干柿空拳

パルプ感想文・エッセイ・小説ほか

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蜘蛛

 わたしはある研究所の事務職員で、その夜は所長とともにある屋敷を訪れていた。山間部の、集落から少し離れたところにポンとある大きな屋敷で、敷地には井戸や家畜小屋もある。そこでちょっと奇妙な、空気や空間全体が歪むようなことがあるので、それがほかに伝播しないとも限らないから、所長直々に駆けつけたのである。  玄関前のたたきに、江戸切子のようなものの破片があった。橙のような色で、花らしい模様が彫ってあった。所長がそれを取り上げて、言った。  「ああ、ここにかつていた日本刀の先生がね、

    • 『ウルトラマン』第33話「禁じられた言葉」について

       おそらく『ウルトラマン』における最高峰の一本である。  確かに金城哲夫による脚本上は、サトルが「地球は君のものだ!」と言ってしまうのだが、それが「視聴者に対する言い訳」(白石雅彦『「ウルトラマン」の飛翔』2016・双葉社)めいているのはともかく、そうであっても、メフィラス星人が「子供にさえ負けてしまった」と言うのは同じなのだから、脚本ではやや屈折した回路を通じてメフィラスを敗北に追い込んでいるということである。  つまり地球人は「ウソ」をつくことができるのである。例えば民法

      • 「子どもたちが屠殺ごっこをした話」第2話 について

         グリム童話である。岩波文庫版、金田鬼一訳を読んで書いている。  続く第2話では事件そのものしか描かれない。  それにしても、起こったこと以上の情報がない。例えば「遠野物語」などは、いかに救いようのないことがあったとしても風景とか、ものの言われ方等から何か違う話をすることができた(それが実際エクスキューズであったかどうかは別の問題としても)と思う。ところがこれはどうだろう。おそらくそのような手掛かりは「おひるすぎになって、子どもたちが遊戯をしたくなると」という部分くらいにしか

        • 『帰ってきたウルトラマン』第25話「ふるさと地球を去る」について

           傑作である。  「村ごと隕石と共に宇宙へ運び去られ」るという事態の異常さがまずあり、それが進行する中で、人間が部分部分でどうふるまったのかという話なのだが、それにしても村全体がスポッと無くなってしまうということには、単純に呆然とせざるを得ないというのが正直なところであって、それが人間ドラマの背後にそびえている以上、そのドラマに何ほどの意味があるのかと、いったん感じずにはおれない(それはかつて評されたように「喪失感」と呼んでもかまわないが、もっと乾いたものかもしれない)。

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        • 創作
          1本
        • 円谷プロ
          7本
        • 童話/児童文学
          4本
        • 古典文学/古文
          3本
        • 東映
          4本
        • その他
          4本

        記事

          「近衛の舎人秦武員、物を鳴らしし語」について

           今昔物語集巻第二十八・10。  そもそも、おならをするだけでは笑ってもらえなかったのである。「僧正も物も云はず、僧どもも各顔をまもりて暫くありける程に」とは、要するに気まずい沈黙があったということである。それをなぜ、「あはれ、死なばや。」が打破できたのか。それはもはや言わずもがなだが、つまり「死ぬほどでもないこと」について「死にたい」と言ってみせたからで、すなわちそれらのアンバランスが、笑いを誘ったわけである(わたしは最初このことが当たり前に過ぎるので、逆にそうではない理由

          「近衛の舎人秦武員、物を鳴らしし語」について

          「子どもたちが屠殺ごっこをした話」第1話 について

           グリム童話である。岩波文庫版、金田鬼一訳を読んで書いている。  議員らにおいて、これが「ほんの子どもごころでやったこと」であるのが明らかだから下手人をどう処分してよいかわからない、という意味のことが書かれている。簡単な裁判が行われるが、それもどうやら「子どもごころ」を確認するためだけに行われている(子どもであることを確かめる方法について議員らは悩み、従って老人の考えが「うまいちえ」と呼ばれるのだ)。つまりここでは、そのような心性であればこれほどのことをしても無罪である、と

          「子どもたちが屠殺ごっこをした話」第1話 について

          『ウルトラマンA』第23話「逆転!ゾフィ只今参上」について

           表と裏ということ。ヤプールはそれをひっくり返そうとしている。あの老人は我々の次元でこうだとされているものを、そうではないと言う。それ以外は特に内容のあることを言っていない。だから浸透していく。  そう、「この世のことではない」のだ。異次元とは別の層のことで、「この世」の裏の世である。それがなぜ執拗に「この世」を攻撃するのかはわからないが、おそらくヤプールが表現しようとするのはそれ自体の意思ではなく、「この世」の裏の論理、ありえるけれどもありえないことになっている理屈の表現な

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          『ウルトラマンA』第23話「逆転!ゾフィ只今参上」について

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          『特捜エクシードラフト』第9話「危険な家族ごっこ」について

           本シリーズ、「多様化する犯罪から…」と毎度始まるのだが、実際、犯罪に使われる器物が近未来的だという程度で、描かれる犯罪という事態そのものについては、それほど目新しさがあるわけでもない。「レスキューポリス」誕生のきっかけに、ある事件への問題意識があり、というのは有名な話で、そこから考えると例えば80年代とは本当に多様な犯罪があり、振り返ってみればほとんどあらゆることがあって、現在もそれらを文化的に乗り越えられていないし、そもそも「昭和」の終わりとともに文化は、態度として何も根

          『特捜エクシードラフト』第9話「危険な家族ごっこ」について

          別役実『その人ではありません』について

           本作にあらわれる「葛藤」について、作者自身が、「価値の対立による葛藤ではなく、次元の幅を異にすることによってもたらされた葛藤であり」と述べている(『台詞の風景』白水社)。わたしはこの度その「次元の幅」の差異を解読しようとしたのだが、どうしても見えてくるのはツユノあるいはウエムラ・セツコの戦略あるいは彼女そのもののありようであった。そしてそれらは、「結婚しようとすること」ー「人間関係を取り結ぼうとすること」と言ってよいかわからないのだがーに関する絶望的な状況を示しているようで

          別役実『その人ではありません』について

          『恐怖劇場アンバランス』第10話「サラリーマンの勲章」について

           原作の小説を読んでいないため不用意なことは言えないものの、お話としては、藤子不二夫の漫画等で馴染みの深い傾向のものではある。しかしいろいろ考えてみてよい部分がある。  まず、画面に出てくるほとんどの人間にとって先の戦争のことが背後にある。要するに「勲章」のリアリティのことだ。比喩としてその名前を用いているようで、実際組織の形式は、機構・紀綱?は、それが示すものそのままである(だから逆に、この会社の仕組みから過去を振り返ることだってできる)。それから逃れようとする犬飼の気持ち

          『恐怖劇場アンバランス』第10話「サラリーマンの勲章」について

          「世の中の憂きたびごとに身を投げば 深き谷こそ浅くなりなめ」について

           古今和歌集巻第十九雑躰にあった。  例えばわたしもそうなのだが、生活するうえでわずかでも嫌なこと、不便なこと、つらいことがあるたびに、「死んでしまいたい」と思う人がいる。この歌の作者がそういう人であったかどうかはわからないが、相当な回数「憂し」と思い、そのたびに頭の中で「深き谷」に「身を投げ」たに違いない(もちろん「身を投げば」「浅くなりなめ」であるから、仮定の話ではあるものの、いきなりこういうことを思いついて和歌にしようとする人がいるとは思えないから、作者はずっとこうい

          「世の中の憂きたびごとに身を投げば 深き谷こそ浅くなりなめ」について

          『ウルトラQ dark fantasy』第21話「夜霧よ、今夜も…」について

           よくわからない、というのが正直なところではあるが、そのよくわからなさを楽しむフォーマットでもあり、ということから、多少考えられる気もする。  「意味がない」と連呼することで、宇宙人らは何を言おうとしているのだろう。何かを言うということよりも、要するに大勢で大声で否定する、という意味があることはわかる。しかし涼が言うことは、意味がないというよりは、具体的にどういう意味かよくわからないと言われうる類の話なのだが、結局、第三惑星にとっては意味はある話なのであり、それが、お地蔵さん

          『ウルトラQ dark fantasy』第21話「夜霧よ、今夜も…」について

          『仮面ライダー』第79話「地獄大使!!恐怖の正体?」について

           多くの人にとってそうだと思うが、何度見ても、いくら考えてもよくわからないところが残る。  力関係を及ぼしあっているのは誰と誰と誰なのか。組織としてのショッカーと、仮面ライダーとが対立している。ここに、地獄大使がよくわからない第三者となって(なってしまって)関わる。  地獄大使はガラガランダである。そのことはおそらく首領しか知らない。このことを、地獄大使は利用しようとする。  冒頭の毒水作戦を実行するのはガラガランダだが、その作戦を知っているのは首領と地獄大使だけであることを

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          『仮面ライダー』第79話「地獄大使!!恐怖の正体?」について

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          「陸奥前司橘則光,人を切り殺しし語」について

           今昔物語集巻第二十三第15である。宇治拾遺物語にも同じ話がある。  則光が3人を殺害したのは間違いない。しかし彼自身がその結果についていかなる評価をしているのかが、いまひとつわからない。  例えば、この時代、あのような状況にあれば死ぬか殺すかしかなかったのかもしれない。過剰防衛も責められないのかもしれない。しかし、則光は自らの行いを隠す。「胸騒ぎ思ふ」。とすると、やっぱり露見するとまずいようなことであるのは間違いない。一方で、結果的に、「此の奴のかく名乗れば、譲り得て嬉しと

          「陸奥前司橘則光,人を切り殺しし語」について

          『怪奇大作戦』第16話「かまいたち」について

           真に重要なのは、当たり前だが、ドラマである。事件が起き,警察とSRIの方針が食い違い、しかしSRIが―牧が小野松夫にたどり着き、彼を現行犯で逮捕する、というドラマ自体に、取り組まねばならない。松夫が「なぜ」そのようなことをしたかは重要であるが、一連の事態をよく考えた後に初めて辛うじて見えてくるのだろう。そうでなければ、現実に似たような犯罪をいやと言うほど見聞きしている我々にとって、このお話はただ通り過ぎていくだけのものであるだろうからだ。これを御覧になったことのある方々には

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          『怪奇大作戦』第16話「かまいたち」について

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          「みそさざいと熊(KHM102)」について

           岩波文庫版、金田鬼一訳を読んで書いている。  これは白黒のつく話なのだろうか。そうとは思えない。どんなみすぼらしいところに居たって、空にとんでるものの王さまであるなら、そう言えばいいし、熊がどう思おうとそのことに変わりはない。ただ馬鹿にされて悔しい気もちが残る。それが「血みどろの戦をやって白黒をきめよう」というように処理されてしまう。  ただ、それを唆した者がいる。雛鳥である。彼らは親に戦略的に迫る。すなわちその問題に白黒がつくまでは餓死も辞さないと言う。しかも彼らは完全に

          「みそさざいと熊(KHM102)」について