。しかしそれでも警察官でなくなることはないので、「お前らは何しに来たんだ、犯罪者の味方をするのか」と真っ当なことを言い返されて失敗する。
彼らは悩む。シリーズ終盤のメインのドラマとは離れた単発の回それぞれで、複雑な事態・様々な事情を抱えた人々に直面し、ひどく悩む。弱者の側に立ちたくても、自らの権力性からは逃れられない。仕事はする。しかし少なくとも、彼らは5人しかいない部署の中で、悩む余裕があった、それが許される雰囲気があった、そして悩むことができる感受性を失っていない人間だったということは言える。神がわざわざ彼らを巻き込むというのも、わからない話ではないのである。
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